2016年8月24日水曜日

洗脳の後遺症を治癒するための夢分析



宗教による洗脳は、深い影響をその人に与えるために、脱会してからも後遺症の除去には時間がかかります。
往々にして夢は、後遺症の存在とその内容を示すサインとなります。従来所属していた宗教にまつわる夢の分析は、非常に重要です。

十数年前まである宗教の職員、いわゆる出家をしていた経験を持つOさんは、ある明け方、夢をみました。

「私は夢の中でその教団の職員をしていました。そこでは職員に対して次から次へと勉強を要請されており、職員たちは数学の勉強をしていました。公文のテキストにとり組んでいる人も何人かはいました。私は同じようにその勉強をしなければと思いながら、少し引いた立場にいたようです。職員時代に味わった、追い立てられるような気持ちがのこっている状態で目が覚めました。」

Oさんによると、この宗教は職員を競わせ、次々と勉強や新しい仕事にまつわる知識の習得を要求していました。それによって、職員を息をつかせない状態におき、常に周りと競わせ、その結果によって優劣をつけます。一つの分野で優れたものをもっても、別の分野、例えば数学(注:これは象徴的な表現です)という宗教とは一見関係が薄いものを学ばせて、競わせるので、職員は常にせかされて追い立てられているのです。
こういう競争状態に常に置かせることで、教祖は弟子が団結することを防止し、教祖の意のままに分断してコントロールしやすい状態においていた気がすると、Oさんは回想しています。

さて、知識の集積は、自分の心の内側を探究するのではなく、外へ外へと意識を向けさせます。本来の自己は何かという、最も本質的な内側への目を閉じさせて、外へ外へと意識を向けてゆきます。常にあたらしく有用な知識が蓄積されていかないと、不安に陥るようになっていきます。

長くこの状態に染まっていると、次第に超越的な存在の一部である価値ある自己を忘れていき、外から何かをつけ足さないと価値が減少してゆく、という自己感覚を、身につけるようになっていきます。

自分の存在自体に価値を見いだせないものは、自分を見失い、自己を喪失します。そして、上や外から与えられる評価つまり有能さや有用性の尺度で自分の価値を図るようになるため、非常にコントロールされやすくなります。

Oさんは、勉強が好きで知識を習得することが好きなタイプでしたが、そこには常に不安と焦りの気持ちが伴っていたといいます。その原因が、かつて身を置いた教団で受けてきた教育にあったことを自覚しました。

Oさんが経験した心の状態は、宗教を関係なく、競争社会に身を置く人が共通して経験することです。有用な知識を身につけること自体は仕事をする上で大切な働きをしますが、その過程で自己の存在の価値を見失い、自分が持っている知識の量や得た資格や残した業績など、自分の外にばかり眼を奪われていくことは危険な面を含んでいます。

なぜなら、有能性や優秀さが証明できなくなったり、有用な役割ができなくなった時に、一気に価値喪失、そして絶望へと陥るからです。この状態は、組織や人にコントロールされやすい状態だと言えます。

Oさんが夢で気づかされたことは、知識を得なければならないという焦りの奥にある強迫観念が、かつての所属宗教で植え付けられたものであること。そしてその結果、自分の存在そのものの価値を見失う、つまり自己信頼を失う傾向性と危険性が生じていたということです。

このように、夢はその人の持っている心の問題の所在を、独特の言葉(イメージ)で表現して、教えてくれることが少なくありません。

Oさんのように、かつての宗教の夢の場合は、その宗教の乗り移り(宗教的には憑依霊とも言われます)が来ていることもあります。

しかし、それはその人の課題がどこにあるかを示してくれているのです。その点を見極めることができると、悪夢であっても、心の成長を促し、洗脳の後遺症を癒すヒントを与えてくれる有意義なものと変わるのです。

種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー・種村修)
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メールアドレスtanemura1956@gmail.com
℡:09080518198


2016年8月14日日曜日

不安と無気力を考える



1.無気力の奥に不安が潜んでいることがある

私たちが無気力に陥っている時、それが不安から来ていることが少なくないように思います。この場合、無気力に対処するには、まず不安と向き合う必要があります。

私たちがよく経験する不安には、二種類あると思います。

一つは、自分は何か大切なものを失うのではないかという喪失への不安です。

これは、自分の信用やお金や社会的な立場や世間体、大切な人や家族、自分の健康や財産など、大切なものを失うのではないかという不安です。
喪失への不安が強まるときは、「失いたくない」という執着、つまり我欲が非常に強くなっています。我欲が強くなればなるほど、失うことへの不安も強くなります。
こうした場合、失うことを回避しようと必死になることもありますが、事態が自分の手に余ると思うと無気力に陥り、無為に沈みます。

もう一つは、漠然とした未来への不安で、対人関係や仕事や学業がうまくいかないのではないかという不安や、自分の老後の生活や子供の将来、あるいは親の介護などへの不安です。貧困になる不安もあります。
未来をとても暗く感じ、将来への不安がつのります。
未来への不安を感じると、将来への危機感から備えを努力することがありますが、危惧する事態に対応する自分に自信がないと、不安自体が膨らんで無気力になってゆきます。

いずれの場合でも、そうした危惧するような事態が来た時に、対処する自信がない、それを乗り越えてゆく自信がない、要するに自己信頼がない時に、人は無気力に堕してゆくのではないでしょうか。戦う前から気力が萎え、戦闘意欲を失ってしまうのです。

2.不安が実寸よりはるかに大きく見えていないか

要するに、自分の対処能力と不安を比較した時に、不安のほうがはるかに巨大に見えている時は、人は戦闘能力を失い無気力に陥ります。

こういう時は不安が実寸大に見えておらず、はるかに巨大に見えているのです。不安が巨大化して見えており、大きさを勘違いしている状態であるとも言えます。

ですから、その不安は本当はどの程度の大きさであり、自分には本当に対処能力がないのか、それとも普通の人でもある程度努力すればできるのか、それを冷静に見極めようとすることが大切だと思います。
冷静になって、人の経験も参考にしながら、具体的に不安の中味を検討してゆくと、不安が実寸大に捉えられるようになり、すると対処可能性が見えてくるし、今なすべきことが見えてきます。

その不安も、努力で解決できる範囲内であると見えてくると、挑戦する意欲が出てくるものです。

また具体的に検討するすべが分からない場合でも、「神様は私たちが背負えない課題はお与えにならない」と信じ、自分にそう言い聞かせることで、不安に位負けして気力が萎える事態は避けられます。

3.今、ここに集中する

こうした不安は、未来への不安、将来の自分への不安です。

将来が不安になると、意識が「今」「ここ」の瞬間に集中できなくなり、本来の力を発揮できなくなります。悲観的な未来ばかりが心に押し寄せて、今という時間を食いつぶしていくのです。これは取り越し苦労であり、今抱えていない荷物を背負いこんだ状態です。

そういう時は、必ずと言ってよいほど焦りを伴っているように思います。

「今」、「ここ」に集中していれば、今、ここでなす努力の積み重ねが明るい未来を作ってゆくと、そう信じることができます。

しかし、今、ここに集中できず、努力できないでいると、よき種をまかないので未来でも収穫ができず、まさに不安が現実となってきます。自分が不安を実現化し呼び込んでしまうのです。

特に不安がつのってパニックになる癖があると、そこで気持ちが止まってしまい無気力になり足が縮んでしまいます。
しかしこれは自分にのしかかる不安の影に怯えて、歩けなくなっているにすぎません。不安を実寸大で見てみよう、そして今できる努力を積み重ねようと、まずそう思うことです。

不安の時であっても、私たちは自分の歩幅で一歩を歩くことは可能です。
千里の道も一歩からです。一歩一歩の積み重ねが、未来を切り開きます。

未来への不安をひとまずは頭の中から追い出して、「今」、「ここ」に集中して、自分の歩幅で歩きだすことが必要です。
すると幸福な気持ち、いのちが充実する感覚、やる気のエネルギーが湧いてくるのを感じると思います。


4.依存を警戒する

不安が高じて無気力になると、人は不安から気持ちをそらすために、依存する対象を求めるようになりがちです。

依存とは、不安を抑圧するためにゲームやネットにはまったり、飲酒や薬物にたよったり、過食や逸脱した性行為にふけるなどの行為です。不安を忘れたくて気持ちを紛らわせてくれるものにのめり込んでゆきがちです。これは逃避です。

私たちは往々にしてこみあげる不安から目をそらすために、やるべきことにとり組まず、気晴らしに走って気持ちを紛らわそうとすることがあります。
でも依存は実際には不安を抑圧して、現実から逃避しているだけなので、潜在意識下にはさらに不安が膨らんでゆくのを感じています。
こうなると、膨らむ不安からますます無気力になり、さらに依存にのめりこんでいくという悪循環には陥ります。

依存には、物や行為への依存とは別に、人への依存もあります。人への依存は、不安が巨大化し無気力に陥った場合には、ある程度必要です。
ですが、これもやがては自分の足で立とうとしないと、自分の自己信頼を損なう恐れがあります。自己信頼を失い、誰かに頼らないと物事に対処できない自分という、非常に弱い自己像に囚われてしまいます。

何か不安があるたびに誰かに頼る癖をつけると、その成長が止まってしまうので、自分の足で歩こうとする勇気と決意、そして自己への信頼が必要です。

5.大言壮語の裏側にあるもの

努力しないのにプライドだけが高く、大きなことをいう癖があるというケースがあります。実は自分の不安を隠すために、大きなことを言って自分や周りを洗脳していることがあるのです。

自分が本当に実現したい目標であれば、どんなに大きな目標や夢でも、それは努力を促すエネルギーの源となります。ですが、不安を隠すための大言壮語は、自信がない自分を、自分が見たくなく人にも見せたくもなくて、カモフラージュしているにすぎません。

言葉だけカッコいいが、現実の努力が少しも伴わなかったり、あるいはある程度努力をしても、本音の部分で自信がないので突然うつ状態になったりして、感情の起伏が激しくなります。

やはり、「乗り越えられない課題を神様は与えることはない」「今、ここで努力し成長することで、必ず乗り越えてゆける」と信じて、自分の歩幅で毎日一歩ずつ休まずに歩み続けることが大切ではないでしょうか。
(なおここで、「神様」という言葉を使ったのは、「運命」と言いかえても問題はありません。特定の宗教やその教義をさすものではありません。)

不安から目をそらさず、不安に飲み込まれずに、現実の自分と向き合いながら、一歩一歩毎日努力を続けること。これが自己成長への王道であると思います。

心理カウンセラー・種村修 (種村トランスパーソナル研究所)
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2016年8月4日木曜日

疲れと無気力とのりうつり



1.疲れがたまっている時

無気力で何も生産的なことができない時、実は疲れや睡眠不足がたまっていたという場合があります。

本当につかれている場合は、数日前からの睡眠時間と労働や運動を振り返るとわかります。この無気力が、休む必要があるという身体のサインなのかどうかの判断ができます。

休めというサインであれば、ためらわずに睡眠をとったり、休養するべきです。その時は、焦らずに身体の声に耳を傾けて、自分をいたわる時です。

2.のりうつりによるもの

しかし、肉体的な疲れがそれほど激しいはずがないのに、身体が重く疲れて何もできない無気力があります。これはのりうつりを受けている徴(しるし)であることが少なくありません。

よく観察すると、自分がストレスを発散させたくて、むやみに食べ過ぎたり、気を紛らわせたくてゲームやネットに入り込んだり、タバコやお酒や薬物に頼りたくなったり、性的な快感で気をまぎらわせたくなったり、イライラして怒りを爆発させたくなったり・・・。

要するに後で後悔するに決まっている行動をとりたくなっているはずです。
これがのりうつりを受けていることの徴(しるし)です。

こういう時は、のりうつりに操られて後で後悔する行動をしないことが何より大切です。

自分にとってより害のない状態で無為にとどまるか、気分を変えるために健全な何らかの方法をとってリラックスするように工夫します。

何もしないことへの罪悪感や焦りが出ているようでしたら、その焦りや罪悪感ものりうつりの影響である可能性があることに気づいて、むしろまず身体の疲労を軽減するために、仮眠を取るほうがいいかもしれません。

こうして身体がリフレッシュできたら、のりうつりが軽度の場合は、焦りのない状態で仕事や勉強にとりかかれます。仕事や勉強は、まず手につくところからやり始めると、案外はかどるものです。

3.のりうつりへの対処法

のりうつりは、自分の顕在意識でも潜在意識でもない、第三者のエネルギーの支配です。それは自分が持っているネガティブで破壊的な、あるいは欲望のエネルギーを増幅してゆく働きをします。
身体が重かったり、頭が痛かったりという身体の感覚が、のりうつりを示唆していることが多くあります。

ですから、まずのりうつりが来ていることに気づき、この無気力がのりうつりの影響によって生じていると見抜くことが必要です。
自分ではないエネルギーに操られ誘導され、支配されようとしていることに気がつく必要があるのです。

それを自分の思いや身体の休めというサインだと勘違いしてしまうと、間違った行動をします。のりうつりの意図する方向へ、誘導されるのです。

のりうつりではないかと疑い、気づくことが、操られることへの歯止めになります。

のりうつりの存在に気づけたら、次はどうしてのりうつりが来ているか、その原因を心静かに自分に問いかける必要があります。
するといつ、どのタイミングで、どのような思いに引き寄せられてのりうつりが来たかを、感じ取ることができるでしょう。

こうして原因を見抜くことができれば、あとはそれを是正する行動や思いを出してゆけばよいのです。

身体が重く無気力で苦しんでいる時も、今までの自分よりも少しでも進歩した行動をとれるようになってみようと思って、行動に変化をつけてください。いつもの同じパターンにはまり込まないことです。

何かを変化させてみて、その結果をいつもの自分と比較してみます。そうすると、自分なりの対処法、脱却法が見いだせるはずです。


心理カウンセラー・種村修 (種村トランスパーソナル研究所)
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