2014年7月25日金曜日

(投稿)天と地と


 永遠の流れのなかで

遙かなる大空に向かって天を仰ぐ
昼は透き通った青空が限りなく広がり
夜は無数の星空が限りなく散りばむ
この限りなく広いように見える空も
この宇宙の広さに比べたら、限りなく小さい点にすぎない

この永遠に等しいほどの宇宙の大きさに比べたら
私はどれほどの価値を持った存在であるのだろう
この大いなる宇宙を創造された宇宙意識からみるならば
私はどれほどの価値を持った存在に見えるだろう

永遠の流れに身を任せた時
自分という存在は消えてしまうのでは、という不安にかられる
吹けば飛ぶような自分という存在の大きさを想うとき
果たして創造主は、自分を抱き留めてくれるだろうか・・・
いくら財産や名声を与えられようとも
宇宙の大きさに比べれば、点ほどの存在にも値しないことなど
天を見上げれば、誰しも理解できるはずなのに
天の広さに比べれば、この地上など遙かに小さいものであるのに

人間の小ささを感じる

天と地、どちらの価値が大きいのだろうか
それは、その人それぞれで違うのであろう
ある人は、天に無限の価値を見いだし
ある人は、地に価値を見出そうとする

天を見ながら歩いていても、いつしか足下を見ながら歩いてしまう
天に価値があるのはわかっていても
生きるためには下を向かなければならない
天を仰ぎながら歩くのは無理なことなのだ
そうして、いつしか下を見ながら生き続けることになる

天を仰ぎ見るたびに、そうした挫折感を味わう
自分の意志力の無さ、覚悟の無さを責め続ける
宇宙の広大さを感じ、人間の小ささを感じるたびに
人間としての悲しみを感じずにはいられなくなる
地に生きながら天に生きる

忘れてはいけないことがある
この地は、この広大なる天の一部であるということ
天と地は分かれたる存在ではない
一体であるということがわかっていれば
天を見ることと、地を見ることは別個のものではない
すなわち、この地にも天に通じるものがあるということ
それを見出すことができれば
地を見ながら天を見ていることになる
「地」は「天」から成り立っているということ
それが、どういうことかわかるだろうか

そう「内なる自分」は教えてくれる

地を通して、天を見る
点なるものの中に永遠が存在している
限りあるものの中に、無限の可能性を見出す

それが、「地」に生まれた私たちの使命
「地」に生きながら「天」に生きる

「それを自ら実践し、多くの人に示せ」と、内なる自分が語りかける
真実の生き方を示すこと
私たちの使命も、そこにあるということかもしれない・・・(「大」)

2014年7月20日日曜日

(投稿)心の内なる声・・・自分へのメッセージ


(紹介)準カウンセラーの「大」さんが、心鎮めて瞑想し、自分の内なる声に耳を傾けていたときに、心の内側から込み上げてきた思いを綴ってくれました。内省的な時期であり「自戒」への思いが強く湧いていたのだと思います。そうした折に、潜在意識の奥から湧き上がってくる自分の指針を確認することは、日々成長していくために必要な営みだと思います。(種村)

 

心の統御

 

怒るな。怒るな。汝、心を統御せよ。

ゆめゆめ心乱すな。

己の心を他に譲り渡してはならぬ

 

汝の心は、汝の内にあり。

怖れるな。怖れるな。決して怖れるな。

怖れを抱いた瞬間、心を他に明け渡したことになる

 

愚痴るな。愚痴るな。決して愚痴るな。

愚痴はすなわち、心の中の不満。

自分の至らなさに対する責めが他に向いた時、それが愚痴として現れる。

自分の至らなさを認めることが出来ずに、原因を他に求める。

自分の不幸や不満を他に原因があるものとして、他を責める心。

それが愚痴として現れる。

愚痴は、己の心を黒く汚すだけでなく、自分の周りも黒く染め上げる。

ゆえに、愚痴は言った分だけ、反作用を生むことになる。


ワンネス(つながった心)


ああ、私は何ゆえに、このような悲しい感情を持つのであろうか。
人間の魂(ソウル)は、実は大いなるものとつながっている。
というより、大いなるものの一部として、その中に存在しているのだ。
本来一体なるもの。

分け隔てることができないもの。

拒絶し、分離することができないもの。
それを何故に分け隔て、拒絶しようとするのであろうか。
魂は、それぞれ分かれているようで、実は一体であるのに・・・。


人間の細胞一つ一つは別の存在のように見えても、人間全体で見れば、「一」なる存在である。
人間を見て、細胞一つ一つを別々に差別して認識することはない。
細胞レベルでみれば分かれているように見えても、

細胞レベルの認識をはるかに超えた人間レベルの目で見たならば、

ひとりの人間として認識できる。

そうなのだ。

別々の存在のようでありながら、実は一体として存在しているもの。

それが私たちの魂なのだ。

そのような視点を持たねばならないだろう。
細胞レベルの視点ではなく、人間レベルの視点を。
否、人間レベルの視点ではなく、大いなる存在から見た視点を。
この視点を持たなければ、「ワンネス」の認識を持つことはできない。

まずそうした視点を心がけよう。


私たちは、それぞれ別個のものでありながら、大いなるものを形作っている。

その一部として、ワンネスに対する責任を持たねばならない。
「全体」「ワンネス」を形作っている「一部」として、

自らが成長することを通じて、ワンネスの成長に貢献する存在なのだ。


成長

 

そのためには、マズローの提唱した欲求段階説にあるような段階を踏んで心が成長していかなければならない。

マズローの欲求段階説は、ただ単に欲求のレベルを表したものではない。

心の成長、発展の段階を見事に表しているものだ。

自己実現、そして自己超越へ。

心が成長するほど、大いなる存在と一体であることの真の意味がわかってくる。

その道をひたすらに進もう。

道はいくつもあるように見えるが、必ず一つにつながっている。
富士山の登山口はいくつもあるが、ゴールは頂上1つであることと同じ。
道は違っても、皆同じゴールを目指している。

だからこそ、価値観は違っても、互いに認め合う気持ちを大切にしよう。
「愛」と「許し」。

この2つを限りなく追求していこう。

それが今、自分にとって何よりも大切なことだから。(「大」)

2014年7月3日木曜日

人格障害⑦・・・人格障害の種類



10の人格障害を概観する

  対人関係で悩んでいるクライエントに、相手の方を人格障害のチェックシートでチェックしてもらうと、いくつかの人格障害が浮かび上がってくることが少なくありません。人格障害についての知識をもつことは、相手を理解し対人関係を改善するうえで鍵になることがあります。

  主な10の人格障害は大きく3つのグループに別れます。それぞれの人格障害の特徴を概観することで、問題を抱えた相手がいずれかの人格障害を持っている可能性をチェックしてください。
 

1.Aグループ・・・風変わりなタイプ

  これは非現実的な考えにとらわれやすいことを特徴としています。統合失調症に似た特性を持ちますが、必ずしも重症ではなく、本人に適した環境ではよく適応しています。ただし基本的な安心感に乏しく、自我が侵入されやすいために、合わない環境で適応できなくなると、精神病の状態に移行することがあります。

  このグループには、次の3つの人格障害が含まれます。

・妄想性人格障害・・・十分な根拠もないのに、他人が自分を利用する、危害を加える、またはだますという疑いをもちます。

・失調症人格障害・・・頭の中で生きている人々で、奇妙でユニークな思考や直感が常に生活や行動に影響をおよばしています。周囲と摩擦を起こし、変人扱いされることが多い。

・統合失調人格障害・・・家族の一員であることを含めて、親密な関係を持ちたいと思わない、またはそれを楽しく感じない。ほとんどいつも孤立した行動を選択します。

 
2.Bグループ・・・劇的(ドラマチック)なタイプ

  劇的な変動の激しさや自己アピールが特徴で、周囲を振り回したり、巻き込みやすいタイプです。人目を惹きつける華やかさや、衝動性を特徴とし、自己顕示性対人操作性が強く、気分の変動を伴いやすいグループです。

  養育者の愛情や保護の不足によって、自己愛が傷つき、人への基本的な信頼感が損なわれているために、変動の多い人間関係を持ちやすくなります。

  このグループには、次の4つの人格障害が入ります。

・自己愛性人格障害・・・自分は特別な存在だと思っており、それにふさわしい華やかな成功を、いつも夢見ています。特別な存在である自分に、他人は便宜を図ったり、賞賛し、特別視するのが当然と考えます。一言でいうと「賞賛だけが欲しい人びと」です。

境界性人格障害・・・現実に、または想像の中で見捨てられることを避けようとするなりふり構わない努力を払います。理想化とこき下ろしの両極端を揺れ動く不安定で激しい対人関係が特徴です。自殺企図が頻繁に見られます。一言でいうと「愛を貪る人々」です。

演技性人格障害・・・他人を魅了しなければ、自分は無価値になるという強い思い込みを持っています。自分の嘘に酔い、自らも半ば信じ込んでしまうという特徴があります。他人との交流は、しばしば不適切なほど性的に誘惑的な、または、挑発的な行動によって特徴づけられます。

・反社会性人格障害・・・他者に対して冷酷に搾取します。他人への共感性がなく、平気で他人を害したり、貪りことができます。良心の呵責が見られません。DVの加害者にも数多くいます。
 

3.Cグループ・・・不安の強いタイプ

  自己主張は控えめで不安が強く、自己本位というより他者本位なタイプです。障害レベルとしては最も軽いもので、神経症のレベルに近いと考えられます。

  他者本位的な傾向が強く、自分の本心をないがしろにしやすいのが特徴です。

  養育者による過保護や過度な支配、否定的な態度などによって、本人の主体性や自尊心が十分に育まれなかったことや、いじめ、失敗して恥をかく体験、不安を感じやすい遺伝的な要因などが原因で生じると言われています。

  次の3つの人格障害が含まれます。

・回避性人格障害・・・失敗や傷つくことを極度に恐れています。自分に自信がなく、失敗を恐れるあまり、試み自体を避ける傾向があります。

・依存性人格障害・・・自分の主体性を放棄し、他者に委ねてしまっています。自分で決めることが苦手で、些細な決定でも誰かに頼ろうとします。

・強迫性人格障害・・・間違いを犯すことは悪であるという強い信念があり、自分を抑え、自分に厳しすぎます。そのためにうつ病や心身症になりやすいのです。自分の流儀や仕事に細かすぎるほどこだわり、その基準を周囲の人にも押し付けるため、周囲が窮屈さを感じがちです。

関連記事
http://tanemura2013.blogspot.jp/2014/11/blog-post_11.html
 
(参考図書:岡田尊司著『人格障害の時代』平凡社新書)

 




 


2014年7月2日水曜日

人格障害⑥・・・その原因(続)


1.母子関係のひずみの現れ方


 
 2歳ごろまでに愛着形成ができなかった人は、母を拒否する子供」「子を愛せない母(親になった時に子を愛せない)」になりやすいことが知られています。


この時期には「乳児の欲求を以心伝心で適切に満たす、乳児と一体化した母親の愛情と保護」が必要です。この時期に必要な共感と抱っこが十分にされないと、自我の発達が損なわれます。愛し愛されたいという素直な「本当の自己」とは別に、仮面をかぶった「偽りの自己」ができて、両者が分裂を起こします。


そして、母親からの十分な愛情とケアが与えられない心の基盤が十分に育たないので、自我の力が弱く、問題に向かい合い、自分自身で葛藤することができず、親への依存的な関係に陥っていきます自我の脆弱さと、人とのつながりの困難さがそこから生まれます。

 

 3歳前後の母子分離の時期は、自立への第一歩として非常に重要な時期です。


この時期には2つの大きな課題があります。


.健全な母親像を自分の心に取り込んで、自立するための心の基盤をつくることです。それにより心の安定感の基礎ができあがり、自立への心理的な基盤ができます。


.母親の全体像との関係を正常に築けることです。乳児は母親の全体像が理解できません。自分の欲求を満たしてくれる母親は「よい母親」であり、欲求を満たしてくれない母親は「悪い母親」であり、両者を別物のように理解していますつまり二つの母親像が分裂しているのです

 
 それが成長してくると、別々の母親がいるのではなく、一人の母親が自分とさまざまな関係を持っているということが理解できるようになります。

 
 ところが比較的重い人格障害では、この認識が十分にできなくなります。そして、相手が自分の思い通りになれば「良い人」であり、「味方」であるが、思い通りにならなければ、「悪い人」や「」に容易に変わってしまうのです。

 つまり「すべて良い」か「すべて悪い」、「全か無か(オール・オア・ナッシング)」の二分法的な両極端な思考や感情を示すようになります。こうなると、「すべて良い」はずの人が、何かをきっかけに「すべて悪い」人にされてしまうことがあり、相手の方は信頼を裏切られたと感じ深く傷ついてしまいます。

 
 特に、こういう幼い心理状態に退行している状態では、悪いことはすべて相手に投影(自分の中にあるものを相手が持っているとみなすこと)します。これが人格障害の人が示す、「傷つきやすさ」や有害な「攻撃性」のもとにあるものです。

 
よい面も悪い面も全体として持っている人間という理解ができず、全体としてのその人とのつながりをもてないので、急に深い関係を持ったかと思うと、突然その関係を遮断します。離婚再婚を繰り返す人には、こうした人格障害を抱えた人がいます。

 
2.自己愛の病理

 
 「自己愛」とは「自分を大切にする能力」です。自己愛が健全に育つためには、親によって自己愛の欲求が適度に満たされながら、同時に、親の支配や助力を徐々に脱していくように導かれる必要があります。その過程が、あまりにも急速すぎたり、逆に親が支配を続けたりすると、自己愛の傷つきが生じるのです。

 乳児は、母子一体の感覚を持ち、未分化な自己愛を持っています。それが3歳前後の母子分離が進む時期になると、未分化な自己愛は「誇大自己」と「親の理想のイメージ」へと発達をします。これはさらに高度な自己愛である、「自尊心」や「理想」に発展していく中間の産物です。

誇大自己」というのは、万能感にあふれ、何でも思い通りになると思い、たえず母親からの称賛と見守りを求める存在です。非常に強い自己顕示承認欲求を持っています。これが適正に満たされると「自尊心」が発達しますが、これが満たされないと、病的な賞賛への渇望感を引きずったり、強い劣等感を抱えこんだりします。

親の理想のイメージ」は、神のように強く、優しく、何でも満たしてくれる理想的な存在である親のイメージです。通常は大きくなるにつれて、親の欠点も分かるようになり、ありのままの人間として受け入れていきます。すると親に褒められることがそれほど重要ではなくなります。

しかし、幼少期に現実の親が理想から離れた行為(虐待など)をすると、過度の理想化した親のイメージへの欲求が個人的潜在意識に潜み続けます。その結果、満たされなかった親の理想のイメージを誰かに投影し、誰かを理想化して崇拝したり依存することもあれば、自分のあるべき理想像を持てない苦しみから、アイデンティティの確立に苦労したりします。

 
こうして「自己愛」が健全な発達ができないと、幼い「誇大自己」が未発達のまま個人的潜在意識に残り、「自己愛の障害」(人格障害)をもたらします。この幼い誇大自己は、自己反省が苦手で、思い通りにならないことに対しては、全能感を傷つけられたと感じ、「自己愛的な怒り」で反応します。要するにキレるのです。

 
(参考図書:岡田尊司著『パーソナリティ障害』PHP新書)
人格障害⑦人格障害の種類
http://tanemura2013.blogspot.jp/2014/07/blog-post_3.html
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