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1月, 2018の投稿を表示しています

丹田が止まるとき

丹田というのは現代の私たちには分かりにくいものですが、心を統御する実践にはおいてはとても大切かつ有効なものです。
丹田呼吸法という呼吸法がありますが、これは下腹部を動かして行う呼吸法のことです。丹田呼吸をすると心身のエネルギーが増進するとともに、心が平安になり、自分を見つめるのにふさわしい状態になります。
おへその下数センチのところに丹田があると言われています。ここには人間のエネルギーの中枢があると考えられています。人間にはこのほかに心臓のあたりにある中枢(中丹ともいいます)と、額の真ん中にある中枢(上丹といいます)の3つがあると言われています。そのうち一番中心になるのは下腹部にある丹田(下丹ですが通常「丹田」という場合はここをさします)です。
実際に丹田を動かしつつ、同時に思考を鎮める努力をしていると、本質を見抜く直感が働きやすくなることに気づきます。直感が働くということは、深層潜在意識の働きが活発になり、さらに奥にある自分の根源部分までもが活性化することだと考えてよいと思います。
声楽家が肚から声を出す時には丹田を動かしています。弓道で的確に的を射る時も丹田を使っています。おそらくアスリートで傑出した成果を出す方は、無意識にでも丹田を動かしているのではないでしょうか。
わかりやすい例は、人がお腹を抱えて笑う時です。この時は丹田が動いています。笑っている人は朗らかで全身が開放されて、おおらかになり生き生きとしてきます。自然治癒力も活発に働くと言われています。これは丹田が動くとき、その人にとってのエネルギーレベルが非常に高い状態になっているからではないでしょうか。
さて、そうした重要な丹田ですが、丹田が動かなくなることがしばしばあるのです。
丹田が動かなくなる代表的なケースを3つ挙げてみます。
一つ目は、他人の念の影響を受けているのに気が付かないでいる場合です。これはのりうつりの影響を受けている時でもあります。この場合は、のりうつりの影響を受け始めてからじんわりと丹田の動きが止まっていくようです。
二つ目は、恐怖心が湧いた時です。恐怖心が湧くと、ぴたっと丹田の動きは止まります。
三つめが逃避です。これは現実の苦難や問題から目をそらせて逃げている状態です。多くの場合、逃避では自分を小さく矮小化して見ており、自己否定の心理がその奥にあります。
うつの時はこの全部が当てはまります。うつの人を…

信仰と祈り

私にとっての信仰とは、自分の生命の根源には大宇宙を生み出した巨大なエネルギーの躍動があり、私は深いところで常に根源とつながっているという確信です。その根源のエネルギーが膨大な多様な輝きを放っている、その一筋が私という個性だと信じています。
私は体験から二つのイメージを信念の核にもっています。
一つ目のイメージは、私のいのちは大宇宙のすべての存在とつながっていて孤独はないということです。森羅万象すべてとつながっているとありありと実感した瞬間があり、それ以来この信念は消えません。その瞬間はクリアで平静で安らぎと安心に満ちていました。これが私のいのちの本来の在り方であると実感したのです。
この経験をする以前に、中学生の頃、自然を見て自然との一体感を味わったことがあります。この時は目の前の自然とのつながりをリアルに感じたのですが、ものすごい幸福感、歓喜を味わいました。
もう一つのイメージは、太陽から放たれた一筋の光線が自分だというイメージです。根源のエネルギーが分化し個性化した存在が個性だと感じました。 しかも過去に放たれた光線ではなく、今なお太陽から放たれ続けていると感じました。自分の個性はただいま現在、根源と一体であるだけでなく、同時にすべての存在が根源から放たれている光だというイメージを経験したのです。そこで謙虚さと自己信頼をあわせもつ心境を味わいました。
こうしたささやかな個人的な体験を下地にして、私は冒頭に述べた信念を有しています。
私はこの正月に、地元の神社にお参りしました。近くに3つの神社があるので、それぞれに初詣させていただきました。また先日は足を延ばして有名な神社へお参りしました。
こうした神社の神様は、人間に比してはるかに尊い存在として大宇宙の根源の心を体現されている存在だと仰いでいます。そして日本を太古のいにしえから導いてくださった存在であると敬っております。またその地域の自然と一体となったエネルギーでもあるように思います。
神社でどんな内容を祈らせていただくかで、年末にハッと気づかされたことがありました。
私は大みそかの日に自宅でささやかにお餅をついたのです。そのお餅を自宅の神棚に捧げました。 その時にふっと「人間心を通すために神に祈るのはおかしい」という思いが湧きました。「神様の御心を実現するために自分の個性があるので、神のみ心を実現するために努力します、との趣旨を祈…

怠惰について

怠惰とは何かと追究すると、「個性が働かない状態」が「怠惰」であると定義できると思います。 個性はその人らしさであり、個性が働くとはその人らしいエネルギーが生き生きと動いている状態です。それが停止する状態が怠惰だと言ってよいと思うのです。
この意味で怠惰とは、言葉を換えると「固まっている状態」を意味します。 固まるとは、その人が自分らしくない状態で固定して変化しなくなることです。 現実には動作が鈍くなり動けない状態になる場合が多いと思います。一番わかりやすいのは、うつの時です。うつの自分を見ると、本当に固まって動きを止めています。
体が動きまわっていても、その人らしさが消えて、その状態がずっと続く場合も固まっているといえます。個性が発揮されていないので、これも怠惰の一種です。肉体が動き回っていても本来のその人らしさが止まっているなら怠惰な状態だと言えると思います。
その人らしさの源泉は実は丹田にあります。 丹田が動くことがその人の個性のエネルギーが動くときです。
うつの時は丹田が動きを止めて、停止しているのではないでしょうか。 誰かのエネルギーののりうつりを受けている時も、その人らしさが決定的に損なわれていますので、やはり丹田は動いていません。
こういうときは丹田の部分に別のエネルギーが入り込んでいるように感じることもあります。まるでヤドカリです。貝の本体が追い出された後に、ヤドカリがそこを住まいに入り込んでいる状態です。
人生では大変ショッキングなことがあると、引きこもって動きたくなくなる時もあります。大病で入院する時もそうです。病気で肉体が苦しい反面、現実から逃避できるのでほっとする気持ちが起きる時があります。
こういう人は、怠惰に罪悪感を持っていることが少なくありません。 自分が怠惰になることを許せないのですが、肉体が苦しんでいると、怠惰になる口実ができます。周囲への口実でもあるのですが、一番は自分が怠惰になることを許すための口実です。病気にでもならなければ長く休むことを自分に許さないタイプの人は少なくありません。
こういう人ほど、「怠惰になりたい自分」を否定せずに認めてあげることが必要です。 そうしないと頑張りすぎて、肉体を壊すところまでやりすぎてしまいます。 人生には休憩する時も必要です。じっとしてエネルギーが回復するのを待つ時期も必要です。そのときに「怠けたい、怠惰になりたい」と思うこ…

焦りについて

焦りが起きている時は、自分を見失っている時だと思います。 本来の自己からずれている。 焦っているのはそういう時だと思うのです。
焦っている自分を見つめてみると、その時にもっぱら忙しく動いているのは思考であることに気づきます。
未来を考えて追いつかずに遅れていることにネガティブになっている。 過去を考えて、こういう自分になった過去を悔やんで否定している。 人と比較して劣っている自分、遅れている自分を否定している。
全部思考の働きです。思考は未来に行ったり過去に戻ったり、他人とくらべたり、目標と現実とのギャップを考えたりと、忙しく動き回ります。 その頭脳の動きが、「いま、ここ」を感じなくさせていることに気づきます。
いま、ここにある自分が、いまここで何を感じ取っているのか。 焦っている状態だと、それに意識が向いていないこと気づきます。 ゆえに自分の心が、いまここで何を映し出しているのかに気づきません。 大事なことが観えなくなっているのです。 これが焦っている自分の姿です。
忙しくあちこち動き回る思考の働きをいったん中断し、いまここに集中して感じる訓練が私には必要だと、気づかされた次第です。 いまここに集中し、自分の心が何を映し出し、何を感じ取っているのか、それに注意を向ける努力こそが、焦りでずれた自分を元に戻すことではないでしょうか。
種村修 <連絡先> 電話 090-8051-8198
メール tanemura1956@gmail.com