2014年8月26日火曜日

(投稿)心の試練から得られたもの



(紹介)
「大」さんが心の試練を克服する過程で気づいたことを書き綴ってくれました。このブログの愛読者の皆様の参考になることを願っています。(種村)

 
心の試練を超えて③

 自分の心の中には、いつも「不安」がありました。今回の心境が落ち込んだ大きな原因がこの内なる「不安」にあったといいと思います。

 前回、この「不安」は過去世において受けた心の傷ということを述べましたが、この傷はかなり根深いものであるために、なかなか克服することができないでいます。

 ふだんでも気が付くと、この「不安感」が襲ってきます。なんとも言えないストレスが自分自身を襲い、いい加減にこの不安とどうやって戦って克服していくか、消し去っていくかということばかりを考えていました。

 しかし、「心の試練(魔境)」を通過した後、その気持ちが少しずつ変わってきました。

 今日も、仕事中に言い知れない「不安」に襲われました。しかし、いったん仕事を休め、この「不安」を全身で受け止めようと思いました。そしてこの不安感が、もっともっと心の中で増幅するように「不安」対して意識を集中しました。この「不安」の真の正体を突き止めてやろうと思ったからです。それには「不安」を体全体で感じ、受け止めなければなりません。

 もう自分は、この「不安」から逃げることはすまい、と思いました。それよりも、もっとこの「不安感」の真相を見たい、と思いました。

 そうすると、自分の中に意味もなく突然現れる「不安感」が怖くなくなりました。むしろ、「しめた。来たぞ。もっと近くに来い。そして自分と一体になれ。そして正体を現せ。」と思うようになりました。

 
 たぶん、今までよりも真剣に、自分のカルマと向き合おうとするようになったのかもしれません。雨の中にずぶぬれになるよりも、雨雲を突き抜けて、太陽の光を思いっきり浴びたいと感じたのかもしれません。
 

 以前に読んだ『ゲド戦記・影との戦い』を思い浮かべます。主人公であるハイタカのように、自分の影を恐れて逃げようとせずに、自ら影を追っていくようになった姿に似ている感があります。今や「不安」が逃げているように感じます。

 
 そして、自らの影(自分が無意識に拒否してきた自分像)を受け入れようとも思いました。自分を今まで苦しめてきた「不安」という影は、自分が過去経験してきた貴重な宝であると思っています。人の苦しみや不安を理解するには、こうした「負の経験」が必ず生かされるであろうと感じています。ゆえに、こうした自らの影を受け入れようと思う気持ちにもなれたのです。

 
そうした意味において、今回の経験を通じて得られたものは、非常に大きいものがありました。

まだまだ先にはいくつもの「心の試練(魔境)」が控えています。でも、それを超えるたびに大きくなる自分がいることも事実です。人生の醍醐味として、またサムシング・グレイトが用意された試練として、それを受け入れ、乗り越えていきながら、さらなる精神的な高みを目指していきたいと思いました。(大)

2014年8月24日日曜日

(投稿)心の試練を超えて 2


<紹介>準カウンセラーの「大」さんが「心の試練」を味わった経験の「続編」です。ここに書かれていることは試練の中にあるときに、誰もが味わう心的な経験だと思います。ただ、「大」さんの場合、自分の深層潜在意識との対話により、自らが指針を得ている点が、通常とは異なると思います。

 

心の試練を見つめる

まずロールレタリングができなくなった一番の要因が、自分自身にたいする「不信」でした。

私自身、世の中で特に目立って活躍している訳でもなく、ごくごく一般的な人間です。人並み外れた頭脳を持っている訳でもなく、財産を持っている訳でもなく、能力を持っている訳でもありません。むしろ、自分の能力に対して、強いコンプレックスを持っていました。

 

しかしながら、自分の内から湧き出てくるものは、深い智慧に裏付けられた言葉でした。最初のうちは、それを驚きと新鮮な気持ちで受け止めていたのですが、次第にそれに対して疑いの気持ちが湧いてきました。

 

「自分はたいしたこともない人間だ。実際に世の中で成功しているわけではない。自分よりも優れている人は山のようにいる。自分なんて、一般大衆のなかの一人にしかすぎない。歴史上の人々や、世の中で成功を収めている人とは格が違うんだ。そう、やっぱり自分はダメなんだ。こんなダメな価値のない存在である自分に、そんな高度な智慧を受けることなんてできるはずがない。そもそも、霊能力だってないじゃないか。そうだ、これは自分か勝手に頭の中で作った妄想にすぎないのではないのか。そうかもしれない。」

 

これが「心の試練」であると思ったのは、やはり同じように過去にもつまづいたことがあったからです。自分自身を強く否定する気持ちが心の奥底にあり、どうしても払拭出来ないでいたということです。

ただ分かっていることは、過去世において大きな挫折を味わい、その挫折感と自責の念が、このコンプレックスの根本にあるということです。これはすぐには払拭できないので、時間をかけて克服していかなければいけない問題です。自分の人生の中において、繰り返し出てくる問題ですので、心の傾向性を確認する良いきっかけにはなりました。あとは、どうやって克服していくかの問題だけです。

 

「信じる」ことによって、自分を超えた存在とのパイプがつながります。信じる力が強いほど、パイプも太くなり、結びつきも強くなります。「信じる」ということは、「力」そのものなのです。信じることが、まず初めにありき、なのです。

 

これは、私の内なる智慧から出てきた言葉です。今回の件で、この言葉の持つ意味がわかったような気がしました。

この「信じる」ことについては、もう少し考察を深めて行きたいと思います。(大)

 

2014年8月21日木曜日

(投稿)心の試練を超えて



<紹介>準カウンセラーの「大」さんが、「心の試練」を味わった経験を書いてくださいました。インスピレーションが下りなくなり、歯車がかみ合わなくて停滞する時期は、誰にも訪れます。そうした時の乗り切り方を、ご自分の経験を通して数回に分けて綴っていただきます。


(投稿)


不調のきっかけ


 しばらくロールレタリングによる自己対話から遠ざかっていました。日常の忙しさもあったのですが、インスピレーションがほとんど来なくなってしまった、というのが主な原因です。

しかし特に焦りはしませんでした。一度ひいた潮はまた満ちてくると思っていたので、なぜそうなってしまったのかを思索しながら、自分の「気」が満ちてくるのを気長に待っていました。
 原因の一つと思えたのが、自分に対する不信の気持ちでした。

「本当にこのロールレタリングで降りてくるインスピレーションは本物なのか。単なる自分の内での心が作った妄想ではないのか。」
ふと、そう考えた時から、ロールレタリングができなくなっていたことに気づきました。
 それと同時に、不安な思いも増幅されるように大きくなっていきました。

 ロールレタリングによる自己対話ができなくなった原因を、日常の忙しさや、資格試験の勉強のせいにしていましたが、それも問題の本質から目をそらせていました。考えてみれば、ロールレタリングが出来ていた頃の方が、勉強もはかどっていました。全く不調の今、勉強も全くはかどりません。要は、歯車が全く噛み合わない状態と言っていいと思います。


「心の試練」を自覚する


  最近、少しづつですが、「気」が満ち始めて来たのでしょう。これはおかしい、と感じ始めました。

「悪魔の脳内支配」という記事をあるブログで見ましたが、それに近いものがあったということも感じましたが、あえて自分の外に原因を求めず、自分の中にある原因を追求しました。


ひとつの大きなキーワードとなるものが「信じる」ということでした。この信じるという部分が問題であったということに気づきました。

  まず、心の歯車が噛み合わなくなったキッカケは、自分に対する「不信」でした。では、なぜ不信を抱いたのか。それは、自分に自信がなかった、というのが主因でした。

心の成長と、現実の社会的自己とのギャップ。これが乖離するほど、心境的に苦しくなっていきました。この世に生きている現実の自分を見るにつけ、「自分は本当はたいしたことのない人間なんだ。もしかしたら、普通以下の人間かもしれない。」そう思い、心の底にあったコンプレックスとの格闘で、エネルギーを擦り減らしていたことに気付きました。


たぶん、これは自分にとっての「試練」であったのでしょう。

「心の試練」はこれまでに何度となく通過してきました。

今回の心の試練では、学ぶべき点が数多くありました。そういう意味では、またとない自己観察のチャンスとなりました。


この「心の試練」を通して、得られたことを何回かに分けて綴ってみたいと思います。(大)

2014年8月12日火曜日

(投稿)夢分析


 
(紹介)先日、準カウンセラーの「大」さんのカウンセリングで夢分析をおこなった。「大」さんがその時の経験を書いてくださったので、紹介させていただきます。(種村)

 

1.私が見た夢

カウンセラーの指導のもと、私が見た夢の分析を行いました。

起きた時に、その時の夢をメモにのこすのですが、ほとんど憶えていなかったのですが、一つだけ鮮明に覚えていた夢があったので、それだけがメモに残すことができました。

その夢の内容です。

 

<私のみた夢>

以前に勤めていた職場のお偉いさん達が、なぜか私の自宅に来て、私がプレゼンテーションをすることになりました。プレゼン資料は職場にあったのですが、職場の上司にはどうしても会いたくなかったので、上司のいない隙に資料を取って自宅に向かいました。10時にプレゼンを開始する予定だったので、急いで自宅に向かいました。自宅に着くと、もう一人のプレゼンを行う発表者も到着していました。しかしプレゼンをするにあたり、資料が足りないことに気づき、急いで会社に戻りました。再度自宅に戻った時には、すでに10時を過ぎていましたが、まだお偉いさんは到着していませんでした。私はまだ普段着のままであることに気づき、急いで着替えることにしました。そうしているうちにお偉いさん達が家の中に入ってきました。もう一人は、静かに座ってプレゼンを待っていました。ただ私一人が慌てふためいていました。

ここで、目が覚めました。

 

この夢の内容から一体何が得られるんだろうと思っていましたが、比較的鮮明な夢だったので、何か意味があるんだろうとは思いました。

カウンセラーの指示に従って、この夢から感じることを振り返ってみました。

<夢から感じること>

・その前の晩に、前の職場の仲間から飲み会の誘いがありました。それで、その職場の夢を見たと思いました。
・夢の中では私一人が常にドタバタしてました。全てが後手後手に回り、焦りまくっていました。

・もう一人の奴は準備をして手際良くきちんとしていました。自分が情けなくなり非常にコンプレックスを感じていました。

・前の職場の上司には絶対に会いたくありませんでした。タイムカードも押していなかったし、休みと思われるかもしれないけど、それでも会いたくないので上司がいる事務所には寄りませんでした。

<夢を絵に描く>

そしてこの夢のイラストを描いたりしながら、夢の分析を行っていきました。イラストで描いた人物や物などに問いかけたりしながら、この夢のポイントを探っていきました。

 

2.夢を分析する

カウンセラーとの問答の中で、前の職場での人間関係で、深いコンプレックスと無能感を心に植え付けてしまっていたことに気づきました。確かにこの職場では、何をやってもうまくいかず、全てが後手後手に回り、最後には逃げるようにこの職場を辞めました。そこで深い挫折感を味わい、それが今でも尾を引いており、心の中に暗い影をおとしていました。「自分は何をやってもダメなんだ」という自己否定の感情が常に心の中にあったのも、この職場で味わった挫折感が原因であることを認識することができました。

 

次に、カウンセラーは、上司との関係に注目しました。この夢の中では姿を見せなかったのですが、常に上司に対する嫌悪感が顔をのぞかせていたので、何かの大きなポイントであると感じたようでした。

その時の上司は会社の出世頭で、頭も良く切れました。性格は悪くないのですが、理論で人を切っていくようなタイプだったので、私もよく切られた方でした。そのため、自分の能力の無さと悔しさで、陰に隠れて涙を流すこともしばしばでした。

在籍中はその上司を避け、逃げながら仕事をしていたので、当然成果も上がらず、全てが悪い方へと向かって行きました。一度はその上司と離れ、仕事もやる気になって頑張っていたのですが、また配置換えで一緒になり、深い絶望感におそわれました。仕事もやる気が起きず、もとのうだつの上がらない一社員に成り下がってしまいました。最終的にはその上司に引導を渡された形で会社をやめました。

その後、転職をして、その時の職場が自分にとって如何に合っていなかったかを痛切に感じたのですが、その時の挫折感だけが心の中に未消化のまま残っている状態でした。

 

その会社に対してコンプレックスと挫折感を感じていましたが、カウンセラーより、会社ではなくて上司との関係において問題があったとの指摘を受けました。あくまで、上司との関係を見ていかないと、いま抱えている無能感、無価値感の克服にはつながらないとのことでした。

 

ここで、この上司との関係について考えていくことにしました。
私自身の思いの中では、この上司との出会いは不幸そのもので、単なる人生上の事故に過ぎない。この会社に入ったことも間違いで、この期間の約10年間を全くムダに浪費しただけだった。この会社に入っていなければ、もっと良い人生を過ごせたはずだった。という、恨みに似た感情がありました。そして、会社全体に対しての深いコンプレックスを感じていました。

カウンセラーのアドバイスもあり、会社にではなく、上司に焦点を絞って深く見つめてみる形となりました。

 

3.新たな気づき

私の表面意識では、上記のような考えであったので、さらに心を深く見つめて、「深層意識」に向かって、エンプティーチェア法を用いて問いかけてみたところ、このような回答でした。

<深層潜在意識の回答>

その上司との出会いは、自身の人生経験に深みを持たせるためであった。この上司と接することによって、確かに自らが傷付くこともあるが、一緒に接することによって、この上司の論理的思考や考え方を学んで身につける予定であった。ただ、この上司から気持ち的に逃げていたこともあって、学びが不十分であった。逃げるのではなく、食らいついて学ぶべきであったのだ。それでも2,3割は学ぶことができた。学びは少なかったが、ゼロではない。その逃げる傾向性は自身にとってかなりのマイナスになっている。これは変えていかなくてはならない。

この上司の論理的思考によって、自身が論理的に切られまくったが、その中で身についていったものある。それを学びの糧としてほしい。確かに良い面もあったのだ。結果的に無能感を感じたとしても、その上司の考え方を思い返し、身につけてゆけば、おのずと無能感は消えていく。


気づいたこと


結局のところ、私が心の中に抱いていた苦しみは、前の職場の上司が原因で発生したものであったのですが、それは自分のレベルを上げるために与えられて縁であって、逃げずに向かっていくべきであったということを教えられました。前の職場は、自分にとって間違って選択してしまった全く無駄な時期であったと思っていましたが、そうではなく、必要があって与えていたことに気づき、愕然としました。まったく人生においてムダはものは存在しないことを痛切に感じました。
そうすると、以前にいた会社や上司に対して嫌悪の感情はいつの間にかなくなり、深い感謝の念がわいてきました。そして、今まで感じていた無能感や無価値感が、まったく根拠のないものであったということがわかりました。

 

ここまで深く掘り下げてみて初めて、私自身を悩ませていた無能感、無価値感の原因を見出すことができました。この感情は、過去世からの影響も確かにあるのですが、今回のような経験をすることにより、過去世において解決できなかった問題が浮き出てきたものであると感じています。根本的には過去世の記憶を辿って解決すべきものですが、こうした今世で起きた事象を解決することによって、過去世にさかのぼって解決することも、相当程度は可能なのではないかと感じました。

実際のところ、この夢分析によるカウンセリングの後、今まで感じていた無能感や無価値感がほとんどなくなっていることがわかりました。

 

普段、何気なく見ている「夢」ですが、この夢が私たち自身の問題を解決し、人生をより素晴らしい方向へと導いてくれることも確かなようです。私たちは、継続して与えられている「宝の山」をみすみす見逃しているのかもしれません。

 

たかが「夢」、されど「夢」・・・、ですね。(大)