2015年12月27日日曜日

痛みを知るということ



カウンセリングをしていると、人の心の痛みに触れることになります。

その痛みは、情けない自分を惨めに思う気持ちであったり、恥ずかしくて仕方がない思いであったり、プライドが傷ついて血を流している心であったり、密かに犯した過去の罪への罪悪感であったりします。

人はそれを思いだし、勇気を出して話すことで、心の重荷を降ろそうとするのですが、同時にそれをどう受け止められたかによって、もっと傷つくこともあります。羞恥心で後悔することもあります。

聴き手にどう受け止められたか。それで、自分の存在価値が損なわれたか、守られるかを敏感に感じます。

上から見下ろされてさげすまれていないか。人と較べられていないか。ひそかに軽蔑されたり馬鹿にされていないか。愚かだと思われたのではないか。裁かれていないか。無視されたのではないか。そうしたさまざまの思いが、その人を苦しめることがあります。

しかし、受け入れられ、全身で受け止められて、自分の痛みにそっと触れてもらえたと感じると、その人は癒されます。この手触りを求めてカウンセリングに来られます。

その時に、そういう触れ合いができるかどうかで、その人は癒されて救われたり、傷ついたりと、さまざまな反応をすることになります。やっぱりわかってもらえないと失意でおわるのか、分かってもらえたと温かい気持ちになれるか。それは、自分の傷口にそっと痛くないようにさわり、しかも温めてもらえたと感じるかどうかできまるのではないかと思います。

カウンセラーはクライエントに寄り添って温めようとします。

しかし、本当にそうでしょうか。実はカウンセラーこそが、寄り添うことで、相手にぬくもりをいただいているのではないでしょうか。そういう相互作用が働いているのではないでしょうか。

カウンセリングとは、どちらかが一方的に相手を温める行為ではないように思います。お互いが触れ合うことで、温め合うことだと思えるのです。自分がクライエントにしっかり寄り添えることで、カウンセラー自身がぬくもりをいただいているのかもしれないのです。その時にクライエントは癒されたと感じるのかもしれません。

カウンセリングそして傾聴は上から目線ではできない仕事です。上から目線を感じると、人は離れていきます。

カウンセリングの場では、カウンセラーとクライエントはつながっています。不思議なつながりが生まれます。その場から離れていてもつながり続けます。

クライエントとして目の前に座る人は、実は自分でもあると感じる時にこそ、不思議な癒しの力が働き出すのかもしれません。

お腹が痛い時に、私たちは右手を腹に当ててじっとしていると、治ることを経験したことがあります。手とお腹は別ものであって別ものではありません。一体の生命です。

同じようにカウンセラーとクライエントは別ものであって別の存在ではないのかもしれないと思います。


一体の生命、つながった命が、エネルギーを交流させ合うことで、癒しがうまれるのではないかと思えるのです。

その時に働く不思議な生命の働きを信じて、それに委ねている時に、いつしか人は癒されて再生してゆくときを迎える。そんな気がします。

<ご案内>
種村トランスパーソナル研究所ではカウンセリングを行っています。
直接お会いする対面カウンセリングとともに、電話カウンセリングやメールによるカウンセリングも行っています。相談してみたいと思われるかたは、遠慮なくご連絡ください。
℡090-8051-8198 (メール)tanemura1956@gmail.com
カウンセリングルームは、JR常磐線・我孫子駅(千葉県)南口から徒歩10分にございます。

2015年12月16日水曜日

逃避は症状を作ることがある-神経症の発生と克服



逃避への衝動

「現実に直面することから逃げたい」、「自分自身の問題から逃避したい」という衝動は、しばしば襲ってくる強い感情です。でも、逃避は人生の問題を消してはくれません。むしろもっともっと不快な症状を招き寄せます。私の経験では「自分の本当の問題」と向き合うまで、その症状は続きます。

回避性パーソナリティ障害のみならず、さまざまなパーソナリティ障害の奥には、自分の一番核となる問題から逃げたい、目を背けたいという誘惑や衝動があります。この誘惑と衝動に打ち勝って、怖くても自分自身と向き合い対決すると決断した時に、初めて次の段階に進むことができるように感じます。

ユングの経験に学ぶ

この問題を分析心理学の創始者カール・グスタフ・ユングの少年時代の経験を通して学びたいと思います。

ユング少年は、小さいころ苦手で嫌な学科が3つありました。代数はまったく頭脳がうけつけませんでした。体育は苦手で嫌いでした。図画は写生が全くできなくて、教師から見放されていました。だから学校の勉強が苦痛だったようです。

そんなユング12歳の時です。朝の授業が終わり、お昼に一緒に帰るために牧師である父親の管理している教会大聖堂の広場に立っていたユングを、一人の少年が突き倒しました。

少年ユングは一突きされて足を滑らせて、舗道のふちの石でしたたか頭を打って倒れ、ほとんど意識を失わんばかりになりました。その瞬間、「もうお前は学校へ行かなくてもよい」という考えが、自分の心にひらめいたのを感じました。

それ以来、学校の帰り道とか、両親がユング少年に宿題をさせようとするときはいつでも、突然意識を失うという発作を起こすようになりました。この発作のおかげで半年以上、ユングは学校を休みました。病気の理由による不登校が認められたのです。

彼にとっては毎日が楽しいピクニックになって、数時間夢想にふけったり、森や川などを歩き回ったり、漫画を描いて過ごしていました。

人は病気で学校や職場に行かない時、体に特別な苦痛を感じている時は別ですが、そうでなければゆっくりと好きなことをできることにほっとした気持ちを味わいます。しかし、それが続くと、後ろめたさや罪悪感や焦りが湧いてくるものだと思います。

学校に行かなくて好きなことをしているユングも、自分を叱責する内心の声を聴いていました。

「私はますます世間から離れていったが、その間ずっとかすかな良心の呵責にせめられた。私はぶらぶらしたり、物を集めたり、本を読んだり、遊んだりして、つまらないことに時間を費やして過ごした。けれども、私はそれを少しも幸せには感じなかった。私は自分が、私自身から逃げていると漠然と感じ出していた。」(ユングの『自伝』より)

そんなユングに、決定的な転機が訪れ、厳しい現実と直面させられる機会がきました。父親の友人が来訪し、父と友人の二人が庭で腰かけていた際に、飽くことを知らぬ好奇心を持っていたユングは、興味津々その二人の話を盗み聞くために茂みの陰にかくれました。そこでユングは大変なことを耳にしました。
客人は父親に、「ところで息子さんはどうですか」と尋ねました。
「ああ、悲しいことです」』と父親が答えました。「医師たちは何処がわるいのか分からないのです。彼らはてんかんかもしれないと考えている様子です。もし治らないのなら恐ろしいことです。私はなけなしのものを全部なくしてしまった。それに、もし自分で生計を立てることができないとすれば、あいつは一体どうなるんでしょう。」

「私はびっくり仰天した。ここで私は現実とぶつかったのだ。『じゃあ、働くようにならなくちゃ』とふいに私はそう考えたのである。」(ユングの『自伝』より)

少年のユングはその衝撃で、一瞬にして考えが変わりました。そして意識を失う症状(神経症)と向き合い、闘いだしたのです。

ユングはこっそりと庭の茂みから出ていって、父親の書斎に行き、ラテン語の文法書を取り出して、一心不乱に詰め込みはじめました。十分間勉強したあと、ユングは最もきつい発作を起こします。ユングは意識を失いかけてもう少しで椅子から転がり落ちるところでしたが、踏ん張ります。二、三分たつと気分がよくなり勉強を続けることができました。

「こん畜生! 発作なんか起こすもんか。」
ユングは独り言をいって勉強を続けました。

今度は二回目の発作が起こるまでに、十五分かかりました。それも一回目と同じようにやりすごしました。
「さあ、本当にお前は働くようにならなければならないのだ!」
ユングの心が、彼にこう命じるのを聞きました。

ユングは我慢し続け勉強したところ、一時間後に三回目の発作が起こりました。それでもなおユングはあきらめず、もう一時間勉強し、発作の来襲をのり越えたと感じるまで続けたのです。

ふいに、それまでよりもずっと気分がよくなりました。その後は、発作は二度と起こらなくなりました。

その日以来ずっと、ユングは文法書と他の学校の本を真に日勉強して過ごしました。二、三週間後にユングは学校にもどり、そこでも二度と発作に襲われることはなかったのです。

現実から目を背ける代償

ユングは「神経症とは何かを私が教わったのは、その時だった。」と『自伝』のなかで回想しています。

ユングは、発作を起こして学校を休む口実を作っていたのは、実は自分の「心の策略」だったと自覚したのです。学校で嫌な思いをしないために、友だちに突き倒されて頭を打った瞬間に、「『もうお前は学校へ行かなくてもよい』という考えが、自分の心にひらめいたのを感じ」たユングは、この神経症は現実から逃避するための「心の策略」に過ぎないとわかっていたのです。だからこそ、現実から逃げないことを決意し、発作をこらえてラテン語の文法書に向かい続けたときに、三回目の発作を乗り越えた後、神経症は消えました。

私たちは、さまざまな心身の症状を訴え悩み、医者にかかっても原因が分からないことがあります。その時に、心に問いかけてみる必要があるのです。

「これは自分の現実と向き合うことから回避するための『心の策略』ではないか。この症状が続く方が好ましい事情があって、いつまでも症状が消えないのではないのか。現実と向き合い対決しないで逃げている自分がいるのではないか。」

苦しい症状より、「現実」と向き合う方がもっとつらいという気持ちに襲われることはあります。しかし、それを乗り越えないと、心の成長が止まります。これが現実から目を背ける代償です。

症状の苦しみは、成長が止まっていることへの警告でもあるといえます。この警告に耳を傾けて、現実に向き合った時、私たちは再び成長を始めることができるように思います。

(参考書籍)『ユング自伝1-思い出・夢・思想-』ヤッフェ編、河合隼雄他訳 みすず書房)

<ご案内>
種村トランスパーソナル研究所ではカウンセリングを行っています。
直接お会いする対面カウンセリングとともに、電話カウンセリングやメールによるカウンセリングも行っています。ご相談してみたいと思われるかたは、遠慮なくご連絡ください。
℡090-8051-8198 (メール)tanemura1956@gmail.com
カウンセリングルームは、JR常磐線・我孫子駅(千葉県)南口から徒歩10分にございます。