自分を知るためには、
自分の心の闇や触れたくない心の傷にも向き合わなければなりません。
これはすごくつらいことです。
向き合おうとするだけで激しいストレスを感じます。
私たちの心は、もともとこうした負の記憶を忘却することで自分自身(自我)を守ろうとしてきました。
一例をあげると、むごい虐待を受けた人の場合、しばしばその時期の記憶がありません。これは心を守るために、個人的潜在意識に負の記憶を封印してしまっているのです。
しかし、記憶を封印しても、負の影響がなくなるわけではありません。虐待の記憶を連想させる何らかのものに触れると、激しく感情が揺れます。不安や恐怖が起きます。
自分を知るためには、この大変難しい問題に直面しなければならないわけです。
なぜそんなに難しく感じるのでしょうか。
自分のみじめさや深刻な劣等感や、ひいては自分の醜さを直視することになるからです。これは耐えられない苦痛や恐れを呼び起こします。
私も、できれば避けたいと思っていた過去に、どうしても向き合わざるを得ないと覚悟を決め出した時があります。
そのころ、偶然にも私の背中を押して頂くような出来事がありました。
明治神宮に参拝のさい、御神籤をひいたのです。
その御神籤には、「峯」と題する明治天皇陛下の御製(御歌)が書かれていました。
「大空にそびえて見ゆるたかねにも 登ればのぼる道はありけり」
この御神籤に共時性を感じて、ハッとしました。
私はこの歌について、「どのように解釈をすればいいのでしょうか」と、
お伺いをたてるような気持ちで自己対話をしてみました。
すると次のような言葉が心に浮かんできました。
「汝の心の中の地獄をみつめよ。
その地獄を見つめ切るとき、
そこが汝の天国への道となる。
高きに通じる道は、
心の中の地獄をみつめ、
対決してこそ開けてくる。
汝の天国への門は、
そこにこそある。
それが汝の高嶺(たかね)へと通じる道である。
心の中の地獄と向き合うことを恐れるな。」
私は勇気が湧いてくる感覚を味わいました。
自分の最も醜い部分を直視することが、魂の成長へとつながるきっかけになる。
そういわれているように思い、鼓舞されたからです。
自分の人生の嫌なことも辛いことも、
自分にとって人生の高嶺に登る踏み岩なのだと思います。
自分を知り、個性を極めてゆく道が
きっとそこから開けると信じたいと思います。
大空にそびえて見ゆるたかねにも 登ればのぼる道はありけり
自分の人生の嫌なことも辛いことも、
自分にとって人生の高嶺に登る踏み岩なのだと思います。
自分を知り、個性を極めてゆく道が
きっとそこから開けると信じたいと思います。
大空にそびえて見ゆるたかねにも 登ればのぼる道はありけり
このお歌を思い起こしながら、自己探求を続けたいと思います。
種村トランスパーソナル研究所
種村トランスパーソナル研究所
心理カウンセラー・種村修
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