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(投稿)洗脳解除の課題――自己確立のための自己対話

(ご紹介)
 洗脳宗教を退会された方が、どのようにして自分を保って、自己確立をしてゆくかという問題は、洗脳解除では大きな課題です。投稿者は伝統的な神社や仏閣にあるパワースポット、いわゆる結界のなかで自己対話することで、自己確立を目指されています。自分が自ら心で感じ取っていくという方法は、依存を離れて自己確立する際の有効な方法であると思います。本ブログの読者である投稿者のご厚意に感謝して、掲載させていただきます。


(投稿)
 ある洗脳宗教を退会して以来、神社、仏閣巡りをすることが多くなりました。そうした私を人は、いまだ宗教に救いを求めて、さ迷っているとみるかもしれません。しかし私は、救いを得るために、そうしたスピリチュアルスポットに出向いているわけではありません。むしろ、何ものにも依存しないために、そこに向かうのです。

 そもそも私にとっての宗教とは、依存対象ではありません。ある宗教の信者であった頃、よくその団体の宗教施設に出向いておりました。宗教施設は通常の信者にとっては、祈願をしたり教えを受けるための場所だったと思いますが、私はむしろ、内省を行う場としての意味合いが強かったように思います。

 自らの悩みを、誰かに相談をして解決を目指すことも一つの方法だと思いますが、自己との対話を通して、解決方法が見つかることもあると思います。私は、自らの人生に困難をおぼえたとき、よく宗教施設へ行って瞑想を行っておりました。

 私が退会をしてもなお、スピリチュアルスポットに出向く理由は、ここにあります。心穏やかであれる自分は、こうした、都会の喧騒の届かない場所でしか手に入れられないものだと思うからです。

 そこに、宗教的な教えは求めません。教えより感じるもの、その場の空気、つまり、神社や仏閣であれば、その場がもつ歴史や自然風景などから感じられる自らの感覚を大切にして、お参りをするようにしています。

 新興宗教の教えからみれば、原始的だと受け取られがちな、アニミズムに対する崇拝の念と言いましょうか。そうした尊いものへの畏れを感じる姿勢を持つことは、非常に大切だと思っています。

 人というものは、決して孤独に生きられるものではありません。誰かの手助けがあって初めて、人は強く生きられます。
また、私はこうも考えます。私は、「私」である、という意志が、人を強くするのだと。

 私は、「私」である、という感覚は、生まれながらに誰もが持つ感覚だと思いますが、私がいう「私」とは、他人とはまったく違う「私」。天上天下唯我独尊の本来の意味である、「私」という存在は尊いのだ、と自信が持てる自分自身があることです。また、そうした自信が持てる自分となるためには、自分自身のことを深く理解していなければなりません。

 学生の多くが、就職活動において、自分自身の長所や短所を、どう表現すれば良いか、悩んでしまう理由は、自己理解が進んでいないためです。しかし、世間の社会人をみても、自己理解が進んでいるのかと言うと、そういうわけではないと私は感じます。

 テレビや新聞、インターネットが伝える情報に翻弄される人々が、何と多くいることでしょう。そこには、正しい理解もあるかもしれませんが、間違った判断も往々にしてあると思います。その正邪を見抜く力が、近年の情勢をみるに、乏しくなっているように思えます。

 なぜ、こうした現象が起きてしまうのか。これまで、言ってきたことにつながりますが、確固たる「私」を持たない個人があるからです。そして、そうした個人は、自己との対話不足から生まれると、私は考えています。

 宗教といえば、恐ろしいものだとか、騙されるものだとか、マイナスの受け止め方が多くなっていると思います。特に、ISISの台頭などで、宗教とは、何と恐ろしく、おぞましいものかと考えられていることでしょう。

 しかし、神や仏が存在するという、こうした仮定(とあえて言っておきます)を信じることは、恐ろしいことでも、騙されていることでもありません。むしろ、私を見守ってくれている何かが在ると信じることで、自分自身がたとえ孤独であっても、力強く生きようとするエネルギーが湧いてくるのではないでしょうか。

 宗教の教えに翻弄されて、もう宗教に関わることはうんざりだ、あの世なんてものはない、神も仏もいない、そう言って、投げやりな気分で唯物論者になってしまう人もいると思います。ですが、神仏の存在を信じることで得られた安心感、救われた気持ちは大事にしても良いのではないかと思います。

 頑なな心持ちになればなるほど、精神が弱り、また宗教や自己啓発団体などに、救いを求めてしまうのではないかと思います。

 そうではなくて、表現は難しいですが、自分の精神安定のために、これまで伝統的に信じられてきた宗教を利用するぐらいの気持ちで、穏やかな信仰心を持ち続けることが出来れば、健やかな精神で、一生を終えることができるのではないかと思うのです。


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境界性パーソナリティ障害1…愛情飢餓の苦しみを抱えて

1.決して珍しくない症状



境界性パーソナリティ障害は、最近増えつつあるのですが、対人関係が難しいという特徴があるので、大変厄介です。 リストカットを繰り返したり、自殺の企てを何度もしたり、摂食障害で拒食症や過食症に悩んだり、家庭内での親への暴力、援助交際などの性的逸脱などなど、こうした激しい行動の背景には、往々にして境界性パーソナリティ障害が潜んでいます。これに薬物への依存が加わることもあります。
そのために境界性パーソナリティ障害では、本人の苦しみが激しいだけでなく、家族やその周囲の人が振り回されてへとへとになっていくことが少なくありません。


特に境界性パーソナリティ障害への対応で難しいのは、通常の場合、その人を熱心に支えようとすればするほど、症状が悪化していくことです。親身に支えてくれる人に対して、どんどん要求をエスカレートさせたり、攻撃的で衝動的になったり、自殺の企てを繰り返すことも少なくありません。そのために親身になって支援しようとした人自身が傷つくことも多いのです。
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さらに境界性パーソナリティ障害をもつこのタイプの人は往々にして恋愛感情に入っていきやすいので、理想の相手に見えて恋心に火がつくことも少なくありません。しかし、これはこの人の中にある理想の父親もしくは母親の投影として、理想の恋人に見えているのであって、本当の恋心とはいえません。


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