私は、職業を変える必要がある時が、何度かありました。そういう時は決まって、それまでの職業で成長の限界が来ており、元気がなくなっている状態が慢性化していました。
夜明け前は最も暗いものです。過去の最悪の時に自分自身の心身の状態がどうだったかを振り返ることは、同じような局面に差し掛かっている人にとっては、役に立つかもしれません。また私自身も、当時のことを振り返って今その時の反省が生かせているか、時折は点検する必要があります。その意味で、行き詰まりの極致にいたときの自分の内面を振り返ってみたいと思います。
当時の身体の状態は、丹田のある下腹部のあたりがカチカチに固くなっていました。まったく柔軟な思考ができない状態で、その精神状態と身体は連動しているようでした。胃も固くなっており、指で押すと痛みを感じました。これは心労の現れでもありました。
その時の私は、一つのことから一つのことしか学べない、硬直した思考の状態でした。あることが起きたら、その原因はいろいろあるはずです。少なくとも3つぐらいの原因が複合的に関わっているはずです。にもかかわらず一つしか考えられませんでした。
家庭でも職場でも、自分のことばかり考えており、一人の生活については考えていても、一緒にいる人との生活や一緒に仕事する人々をカバーする考え方ができませんでした。
知識を仕事の適用するときに、その知識が本当かどうかを自分が実際に確かめないまま、ある本に書いてあったからというだけで信じて使おうとしていました。それがどういう結果をもたらし、どういう点に注意しなければならないか、さまざまな可能性や危険性を確かめないままです。
これは、たとえて言うと食材を発注するために在庫確認するのに、アルバイトの人に確認してもらった数を鵜呑みにして、責任者の自分は直接確認しないようなものです。これでは誠がないと言われても仕方がありません。
当時は自分の失敗や苦しみについて、誰かの責任や他人からの影響を常に考えて、それを言葉にも出していました。自分こそが問題であるにもかかわらず、他者の影響ばかり気にして、自分が抜け落ちているのです。
百歩譲って、もし自分が誰かの影響を受けたとしても、それを呼び込むきっかけになる行動を自分はしたはずです。それをこそ振り返る必要がありました。
まず自分の内側を問題にして、内に問いかけるのは、杉の木のようにまっすぐ上へ伸びていく思考です。
これに対して、原因を自分の外に探して、外側を問うのは、蔦(つた)の思考です。蔦は絡まっていくばかりでまっすぐ上に伸びません。感情が膨らんで感情に流されていくときも、蔦(つた)の思考に陥りやすくなります。
蔦の思考とは、要するに物事の原因や本質を探し求めようとしていない状態だと言えます。えてしてこういう時には、怠けものの思考に陥ります。自分の至らなさに目をやり、自分を変えることに取り組むのではなく、人に頼って何とかできないかと考えます。また、「何が悪かったのでしょうか?」と人に聴いて自分で探究する手間を省こうとします。これは怠け者です。
もう一つ言えることは、こういう時に自分が今どんな感情が湧いているかもわからないことがあることです。今の感情をみようとしても、どんな感情が湧いているのかがわかりません。これは、自分で自分を偽りだましているからです。要するに自分の感情に気づけないのは、自分を隠しており、自分をだましているのです。
自分に正直になり、起きてくるすべてを受け入れる覚悟を決めて、問題を抱えている自分と向き合って、初めてそこから道は開けます。
現実の問題と向き合う時も、いくつもの可能性を検討する必要があります。一つや二つの原因と対策を考え付いたぐらいで満足してはいけないのです。あらゆる方向から、いくつもの可能性を考えだし、検討する必要があります。すべての可能性には、エネルギーが入っています。そのエネルギーを汲み出すためのも、いくつもの可能性を考えだすことが重要です。
結局、この状態から抜け出すためのスタートは、自分が変わるという決意です。本気で変わるという覚悟です。誰かに頼ったり、何かに頼って変わるのではなく、自分が変わるという決意、そして覚悟が必要です。依存を抜き去った決意こそが、変化を生む秘訣だと思います。
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依存心は自己変革を妨げる
種村トランスパーソナル研究所(所長・心理カウンセラー 種村修)
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
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