私の小さな経験から、人への拒絶感情、拒否感情について考えてみたいと思います。
私はある時ある場所で、一緒に働いていた職場の若い子に対して、強い拒絶感情が湧くのを感じました。
彼は、仕事中に人に話しかけて、自分のことを色々と心の内面にわたって話す人でした。職場の人は、仕事と無関係なことで話しかけられると注意がそがれるので迷惑に感じていました。そしてともすると彼が心理的に接近しすぎることには、特に女性は気持ち悪さを感じるようでした。
上司や先輩からは「口にチャックをしなさい」と、いつも言われていて、叱られていましたが、それが度重なるうちに、めげて、失敗が増えだしました。
私は彼を見ていて、母親とのコミュニケーションに飢餓感があり、職場ではそれを穴埋めするコミュニケーションが欲しいのかもしれないと感じていました。普段はうるさく感じつつも、共感的に理解しようとしていたと思います。
それがある日、彼に対して非常に強い拒絶感情が出てくる自分にびっくりしました。彼を否定する感情が出て、排斥する気持ちを感じたのです。
しつこく出てくる拒絶感情に違和感を持ち、自宅に帰ってからじっくりと自己分析しました。
するといろいろな理由が複合的に働いていることに気が付きました。
一つは、職場の人たちの彼に対する否定の集合想念を吸い込んでしまって、それゆえに非常に強い拒絶が出た可能性が高いことです。その場の空気というやつです。これを吸い込むと、自分もその感情に染まって引きずられていきます。
二つ目は、彼の持っている仕事への不熱心さ、仕事を軽く見ていることの反発です。これは彼の仕事への姿勢のなかに、やはり問題を感じ取って、それに対して私の心が反応していると感じました。
三つめは、自分自身の状態を彼に重ねた無意識の拒絶です。私はこの日に、ある問題に心がとらわれて、雑念がなかなか去らなくて困っていました。つまり私は心の中でおしゃべりが止まない状態だったのです。そういう自分が嫌でしたが、この嫌な自分を彼に重ねて、彼を否定したのです。もちろんこれは無意識に働いた心理です。
第四には私の疲労がありました。この日は疲労がたまっていて、本来なら持てるはずのゆとりのある心の状態を保ちにくかったのです。私の個性が発揮された状態であれば相手を受容し理解しようとするのですが、この日はそれができず拒絶・否定に傾いたのです。
以上のような複数の原因を分析したのですが、ではどうすればよかったのでしょうか。私の仕事を導いてくださっている神様がいらっしゃると想定してみて、その方は何と言われるだろうかと考えてみました。
二つの視点が思い浮かびました。慈愛と自立という視点です。
慈愛の視点でいうと、やはり彼自身を拒絶するかのような極端な否定の感情は行き過ぎです。職場の集合想念に引きずられ、疲労からそれを止められなかった自分に問題があったと思います。
もう一つは、仕事の経験が浅い彼に対して、彼の自立を促すような注意の仕方ができていたのだろうかという反省です。おしゃべりで職場を乱している彼に注意しないで黙っていると、あとで周りの女性陣からクレームが来たことがあるので、それで先回りして注意をしたこともありました。その時の私の気持ちは自己保身が入っていて、彼の可能性への信頼を持ったうえで自立を促すというような思いの持ち方はできませんでした。
こう考えてみたときに、私の未熟な側面を、彼が映し出していることに気が付かされます。拒絶感は、本当はその人を否定しているのではなく、自分を否定し拒絶しているのかもしれません。
ささやかな経験を開示させていただきましたが、自分と向き合い自分を知る上で、感情に焦点を当てることは、とても重要です。自分の感情には、自分を知る手掛かりがあります。考えたことはすぐ忘れがちですが、湧き上がった感情はいつまでも覚えているものです。
感情を手掛かりに、是非ご自分と向き合ってみてください。より深く自分を知ることができるに違いありません。
種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー種村修)
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