私にとっての信仰とは、自分の生命の根源には大宇宙を生み出した巨大なエネルギーの躍動があり、私は深いところで常に根源とつながっているという確信です。その根源のエネルギーが膨大な多様な輝きを放っている、その一筋が私という個性だと信じています。
私は体験から二つのイメージを信念の核にもっています。
一つ目のイメージは、私のいのちは大宇宙のすべての存在とつながっていて孤独はないということです。森羅万象すべてとつながっているとありありと実感した瞬間があり、それ以来この信念は消えません。その瞬間はクリアで平静で安らぎと安心に満ちていました。これが私のいのちの本来の在り方であると実感したのです。
この経験をする以前に、中学生の頃、自然を見て自然との一体感を味わったことがあります。この時は目の前の自然とのつながりをリアルに感じたのですが、ものすごい幸福感、歓喜を味わいました。
もう一つのイメージは、太陽から放たれた一筋の光線が自分だというイメージです。根源のエネルギーが分化し個性化した存在が個性だと感じました。
しかも過去に放たれた光線ではなく、今なお太陽から放たれ続けていると感じました。自分の個性はただいま現在、根源と一体であるだけでなく、同時にすべての存在が根源から放たれている光だというイメージを経験したのです。そこで謙虚さと自己信頼をあわせもつ心境を味わいました。
こうしたささやかな個人的な体験を下地にして、私は冒頭に述べた信念を有しています。
私はこの正月に、地元の神社にお参りしました。近くに3つの神社があるので、それぞれに初詣させていただきました。また先日は足を延ばして有名な神社へお参りしました。
こうした神社の神様は、人間に比してはるかに尊い存在として大宇宙の根源の心を体現されている存在だと仰いでいます。そして日本を太古のいにしえから導いてくださった存在であると敬っております。またその地域の自然と一体となったエネルギーでもあるように思います。
神社でどんな内容を祈らせていただくかで、年末にハッと気づかされたことがありました。
私は大みそかの日に自宅でささやかにお餅をついたのです。そのお餅を自宅の神棚に捧げました。
その時にふっと「人間心を通すために神に祈るのはおかしい」という思いが湧きました。「神様の御心を実現するために自分の個性があるので、神のみ心を実現するために努力します、との趣旨を祈るべきではないか」と思ったのです。
これは、根源の神のエネルギーの個性化が自分であるのであれば、私の本当の願いはそれを反映たものであるべきだという気持ちです。
今までの祈りがあまりにも人間中心の価値感に染まっていたと反省させられ、今までの自分に違和感を感じました。
そうした気づきと反省をしての今年の年頭の初詣でした。まだまだ祈りの質、祈りの心境は理想にはるかに及ばぬものですが、自分の存在・個性に根差した真実の祈りができる自分に成長してゆきたいと思います。
種村修
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