自分を特別視して肥大した自我を持つ人には、しばしば依存心が見られます。
プライドが高く自分は特別にすごい人間だと、内心思っているのに、世間で通用するような実績や成果が出ないで屈折する人がいます。
素質を持ちながらも、この人の心理の奥に依存心が潜んでいて、それがその人の努力と成長を妨げているのです。
よくあるケースとして、生育過程でその人が親や祖父母から特別扱いをされ、それゆえに自己特別視と依存の心理が育ってしまう場合です。
ある男性の家系では、3~4代前のご先祖の当主が自殺したそうです。それまで栄えていた家は、そこから暗転し、それ以降は、家系には男子が恵まれず、産まれても育たずに早死にし、女性によって細々と血筋が守られてきました。
その男性は、この家系にようやく生まれ育った待望の男児でありました。
ですから、祖父母やご両親の愛情と期待を一身に受けながら、特別な存在として大切に育てらたのです。
この男性にとっては、自分は特別な存在であるということは周囲から植えつけられた、空気のように当たり前の固定観念でした。そして非常に大事にされて育ったので、自分は特別な存在だから愛される、愛されて当然の存在だという気持ちも無意識に育っていたのです。それは依存心につながるものでした。
こうした特殊事情がなくても、普通に長男としてその家に生まれ、祖父母が特別長男をかわいがる場合、よく似た現象が見られることがあります。
長男として生まれた男児を、祖父母が特別愛情を注ぎ、何でも先回りして世話を焼き、母親も同じように手をかけて息子を育てた場合に、それが生じます。
本人は、自分は特別であるという自己特別視を持っており、自分の価値基準に反する学友を蔑視しがちです。無条件に大切にされてきたので、愛されるのが当たり前だという気持ちがあり、人の感情に対して無神経になります。その結果、積極的に自分から人に関わるコミュニケーション能力が育たず、孤独で孤立しています。
彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりやすいのです。また努力が乏しく、人の世話になることに平気です。
こうして「自分は特別の人間だ」という思い込みが、「肥大した自我」を生み出し、それは自分が特別扱いされないと満たされない飢餓感を抱えた心を育てます。この人に接した人は内心では「この人は自分を何様だと思っているのだ」という怒りを覚えがちです。
依存心があるので、自立への意志が弱く、自分に甘いため、本気の努力が持続せずなかなか成功できず、一時期は成功しても継続しないといえます。
私は、こういうケースの場合は、自分が持つ依存心を認めることだと思います。そして、なぜその依存心が育ったかを振り返る必要があると思います。
最大の問題は、自分は特別な存在だから愛されて当然だという思い込みです。
それは育った過程で経験した特殊事例に過ぎなかったはずです。
社会で経験した現実は、努力して成果を出してこそ認めてもらえるし、人のため誰かのために尽したからこそ愛されるということであったはずです。
たまたま長男であったり、特殊な家系に生まれ大切にされたことは、天の恵みであり、あり難いことであったと思います。それは十分に感謝するべき幸運でした。
しかし、その愛に甘えて、愛されることを当然と思い、自分は特別だから愛されて当然だ、色々大事にされて当然だという思い込みは、いびつな間違った認識です。
その人の成長を阻害するその歪んだ認識(思いこみ)を修正し、その人を成長させる新しい認識を育てることが必要だといえます。
種村トランスパーソナル研究所 (心理カウンセラー・種村修)
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