1.連続監禁殺人事件
アメリカの有名なテレビドラマ「コールド・ケース(シーズン5、第15話『地下室』)」を見ました。暗い地下室に監禁され、絶望の中に、まず心が死んでいく被害者女性たちの姿を見ることに喜びを感じ、監禁・殺人事件を重ねた男の犯罪心理が描かれていました。
犯人男性は、子どものころ古井戸に落ちた若い女性を発見しました。何もせず井戸をのぞき込むだけでした。彼女は助けを求めました。しかし少年の無為を悟って生きる望みを失った女性は、ついに力尽きて水に沈んでいきました。
その時を回想し、犯人は警察に告白します。
「あんなに美しいものを始めてみた。」
それは、「あきらめの瞬間」でした。
さらに彼は言いました。
「希望が消えてしまえば死は儀式だ。地下室の扉を開けても、もはや出ようとしなくなる。」
犯人は被害者を地下室に閉じ込め「この世で生きていくための支え」を奪い取り、希望を失い壊れてゆく姿を見ることに暗く歪んだ悦びを感じていたのです。
しかし、最後の被害者はこわれませんでした。結婚式の当日、誘拐され地下室に押し込められていた女性は、漆黒の地下室に横たわるだけの日々でしたが、それでもかすかに歌を歌い続けていました。近くの教会から毎日聞こえてくる讃美歌です。
「悲しみと恐れを追い払い道を照らせ……」
犯人はそれにショックを受けました。
女性警察官は犯人に言います。
「どん底みたいな場所で彼女は美しい支えを見つけた。心がおれなかった。だから彼女はあきらめなかった。すべてを奪われても自分を失わなかった。」
そしてその女性は救出されたのです。
2.眼の光が消える
心がおれる時、人は無気力に沈み込みます。
これは、生きていく心の支えを失い、希望を失った結果としての無気力です。
その前に、自分が壊(こわ)れてゆくことを経験しています。
その結果、まるで自動車の運転中にハンドルを手放したようになります。
ハンドルを手放せば、車はそのまま突っ込んでがけから転落するか、どこかにぶつかるかします。ガス欠になれば、そのままじっと横たわって壊れていくかもしれません。
欲望に振り回されたり、人と衝突したり、自殺したり、寝た切りになって衰弱死したり。
要するに心が折れて壊れ、結果人生が壊れてゆくのです。
その状態はまず目に現われます。
眼の光が消えるのです。
3.それでも一歩踏み出そう
私たちは苦しみが延々と続き、どこまでも努力が報われず、すべての希望が消えたかに見えるときがあります。心の支えを喪失し、心がおれるときです。絶望が希望にとって変わります。
「それでもまだ生きねばならないのだろうか?」
「神は私を見捨てた。神はいなかった。もしいても最大の詐欺師だ。」
「希望は消えた。これ以上生きていくことに何の意味があるのか?」
「人生をあきらめる」
そんな思いが繰り返し湧いてくるかもしれません。
心が冷たく固くなっていくのを感じるかもしれません。
しかし、誘拐された女性たちが暗く狭い地下室に監禁されて数年が経過した時ですら、無事を祈り必死で探してくれている家族がいたのです。私たちにも、心がおれて絶望の地下室から出ることができなくなって死を待つしかない状態であっても、私たちの幸せを願ってくださっている誰かがいます。必ずどこかにいます。それを忘れているだけなのです。
眼に見えない世界にも、守護霊と呼ばれたり、守護天使と言われる存在、あるいはご先祖様や神仏が、じっと見守り応援してくださっていると思います。
いよいよ終わりかと思う瞬間に、それを実感する人も少なくありません。
そうした存在に愛され、導かれ、再起を願われているのが私たちです。
私たちは誰も全員が、世界にひとつしかない、かけがえのない個性です。
だからこそ自分を信じて、立ちあがらなくてはならないのです。
道は必ずあります。かならず道は見つかります。
「今日も一歩でも半歩でも良いから、心を成長させよう」
「ここから自分は成長し向上してゆこう」
そう心にいいきかせて一歩を踏み出せば、足元にかすかに道が見えてくるはずです。
「どん底みたいな場所で私は美しい支えを見つけた。心がおれなかった。だから私はあきらめなかった。すべてを奪われても自分を失わなかった。」
そう言える人生を、共に歩みたいと思います。
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種村トランスパーソナル研究所(所長・種村修)
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