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自己否定の氷を溶かす⑦

「自己否定の氷を溶かす」の連載はここで最終回となります。
今回は、自己否定の氷(トラウマ)を抱えている人の話を聴かせていただくとき、聴き手がもつべき心構えを述べたいと思います。
まず自己否定のきっかけとなった苦くて(にがくて)酸っぱい体験を否定したり拒絶してはいけません。その方が、いやな経験をした時の感情を思い出し味わうことによって、その苦さや酸っぱさは甘さに変わることを知っている必要があります。それを避けては成長はありません。それが向き合い味わうということです。
トラウマ経験を思い出すことは、時には症状が悪化するように見える場合もあります。 しかし、トラウマ体験そのものではなく、その時の自分の感情に焦点を当てて見つめ味わってもらうのです。誰が悪いとかではなく、その時に感じていた気持ちを思い出し味わうのです。 そしてその奥にあるもの(感情や気持ち、もしくは信念)を探るのです。それが成長につながっていきます。
そういうことを理解し聴くことが、まず聴き手にとっては必要です。苦くて酸っぱい体験に同情し、それを表面的に慰めても、それだけではその方の成長にはつながりません。

同時に、自己否定する以前にもっていた純粋な気持ちを思い出し、それを大切にすることが必要です。結果が悪くても、動機が純粋な場合は、その動機まで否定してはいけません。自己否定する前の純粋な気持ちは肯定するべきものです。
二つ目には、その方の過去現在未来のすべてのエネルギーを観て、その方の可能性や成長を信じて、一緒にそこにいる(存在する)ことが必要です。つまり苦しんでいるその人の現在を見るだけではなく、ずっとさかのぼった過去から、永遠の未来のその人のエネルギーに目を向けて、その人が変化し成長し輝く可能性を信じてそこに居るということです。
そこに居るというのは、気持ちが寄り添っているという意味です。
それによって相手の方の「自分を信じる心」にエネルギーを送ることができます。その人の「自分を信じる心」が、その人の成長を促し、氷を溶かします。
三番目に、決して焦らないで待つということです。これは非常に難しいことです。
聴き手は、ともすれば時間を区切って結果を出したいと焦るものです。それはその人の為と言い訳しがちですが、実は自分がその状態をいつまでも見ているのがつらいから、早く結果を出したいのかもしれません。あるいは自分が関わることで結果が…

自己否定の氷を溶かす⑥

自己否定の氷を溶かすには、自己否定の核にある強い思い込みを転換する必要があります。これがないと最終的に氷が溶けません。 自己否定が自己肯定に転ずるには、思い込みを突き崩して考えを変える必要があります。
人を助けたいと思ったのに、それがかなわずむしろ相手を苦しめたと信じて自己否定した人にとっては、自分の動機を肯定する必要があります。
人のためになしたことであれば、自分に誇りを持つべきです。
良かれと思い相手のためにと思ってなしたのであれば、それは素晴らしいことです。そういう自分を肯定し、自分に誇りを持つべきです。
単純に結果により、その人の反応によって傷ついてはならないと思います。 「人のために」という思いでなしたのに、その結果をみて為したことが間違いであったと自己否定してはならないと思います
人のために尽くしてそこまで自己否定するという人は、きっと情の深い人でしょう。情が深い人が、その情を否定して自己否定で固まって氷になったのではないでしょうか。 感情が豊かな人が、その感情を否定したなら、自分自身を否定することになります。
この自己否定は、結果をみての自己否定でした。 これに対しては、時間の尺度をもっと長く持つが必要があるのではないでしょうか。 確かにある時期、とても苦しい状況が出たかもしれません。しかしそれは永遠の魂の歴史の中ではどうだったでしょうか。その経験があることでその魂の成長が促される側面があるのではないでしょうか。 そういう可能性をしっかり考えておく必要があると思います。
このケースでの思い込みの転換のポイントは、次の3点です。 ①人を救おうとした自分に誇りを持て。動機を肯定せよ。 ②情を否定するな。 ③時間を区切るな。相手を傷つけたと思いすぎるな。
一般的には、他人の反応によって傷つく場合には、三つの特徴があると思います。
一つは、相手がよくなることを期待しすぎている時です。 期待するとその期待を裏切られたときに、自己否定に陥りがちです。期待しないということは難しいのですが、やはり最善を尽しても期待通りに行くことも行かないこともあります。その現実を受け入れて、同時に自分自身を受け入れることが必要です。
二つ目は、自分の手で変えようとし過ぎている時です。 人が変わるのは、さまざまな要素があってのことです。特にその人自身の心が一番大事です。自分の手で変えようとし過ぎる思いは、やはり傲慢かもしれ…

自己否定の氷を溶かす⑤

人が懊悩し苦しんでいる状態は、あたかも心が血を流しているかのようです。 それを目にすると、私たちは何とかその血を止めてあげたいと心を砕きます。
しかし、人が血を流しているとしても、その血はサインだということを見落としてはならないと思います。 サインがなければ、私たちはその奥にある問題に気づくことができません。
肉体にたとえれば、吐血したらそれは胃潰瘍かもしれないし、肺結核なのかもしれません。いずれにせよ、吐血はその奥にある病気の存在を教えてくれるサインです。それが何のサインなのかを見極めることが重要です。
心の流す血は、今までの生き方の反作用かもしれませんし、幼いころから抑圧してきた問題が膨れ上がって抑圧しきれなくなったものかもしれません。あるいは深層潜在意識にある古い心の傷が関係しているものかもしれません。
それが何のサインなのかを見極め、自分の状態に気づくことがスタートです。
それを乗り越えるのは、本人です。その人にはそれを乗り越える力があります。
しかし、その力が出せるためには、その人が自分を信じて落ち着いて対処できるかどうかがとても重要です。パニックになってしまったり、自信喪失してしまえば、つぶされてしまうこともあります。
そういう時にそばにいる方の存在がとても大切になります。それはカウンセラーであったり友人だったり家族だったり、あるいは職場の同僚だったりすると思いますが、血が出ている時にも「大丈夫」と思ってくれる人がいると落ち着くのです。
これは本人の「大丈夫」と信じている部分を一緒に信じていることになります。 人の心には、不安で揺れる部分もありますが、一方には「大丈夫だ、乗り越えていける」という自信に満ちた部分もあるのです。

そばにいる人が不安になったら、その人の不安が増大しますが、そばにいる人が「大丈夫」と信じて動じなければ、自信に満ちた部分が力を得るのです。
過去にさまざまな問題を克服し、血が流れても乗り越えてきた人なら、自分もそれを乗り越えているから「大丈夫」と確信して一緒によりそってあげられます。何を言わなくても、そう信じてそこにいてくれるだけでいいのです。これが必要な存在としてそばにいるということです。
そういう人になるにはどうしたらいいのでしょうか。自分に来たものから逃げない姿勢を貫いて生きることだと思います。何がきてもそれから逃げずに、それを踏み台として成長してきた…

自己否定の氷を溶かす④

心の中にある「自己否定の氷」を溶かすには、熱がいります。氷を肌に抱いて温めると、少しずつ溶けていきます。溶けた分だけ自己否定の固まりが減っていきます。
肌に抱いて温める行為とは、共感です。共感して傾聴し理解することで、氷は溶けだします。
人に聴いてもらうだけが共感ではありません。自分が過去の自分の思いに共感して理解してあげることも共感です。これはとても大事なことなのです。
わかりやすくするために、幼少期に母親にかまってもらえなくていつも一人ぼっちに置き去りにされていた過去がある人の場合を例にとります。
その人は子供時代に寂しいとか、かまってほしいとか、一人ぼっちは嫌だとかを誰にも訴えることができませんでした。だから、そういう思いを感じるとつらいので潜在意識に封じ込めてきました。自分に寂しいという思いがあることを意識できないほどに。
しかし、あるときふと寂しくて涙を流している自分を意識します。その時はなぜかわかりませんでした。「ひょっとしたら母親が一緒にいないので寂しいのかもしれない」という思いが一瞬よぎっただけです。
大人になって、カウンセリングの場でその光景がまざまざと蘇りました。そしてその子供の心に寄り添うと、とめどもなく涙が流れてきました。一人ぼっちで寂しかったのです。本当は温かい母親がそばにいてほしかったのです。そういう思いをずっと封印して生きてきたことを理解しました。
こういうケースは、現在の自分が過去の自分に寄り添い共感できたことを意味します。その時に流れる涙は、まるで氷が溶けて流れ出した水のようです。
同じことは、過去世の自分に対する今世の自分の共感という形でも起こり得ます。その場合は、深層潜在意識にある固まった「自己否定の氷」に寄り添い共感するということを意味します。
イメージしやすいように、物語を使って話したいと思います。
ある人は昔むかし、遠い遠い時代に、ある人を何とか助けてあげたいと思い努力したのに、かえって仇になりその人が苦しみを深めてしまった姿を観て、「自分なんかいないほうがよかった」と、強烈な自己否定をしました。それ以来、肉体が死んだ後も、大きな自己否定の氷の塊を抱いたままのエネルギーになりました。
そのエネルギーはいくつもの時代を経て生まれ変わったとき、誰かを守ろうとして「何とかしなくては」という強い思いが湧きでて行動した結果、不幸にして命を落としました。

自己否定の氷を溶かす③

悩みを抱えている方の話を聴くとき、その人が抱えている自己否定の氷を溶かすには、どう対応したらいいのでしょうか。
一つ気を付けなくてはいけないことは、焦りです。聴き手が、早くよくしていあげたいと時間を限って焦ってしまうと、それが善意であっても害があります。
人の成長にかかる時間はとても個性的です。個性の違いにより、じっくりと変わっていく人もいれば、ある分岐点を境に一気に変わる方もいます。それは人によって大きく異なります。それを尊重することが大切です。
もう一つ聴き手にとって大切なことは、相手の中にどういうエネルギーを観るかです。
悩みを抱えている方の、悩んで苦しんでいるエネルギーだけを感じていると、決してよき方向性が見えてきません。こういうときはともすれば上から目線でこうしたほうがいいと、自分の意見を押し付けてしまう可能性が高くなります。
相手の中に根源的な創造のエネルギーを観ているのか。それとも苦しんでいる姿だけを見るのか。その違いによって、相手から引き出せるエネルギーが異なります。

自分が観えている範囲のエネルギーにしか語り掛けることはできません。善意や熱意が伝わらなくてショックを受けるのは、悩んでいる姿だけをみている時です。その奥にある偉大な可能性を秘めたエネルギーを観ていないので、それに働きかけ、それを引き出すことができないのです。
同時に相手の方に語りかける時は、その方の現在のエネルギーだけを見ていてはいけません。その方の過去のエネルギーと未来のエネルギーの両方にも語りかける必要があります。
その方の過去のエネルギーとは、潜在意識の中に蓄えられたエネルギーです。 その方の未来のエネルギーとは、可能性のエネルギーです。聴き手は相手の中にあるすべてのエネルギーに対して語りかける必要があるのです。
焦りは、今の時間を何とかしようとしている時に生まれます。自分が速く結果を観たいだけのエゴかもしれません。

相手を信じるとは、その成長のプロセスも個性的であることを受け入れて、必ず変わる可能性を秘めていると信じて、働きかけることではないでしょうか。

(続く)
関連記事
自己否定の氷を溶かす② http://tanemura2013.blogspot.jp/2017/12/blog-post_13.html
自己否定の氷を溶かす④ http://tanemura2013.blogspot.jp/2017/…

自己否定の氷を溶かす②

人生では、自分自身が真正面から問われるような危機的な局面が何度も来ます。
そのときに、逃げないで真正面から問題と向き合い、同時に自分の問題と向き合い対決できるか。 それとも問題を誰かに預けたり、自分と向き合うことを避けて安易な別の道に逃げるのか。 その選択が迫られます。
前者、つまり真正面から自分と向き合い問題に取り組むことはとてもつらい選択です。自分自身の弱さや醜さやその他もろもろの嫌な面と向き合わなければならないからです。そして乗り越えなければなりません。乗り越えるとは、自分を成長させることです。成長した自分はそれ以前とは行動も考えも変わっているはずです。
向き合うことに伴い辛さ、それはあたかも苦い食べものを、吐き出したいのを我慢しながら噛んで飲み込むようなものだといえます。いやな経験というのは、味わいたくなくて、吐き出したいのです。記憶から消し去って忘れたいのです。
でももしその時に逃げたら、後日、別の形で自分自身に向き合わされる時が必ず来ます。成長に必要なら、そういうことが起きます。そして自分と向き合い、乗り越えなければ前に進めない状況に置かれます。
まるで、にがくてペッと吐き出した食べものを、もう一度口の中に入れられるようなものです。もう一度やり直せと言われるのです。吐き出さずに味わいなさいと、神様から命じられているかのようです。
でもその問題に真正面から取り組み、自分の弱さや嫌な面を見据えながら、それを克服しようと努力していくと、変わります。苦く感じたものが、甘く甘美な味わいに変わるのです。
この瞬間は、煩悩即菩提の瞬間ではないでしょうか。きっとそうだと思います。
今までの自分の過ちや愚かさや未熟さをさらけ出し、そういう自分を受け入れて、そのうえで何度くじけそうになってもあきらめず自己改善に取り組むとき、運命が大きく回転します。自分を変えていきたいと強く強く願い努力する時に、道が開かれるのです。
苦く感じていたものが甘く甘美に感じ出した時、自分が成長したのだと知ります。試練と見えたものが、実は運命の神様からの自分へのプレゼントだったことを知るときです。そのとき、感謝が湧き上がります。
試練に直面した時は、肚を決めて、逃げないで対決するぞと決意することです、「自分自身と真正面から向き合うぞ。自分を変えるぞ。」 そういう覚悟が絶対に必要だと思います。
自己否定で固まっている心の氷を溶…

自己否定の氷を解かす①

自分が自分の存在を否定して、固まってしまうことがあります。
固まってしまうと、エネルギーが固定するので、その部分の成長が止まるのです。これは、つらい過去があり、その記憶を封印しているときにおきている現象です。
固まる理由は、そこに自己否定が働くからではないかと思います。
例えば、非常に情が深い方がいるとします。 この方は情の深さゆえに、「人を救いたい。誰も置き去りにしたくない。誰かを苦しみのなかに放置したくない」という気持ちを、信念として持っているといます。 こういう方が、良かれと思ってとった行動の結果、よくないことが起き、人を救おうとしたのに見殺しにしてしまったと感じる出来事が起きたとします。
するとその方は、深刻な自己否定をする可能性があります。情が深ければ深いほど、深刻な自己否定に陥る可能性は高いと思います。
そのときの自己否定はこういう気持ちではないでしょうか。
「自分がいるから悪くなった。自分なんていないほうがいいんだ!」
こうして自分自身の心を氷の中に封印し閉じ込めてしまうことが起こり得るのです。
氷というのは一種の比喩ですが、氷のようにカチカチになって自己否定の思いに固まっている状態です。
もしそうなったとしたら、その氷の固まりをどうやって溶かすことができるのか。
トラウマのカウンセリングというのは、固まった氷を解かすことでもあると思います。氷が解けることが、実は癒しということであると思うのです。 それについて、未熟な経験と知識から、これからしばらく方法を探ってみたいと思います。(続く)
関連記事:自己否定の氷を溶かす② http://tanemura2013.blogspot.jp/2017/12/blog-post_13.html

心理カウンセラー 種村修 (種村トランスパーソナル研究所) ※メールカウンセリングや電話でのカウンセリングを行っています。 <連絡先> 電話 090-8051-8198
メール tanemura1956@gmail.com

存在する意味

私はある方の深層潜在意識(過去世の個性)の発する叫びを聴いていました。 それは魂から絞り出す切実な言葉でした。
こういう状態で存在する意味があったのよ。 なのに、どうして過去すべてが幸せだと、あなたは言えないの? この私も存在してよかった、幸せだったと、そう言えないの?
私はこの言葉を聴いて、自分を振り返りました。 そして自分に問いかけました。
<自分の過去に対して、これがあったので自分は不幸だと思っている気持ちはないだろうか。>
<その時の自分が存在する意味を認めてあげず、その時の自分を否定して、いつまでも悔やんでいることはないだろうか。>
ほとんどの過去については、自己否定をやめて肯定へと転じたつもりなのですが、ひとつだけ引っかかっているかもしれないところが残っていました。
それは現役で京都大学農学部に入ったのに、4年間在学し、1年間休学したのちに退学し、自分の意志を貫いて東京に出て、政治的な改革を志して編集関連の仕事についたことでした。京大で左翼学生運動との思想的な対立を経験してから、悩んだすえのことでした。3回生のころから学部の勉強はほとんどせず、左翼が否定する日本のすばらしさを掘り出したいという動機のもとに、京大を卒業することを断念して畑違いの職業を選択したのです。
親との葛藤も深刻に経験しました。また興味関心を失ったとはいえ、大学の学部の試験で納得できる点数がまったく取れなくなってしまったことには強い劣等感を持ちました。それまで試験において劣等生だった経験がほとんどなかったからです。
でも心に傷は残りましたが、意志は固かったと思います。 自分は何をするために生まれて来たのか、何を志して生きるべきなのかをずっと考えたすえの結論だったからです。また自分がこれをなさずして誰がやるのかという気負いにも似た思いも、進路を決めた中にはありました。
結果として、この世的な安定や世間の評価する道を捨てるという決断をしたのは、潔さでもあったと思います。昔の仏教の出家者が世俗への執着をきっぱり捨てたような、人生の退路を自ら断つ気分もあった気がします。

煩悩と苦しみ

煩悩という言葉は仏教、つまり古代インドからきた言葉です。人に苦しみをもたらす様々な欲望や怒りや愚痴・愚かさの総称を指しています。
ウィキペディアには次のように説明されています。 「煩悩(ぼんのう、サンスクリット語: क्लेश, kleśa、クレーシャ)とは、仏教の教義の一つで、身心を乱し悩ませ智慧を妨げるの働き(汚れ)を言う。」
苦しみを生みだし本来持っている知恵をくらますものだから、煩悩という言葉には非常に悪いもの、忌まわしいもの、否定するべきエネルギー、否定されるべき精神作用という印象が濃厚に付きまとっています。
しかし、この印象は自己を探究するうえで妨げになります。 なぜなら、煩悩も自分を知るための大事なサインであり、それを否定し抑圧していくと、自分が分からなくなってしまうからです。根源に向かう道を塞ぐのです。
もっと別の古い文明では「煩悩」を、「情」や「感情」などの意味を持つ言葉で表現していたようです。そういうとらえ方をすることで、「煩悩」という言葉にまつわる否定的な印象を拭(ぬぐ)い去る方がいいと思います。
煩悩即菩提という言葉があります。大乗仏教で唱えられた思想だと言われていますが、もっと根は古いのではないかと思われます。この考え方をした古代インドでは、本来煩悩は尊いものとして扱われていたに違いないのです。
なぜなら煩悩があるからこそ、それを足掛かりに自己に辿り着けるのですから。煩悩があるからこそ気づきがあるのです。これが煩悩即菩提です。もともと釈迦仏教が煩悩を見つめる訓練をしていたのは、そこから悟りに行きつけるからではないでしょうか。
仏教の歴史2500年の過程で、煩悩は滅すべき邪悪なエネルギーというイメージが固定化しました。しかし、今風にいうと、煩悩は「サイン」なのです。心の発する「合図」なのです。だからそれに気づけばいいのです。それが自己を知る手掛かりになるのですから。
結局、煩悩も、煩悩から生じた苦しみも、心の合図であり心のサインです。自分から出たサインなのです。
煩悩や苦しみを感じたら、自分の心の声を聴くときだと思ってください。苦しみは「自分を分かってよ」というサインだからです。サインだからこそ、苦しみは、自分が自分のことを分かるまで続きます。
例えば、あることですごく腹が立ち怒りが出たとします。何故そんな怒りが出るのでしょうか。ある一つの事象があっても、それで…

見たくない気持ち

私たちは、自分の中から本当に見たくない気持ちが出ると、それを否定し、拒絶するだけでなく、それを破壊したい気持ちも出てきます。
見たくない気持ちとは、醜い(と感じる)欲望であったり、嫉妬や競争心、殺意など、さまざまなものがあると思います。それは仏教では煩悩といわれているものです。
でも、それを見ないことにしたり、ないことにするのではなく、そういう気持ちを持つ自分を受け入れ、そういう自分を理解すると、私たちは変化します
私たちは宇宙のエネルギーによって創られています。というより宇宙のエネルギーが分化した個性が私たちそのものです。
ゆえに自分が本当に自分を理解することが、宇宙のエネルギーを理解し、知ることになるはずです。
この宇宙のエネルギーは、自分の個性の根源のエネルギーであり、その根底にある超越潜在意識でもあります。
自分を知るということは宇宙のエネルギーを知り超越潜在意識を知るための手がかりです。自分が分からないと、そこには到達できません。
そこへ到達するには、自分を知ることが必要です。
だからこそ、自分を正当化してごまかしたり、感情を抑圧したり封印して置き去りにすると、自己の根源にはたどり着けないことになります。
心理カウンセラー 種村修 (種村トランスパーソナル研究所) ※メールカウンセリングや電話でのカウンセリングを行っています。 <連絡先> 電話 090-8051-8198
メール tanemura1956@gmail.com

隠した感情

私たちは、無意識的に自分の感情を隠してしまうことがあります。本当は感情の声が聞こえているのに、聴かないで、そんなものは無いようにふるまい、本当に自分から隠してしまうのです。
隠された感情は、取り残され、潜在意識に蓄積されていきます。エネルギーとして溜まっていくのです。溜まりすぎたエネルギーはいつか必ず自己主張します。隠された感情はどこかで気づかざるをえないようになっています。
感情を隠すと、取り残された感情が潜在意識に蓄積されていきますが、それをどのように気づかせるかという点では、個性によって特徴があります。少し蓄積した段階で気づかせる個性もあれば、隠したままにしておいて気づきやすい段階まで蓄積するままにしておくという個性もあります。
ですからカウンセリングでの人の導き方は、千差万別です。個性を無視した一律の導き方はできません。相手に寄り添って、よく聴きながら、心で個性の声を感じ取りつつカウンセリングを進める必要があります。
ある方は知人から「あなたは本当に幸せなの?」と聞かれて、考え込んでしまいました。自分は豊かで幸せだと思っていたのに、あらためて面と向かってそれを聴かれたときに、即答できない自分がいました。「幸せで豊かです」という本音の自分を否定して「まだまだです」という癖が、この方にはあったのです。
これはささいな問題に見えて、実は根深いものがありました。この方は根深く自己否定の癖をもっていて、自分を認めることがとても苦手だったのです。
実は深層潜在意識の奥にどうしても肯定できない自分を経験した強烈な記憶があり、どうしても自分を受け入れることができないで苦悩した時間がとても長く続いてきたのです。自己否定の癖はそこに起因していました。
さて、「隠された感情」、言い換えると「取り残された自分」の癒し方についてお話します。
まず前段階として、隠された感情があふれ出てきたときに、全身で表現しているその感情を感じ取ることが大切です。隠された感情は、どこかで何らかの形であふれ出てきて気づかざるを得ないようになっています。そのときに、しっかりとその感情を感じ取り味わうことが大事なのです。「私は本当はこんなふうに感じていたのね」、と受け止めることです。
そして、あたかもその感情がないかのようにふるまっていた自分を理解し、その気持ちにも寄り添います。
そのうえで、「こうしよう」もしくは「こうした…

自己否定と成長

カウンセリングでさまざまな人の話を聴いたり、自分の人生を振り返ってみて感じるのですが、人間というのは魂が大きくなるために実に様々な経験をしていると思います。 「魂が大きくなる」というのは、言葉を換えると「心が成長する」ことです。
不幸と見える極端な経験であっても、それを通してしか学べないことがあると思います。その時にできた心の傷を癒しつつ、「何を学ぶための経験だったのか」と問いかけ、その経験の意味に気づけると心は成長します。
その結果、あれほど苦しみ嫌なことだと思ってきたことが、感謝に変わります。「この成長のためにはこういう経験が必要だった。障害物と見えたのは、ジャンプ台だった。」 そう気づけると感謝に変わるのです。感謝が湧き出たら、その経験は卒業したと考えてよいと思います。
そうした体験を数多くすると、経験することのすべてを肯定できるようになっていきます。この肯定は善悪の善という意味ではなく、魂の成長にとって意味のある有り難いこととして肯定できるのです。
とりわけ肯定するようになるのは自分自身です。
とりわけ心に傷を負うような経験では、ほとんどの場合「自己否定」をしています。この自己否定によって、自分を委縮させたり、個性をゆがめたり、個性の生き生きとした発揮ができない状態に陥ります。
現代はうつで苦しむ人が多いのですが、うつの人は必ず深刻な自己否定を抱えています。うつは自己否定の病気だと私が思うのは、現在・過去・未来にたいして自己否定し、自分の能力や人間性や人生を否定し、深い自己不信を抱えているからです。
誰にでもある自己否定ですが、「自己否定をとるプロセスこそが心の成長」だと思います。
自己否定を取って現在の自分を抱きしめたとき、また過去や未来の自分をも抱きしめたときにこそ、心は成長するのです
ですからうつの時は、自己否定の思いと向き合っている最中ですので、最も成長のチャンスに遭遇しているといえるのです。

関連記事:自己否定の氷を溶かす①
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