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6月, 2017の投稿を表示しています

栄養剤への依存を見つめる

  私はお腹の皮膚に直径 3 センチぐらいの赤い ●(まる) が現れました。 円形の周辺には、 10 個ほどの小さなぶつぶつができており、それが 3 か月たっても消えませんでした。一種の皮膚炎です。 視覚的には皮膚炎は明確にあるのですが、痛くもかゆくもないので、様子を見ておりました。たまにいろいろな皮膚のクスリ、特に副腎皮質ホルモンが入った塗り薬をつけても、まったく変化がありません。 3 カ月過ぎても消えないので、さすがに気になってきました。   専門家にも相談し、原因を色々検討した結果、一番あり得るのは私が毎日飲んでいる錠剤の成分が体に過剰蓄積され、体外に排出するために皮膚に出てきたのではないかという仮説でした。   そこで、錠剤を飲むことを中止しましたところ、 1 か月ほどして徐々に赤い部分が薄くなり、 2 か月目からは周囲のぶつぶつも徐々に消えていきました。 これで錠剤の成分の過剰な蓄積が排出され皮膚に出たという仮説は実証されたも同然でした。 ということは、錠剤をのみ続けることで、本来なら不要な成分が過剰に蓄積されて、体に負担をかけていたということになります。それで身体が嫌がって、それを排泄するために皮膚に押し出し、それが皮膚炎となったと思われます。   この錠剤は、疲労回復のための錠剤で、コンビニでも売っている栄養剤のようなものでした。 私は小さいころから、体質が虚弱だったこともあり、色々な栄養剤や漢方薬を飲んできました。小さい時にそうしたものを飲む習慣がついたので、社会に出てからも、少し疲れてはその時々の健康に良いと言われる錠剤などを、頻繁に使っていました。 近年は、疲れたらドリンクの栄養剤を飲んだり、眠気覚ましのためにエナジードリンクを飲んだりしていました。エナジードリンクに含まれる糖分が気になり出したので、無糖の商品を選んだりしましたが、結構お金がかかるので、一番安くて効き目があったある錠剤だけ絞り込み、それを継続して飲んでいました。   しかし、皮膚炎が起きたので、私は今までの錠剤を多用する習慣を変えるざるを得なくなったのです。 その理由は、大きくは3つあります。

感情を調べる⑥・・・罪悪感

  罪悪感について考えてみたいと思います。 自分が誰かを傷つけたと思ったとき、私たちは罪悪感を感じます。 犯してはいけない何らかの戒律を持っていると、それに反した時、罪悪感を感じます。 子育て中のお母さんであれば、子供を叱りすぎて、あとでひどく落ち込み、深い罪悪感を感じる人は少なくありません。   私は人間に与えられている感情は、どんな感情であれ、生きていく上で必要な機能を持っているものだと思います。 罪悪感も、行き過ぎた行動に対するブレーキの役目を果たしていると思います。 その限りでは、罪悪感の役割は大切であり、このブレーキがないと人は犯罪や社会ルールを犯して平気になってしまい、ついには社会的な生活が成り立たなくなると思います。   しかし、罪悪感をずっと持ち続け自分を罰し続けるという心理は、やはり克服すべきだと思います。 「自分は今、ブレーキを踏むべきだ」ということを教える一種の サイン としての罪悪感は受け入れますが、罪悪感で自分を責めさいなむ心理状態に陥ることは、問題です。 これは勇気をもって乗り越えるべきであると思います。 なぜなら、罪悪感は自己否定へとつながっていくからです。 罪を犯した悪い私、誰かを傷つけた悪い自分、子どもを叱りすぎる悪い親、そういう自己否定は、ネガティブな自己像を固定化させ、健全な心の成長を損なうからです。   罪悪感に伴う自己否定は、本当の問題を理解することの妨げにもなります。 何が本当の問題なのかは、じっくり心を見つめないとわかりません。 例えば子供を叱りすぎた母親の場合、自分が幼少期に親から叱られて恐ろしかった記憶が心の傷となっており、その恐怖心が怒りに加わって制御できないような激しい怒りになっていることがあります。この場合、過去の恐怖心に憑りつかれた状態が終わると、どっと落ち込み、自分をは駄目な親だと自責の念にかられます。 この怒りのからくりは「感情を調べる⑤・・・恐怖心と怒り」に取り上げました。 http://tanemura2013.blogspot.jp/2017/06/blog-post_7.html  

感情を調べる⑤怒りと恐怖心

  怒り と 恐怖心 は、しばしば密接なつながりを持ちます。   まずよくあるのは 怒りの奥に恐怖心がある場合 です。 人も動物も、恐怖を感じたときに、怒りを発します。 怒り、攻撃の姿勢を示すことで、自分や家族を守ろうとします。 恐怖心が根底にあると、怒りは制御できないものとなりやすくなります。 怖いので過剰防衛するために、過剰攻撃をしやすくなり、攻撃し過ぎてしまうからです。 ですから、怒りを見つめる時、その奥に潜んでいる恐怖心を見つめることは、怒りを理性的にコントロールするうえで大変重要になります。   もう一つの怒りと恐怖心の関わりとして、 怒りに恐怖心が乗っかってくる場合 もあります。 この典型的なケースは、子供時代に親に怒られて嫌な思いをしたにもかかわらず、親になって子供に同じように怒りをぶつけているということです。 子供のわがままな行動を見て怒るのですが、単にそれだけなら極端な怒りにはなりません。 子どもへの怒りが統御できにくいほど膨らむときは、子供時代に味わった親への恐怖心がその怒りに乗っかっていることが多いのです。 子どもを育てていると、同じ年齢の自分の子供時代の気持ちが思い出しやすいことが知られています。したがって、子供時代に親への恐怖心を体験し、心に刻んでいると、子育ての過程で割と簡単にその時代の記憶とつながります。 恐怖心が加わって膨らんだ怒りは、非常に激しいものとなるので、子どもに言い過ぎたり体罰をしてしまったりします。恐怖心が去ったと、我に返って、子どもにここまで怒ってしまった自分に自己嫌悪を感じ、ひどく落ち込みます。 このようなときには、怒りの奥にある、自分の幼い時期の感情、特に恐怖心を思い出し、それが今の怒りと結合していることを自覚することが大切です。 自覚できれば、恐怖心に無意識に振り回されることを制御できるようになります。   自分を見つめることは、自分の心を統御するためには、とても大切なのです。   <関連記事> 感情を調べる①怒りと投影 http://tanemura2013.blogspot.jp/2

共時性と御神籤(おみくじ)

  共時性という言葉は、不思議な導きとか、不思議な偶然の一致とか、なにがしか目に見えない、通常の物理法則を超えた働きを感じ取った時に使う言葉のように思います。物理的な因果関係はないはずなのに意味のある因果関係をそこに感じ取るとき、その現象を説明する言葉として「共時性」という言葉を使います。 そこで大切なのは、「意味」を感じ取るということです。   先日、東京の愛宕神社へお参りさせていただきました。男坂 ( 出世坂 ) と呼ばれる急こう配の石段を登ってお参りし、個人的な願望を祈らず、ただ感謝しました。そのあとでお導きをお願いして心を澄ませていると、おみくじ(御神籤)を引いたほうがいいという気がしたのです。   引いた御神籤の裏側を見ると、「神の教」という中に、こう書かれていました。   「天地一ぱいに広がる力、神とひとつになった時 肉体に制約する人間の力は、誠にか弱い小さいものであるが、神様に通じ、神様と一つになりきれば、果てもなく強く大きくなって行く。さればひたむきに神様をあおぎとうとび、神様を信じ敬い神様と御一体になるまで拝みつづけ念じつづけましょう。」   非常に深い内容で、心で噛みしめたいと思いました。そして表側をみると「小吉」で、こう書かれていました。   「闇(くら)くて見えない道も月がさし初め、明るくなる如く幸福次第に加わる運ですから、あせらずさわがず静かに身を守って進むべき時に進んで何事も成就すべし」   つまりは、今の自分の運勢は夜ではあるが、晴れ渡る月の光に、うれしくありがたいことに進むべき道がはっきりと照らされているので、感謝してしっかりと進めという内容でした。   中心となる社殿での祈りの後、いくつかの摂社に参拝しました。 摂社には、お稲荷様や恵比寿・大国さまが祭られていたので、この世的な家庭の繫栄ということをお願いしました。すると、もう一度おみくじを引くべきだという思いが湧いたので、実は期待して引きました。   今度の御神籤の「神の教」にはこうありました。   「ご飯食べたり、着物をきたり、勝手いうのが能じゃない