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12月, 2015の投稿を表示しています

痛みを知るということ

カウンセリングをしていると、人の心の痛みに触れることになります。
その痛みは、情けない自分を惨めに思う気持ちであったり、恥ずかしくて仕方がない思いであったり、プライドが傷ついて血を流している心であったり、密かに犯した過去の罪への罪悪感であったりします。
人はそれを思いだし、勇気を出して話すことで、心の重荷を降ろそうとするのですが、同時にそれをどう受け止められたかによって、もっと傷つくこともあります。羞恥心で後悔することもあります。
聴き手にどう受け止められたか。それで、自分の存在価値が損なわれたか、守られるかを敏感に感じます。
上から見下ろされてさげすまれていないか。人と較べられていないか。ひそかに軽蔑されたり馬鹿にされていないか。愚かだと思われたのではないか。裁かれていないか。無視されたのではないか。そうしたさまざまの思いが、その人を苦しめることがあります。
しかし、受け入れられ、全身で受け止められて、自分の痛みにそっと触れてもらえたと感じると、その人は癒されます。この手触りを求めてカウンセリングに来られます。
その時に、そういう触れ合いができるかどうかで、その人は癒されて救われたり、傷ついたりと、さまざまな反応をすることになります。やっぱりわかってもらえないと失意でおわるのか、分かってもらえたと温かい気持ちになれるか。それは、自分の傷口にそっと痛くないようにさわり、しかも温めてもらえたと感じるかどうかできまるのではないかと思います。
カウンセラーはクライエントに寄り添って温めようとします。
しかし、本当にそうでしょうか。実はカウンセラーこそが、寄り添うことで、相手にぬくもりをいただいているのではないでしょうか。そういう相互作用が働いているのではないでしょうか。
カウンセリングとは、どちらかが一方的に相手を温める行為ではないように思います。お互いが触れ合うことで、温め合うことだと思えるのです。自分がクライエントにしっかり寄り添えることで、カウンセラー自身がぬくもりをいただいているのかもしれないのです。その時にクライエントは癒されたと感じるのかもしれません。
カウンセリングそして傾聴は上から目線ではできない仕事です。上から目線を感じると、人は離れていきます。
カウンセリングの場では、カウンセラーとクライエントはつながっています。不思議なつながりが生まれます。その場から離れていてもつなが…

逃避は症状を作ることがある-神経症の発生と克服

逃避への衝動
「現実に直面することから逃げたい」、「自分自身の問題から逃避したい」という衝動は、しばしば襲ってくる強い感情です。でも、逃避は人生の問題を消してはくれません。むしろもっともっと不快な症状を招き寄せます。私の経験では「自分の本当の問題」と向き合うまで、その症状は続きます。
回避性パーソナリティ障害のみならず、さまざまなパーソナリティ障害の奥には、自分の一番核となる問題から逃げたい、目を背けたいという誘惑や衝動があります。この誘惑と衝動に打ち勝って、怖くても自分自身と向き合い対決すると決断した時に、初めて次の段階に進むことができるように感じます。
ユングの経験に学ぶ
この問題を分析心理学の創始者カール・グスタフ・ユングの少年時代の経験を通して学びたいと思います。
ユング少年は、小さいころ苦手で嫌な学科が3つありました。代数はまったく頭脳がうけつけませんでした。体育は苦手で嫌いでした。図画は写生が全くできなくて、教師から見放されていました。だから学校の勉強が苦痛だったようです。
そんなユング12歳の時です。朝の授業が終わり、お昼に一緒に帰るために牧師である父親の管理している教会大聖堂の広場に立っていたユングを、一人の少年が突き倒しました。

少年ユングは一突きされて足を滑らせて、舗道のふちの石でしたたか頭を打って倒れ、ほとんど意識を失わんばかりになりました。その瞬間、「もうお前は学校へ行かなくてもよい」という考えが、自分の心にひらめいたのを感じました。

それ以来、学校の帰り道とか、両親がユング少年に宿題をさせようとするときはいつでも、突然意識を失うという発作を起こすようになりました。この発作のおかげで半年以上、ユングは学校を休みました。病気の理由による不登校が認められたのです。

彼にとっては毎日が楽しいピクニックになって、数時間夢想にふけったり、森や川などを歩き回ったり、漫画を描いて過ごしていました。

人は病気で学校や職場に行かない時、体に特別な苦痛を感じている時は別ですが、そうでなければゆっくりと好きなことをできることにほっとした気持ちを味わいます。しかし、それが続くと、後ろめたさや罪悪感や焦りが湧いてくるものだと思います。

学校に行かなくて好きなことをしているユングも、自分を叱責する内心の声を聴いていました。
「私はますます世間から離れていったが、その間ずっとかすかな良心の呵責…