2014年4月28日月曜日

(投稿)霧の中を進む2


(コメント)准カウンセラーの「大」さんの投稿です。心を探究していく過程で味わった「心理的な体験」を、イメージで書き綴ってくださいました。誰しも自分のことのように感じる部分があるのではないかと思い、紹介させていただきます。(種村)

 

(投稿)

道に迷って

 この一本の道は、緩やかな蛇行を繰り返しながら、登り坂が続いている。霧の濃さは変わらず、逆にさらに濃さを増しているように感じる。
目の前にうっすらと見えていた視界も、明らかに見えにくくなってきた。

見えなくなる視界を前に、焦りと苛立ちの気持ちがでてきた。
この先どうなってしまうのかという不安な気持ちも、再び湧き上がってきた。
焦りと不安に支配され、かすかに聞こえていたベルの音さえも聞こえなくなっていた。
とにかくここを抜け出したい。目の前を遮る霧の存在に対する怒りの気持ちがこみ上げてきた。
とにかく、ここを抜け出したい一心で、足運びが早くなった。
心の中は、目の前の霧に対する怒りの気持ちで一杯だった。
「ちきしょう! こんな霧さえ無ければ!」
そう叫んで、手に持っていた荷物を振り回し、霧を散らそうとした。
そんなことしても無駄だとわかっているのに、やらないわけにはいられなかった。
目には大粒の涙が溢れていた。悔しくて悔しくて仕方なかった。
やや自暴自棄になりながら、目の前が見えないまま走り出した。
何とか進めたので、そらみたことかと思った矢先であった。
踏み出した足の感覚が明らかに違ったのを感じた。
我に返り、必死に足を止めようとしたが、勢い余って転んでしまい、2,3回転したあと、何とか止まることができた。
転んだ勢いで、体の数カ所から血が出ていたが、大怪我にはならずに済んだ。
周りを見てみると、少し折れかかった低木があった。幸いにも、この低木がクッションとなって、止まったらしい。

 

危険で厳しい道のり
よく見ると、この先は、深い崖になっていた。どのくらい深いかは、霧が邪魔して見えなかった。顔から急に血の気が引いていくのを感じた。
この低木に感謝をし、折れた部分を、持っていたヒモでしっかりと結び、元の状態にしてあげた。
しかし、道のすぐ脇が崖だったとは。霧で見えなかったとはいえ、とても危ないところを登ってきたことに、ようやく気づくことができた。


さらに気づいたことは、荷物を振り回した後に走り出した方向は、全く逆の方向だったということであった。霧で視界が悪い中、さらに気が動転したこともあり、自分が登っているのか下っているのかもわからない状態だったようだ。
冷静に考えてみれば、これほど勢いよく転んだのは、坂道を下っていたからであろう。
登ったところより、かなり後退してしまったようだ。
気持ちが落ち着いたら、全身に痛みを感じた。止血の処理をしながら、冷静でなかった自分を反省した。
今は、自分を責める気にもなれなかった。
むしろ、谷底に落ちずにすんだことに感謝をした。
そして、自分が今歩んでいる道が予想だにせず厳しかったことに、身が引き締まる思いだった。

 

導きの音と光
道端にあった岩に静かに腰を下ろし、再び耳を澄ませた。
かすかであるが、ベルの音が聞こえてきた。
ただ、音が小さすぎて、どこで鳴っているのかわからなかった。
ベルも鳴らし方を変えながら、こちらの居場所を探しているようであった。
少々お腹が空いたので、荷物の中の食べ物を探した。
先ほど荷物を振り回して、さらに転んだ勢いで、荷物の中から食料と水がこぼれ落ち、ただでさえ少なかった食料が、さらに少なくなっていた。
そのわずかに残った食料を少しだけ口にした。
冷静さを失うと、本当に大切なものまで失う羽目になることを、深く教訓として学んだ気がした。
二度とこんな馬鹿な真似はするまい、と深く心に誓った。
ふと、持っていた荷物袋をよく見ると、落ちないようにしっかりとくくりつけてあるものを見つけた。よく見ると、カンテラのようであった。
そのカンテラに火をつけ、辺りを照らしてみると、霧の中の視界が少しだけ見えるようになった。
これで少しづつ進むことができる、と少し気分が明るくなった。
しかし、なぜ、カンテラが入っていたことに気付かなかったのだろう。
懐中電灯と違い、前を思ったほど照らすことは出来ないと思っていたのかもしれない。
しかし、少しではあるが、先を照らすことができるから、このカンテラを照らしながら進むことにした。
それよりも、このカンテラの包み込むような暖かい光が、疲れきった心を癒してくれた。
そのような優しい力が、このカンテラの灯にはあった。
このカンテラの光を眺めながら、静かに安らいだ気持ちを味わっていた。
このまま時間が止まってくれればいいのに。そう思った。
さきほどまでかすかに聞こえていたベルの音が、次第にはっきりと聞こえてくるようなきがした。
いや、気がするのではなく、ハッキリと聞こえ出してきたのだ。
ハッと思い立って、カンテラを手に持ち、高らかに頭上に掲げた。
すると、こちらの存在を確認したかのように、こちらに向かってベルの音がハッキリと聞こえて食えるのがわかった。
ベルの音は、四方に鳴らしながら、こちらの居場所を探していたのだ。そして、このカンテラの光を目にし、こちらに向かって鳴らし始めたのだ。
このカンテラを掲げている限り、この濃い霧の中を進んで行く道標として、そして、ベルを鳴らす先への合図として、道に迷うことなく進むことができる。
そう気づいて、少しだけ心が希望の光で明るくなった。

まだ先はどこまで続いているのかわからない。
しかしながら、怪我の功名といってよいのか、思わぬ宝物を見つけることができた。
それも、自分が大切に持っていた荷物袋の中に。
一時的に迷ってしまったことを後悔しても仕方がない。

失うものもあったが、得られたものもあった。

それもこの道程を進む上で欠かせないものを手に入れたのだ。

いや、もともと持っていたことに気づくことができたのだ。
とにかく、一歩一歩進めて行こう。
カンテラを高らかに掲げて。

自らのためだけではなく、後から続く者のためにも、このカンテラの灯が道標になるように。(大)

 

2014年4月16日水曜日

(投稿)霧の中を進む


(コメント)

準カウンセラーの「大」さんが、心と人生を探究していく過程で感じた迷いと、その時に自分を導いてくれる心の奥底の声を、詩としてつづってくださいました。もし、今迷いがあり、霧の中を歩んでいるような気持ちであれば、この詩は霧の中のカンテラの役目をしてくれるのではないかと思います。(種村)

 
(投稿)霧の中を歩む

深い霧に囲まれた中 ただ一本の道を歩む
道の先は霧で見えず 振り返るとも 今まで来た路も見えない
道の横は草原なのか それとも崖なのかも わからない
今は明け方なのか それとも夕暮れなのか
これから日が昇るのか それとも暮れるのだろうか
身にまとったヨレヨレの服と わずかばかりの食料を手に
一歩一歩と足を運んでいく

この道が どこまで続くのか
そして どこにつながっていくのか

今までに いくつかの分かれ道があった
内なる あるいは 外からの導きで 
信じる道を選んで進んできた
そして 今は ただ一本の道が目の前に延びている

この霧は いつかは晴れるだろう
そして その時に 自分が進んできた道を 振り返って見ることになるだろう
目の前の道が どこにつながっているのか 見えるだろう
しかし それはいつかはわからない
ただ この道を進むしかないということだけは わかっている

歩むのに疲れて 少しだけ道ばたに腰を下ろす
耳を澄ませば 静寂と喧騒が入り交じっている
聞きようによっては 静寂にもなり 喧騒にもなる
そうしたことが ますます不安に拍車をかける
自分の歩んでいる道は いったい正しいのであろうか
もしかしたら 間違った道を 気付かずに 進んでいるのではないか
そうした気持ちを嘲笑うかのように 霧はいっそう深くなっていく

焦るな 結果を求めるな このような霧に惑わされるな
静かに目を閉じよ そして耳を澄ませ 静寂の中に意識を集中せよ

そうした声が聞こえる
静かに耳を澄ましてみれば 遙か先からベルの音が聞こえる
耳を澄ませば澄ますほど その音がはっきりと聞こえてくる
昔聞いたことのある このなつかしい音色は
不安に包まれた心を やさしく和ませてくれる

迷ったら 目を閉じよ
静かに耳を澄ますのだ
このベルの音は 常にあなた方に向かって鳴らされている
この深い霧の中で 目の前に広がった光景に惑わされたら
静かに目を閉じて ベルの音に耳を傾けるのだ

霧はさらに深く どこまでも続く
いつになったら はれるのか 永遠にはれないかもしれない
目の前には うっすらと 一本の道のみが見える
あふれそうになる涙を こらえながら
一歩 一歩と 足を進めていく
目を閉じると はるか遠くからベルの音がなっているのが聞こえる
このベルの音を頼りに ベルの音に向かって 一歩一歩進んでいく

そう 迷わずに進むこと
この永遠に続くであろう道を
真実につながっているであろう道を
迷ったら目を閉じる
そうすれば 導きの音色が必ず聞こえて来るであろうから
その音が聞こえる限り 決して迷うことはない
あとは じっと耐えること
この深い霧がはれるまで じっと耐えること
そして 足を休めずに ゆっくりでもいいから 進んでいくこと

自分にできるのは それだけ
でも 真実にたどり着くことのできる 唯一の方法であると信じている

自分を信じ 導きを信じ ただただ 進むのみ()

 

<連絡先>

種村トランスパーソナル研究所

所長兼心理カウンセラー 種村修

電話:090-8051-8198

2014年4月11日金曜日

(投稿)怒りの対処法 5


仕事でのトラブル

仕事での取引で、取引先と電話で連絡を取ったときのこと。
 取引先の指示に従って、こちら側が用意した内容を準備をし終えて、確認の電話をしたとき、その内容では、こちらでは対応できないという話をしてきました。
 自分では、取引先の話を信用して、この準備をするために、ある程度のお金をかけて準備したのですが、それが全く無駄になるかもしれないということが判明しました。
 私もさすがにキレそうになり、声を荒げて「話が違いますよ・・」と言い返したら、さすがに先方もこちらの様子を察したのか、相当にアセった様子だったので、「いかん、いかん・・」と少し冷静になりました。
 ここで、少し頭の中を整理して、「今、自分にとって何が大切か?」ということを考えました。

「この不条理な状況に対して、相手の責を責めても仕方がないことだけはわかりました。目的は、自分の仕事のゴールにたどり着くこと。ゴールまでの道のりは、いくらでもパターンはある。目の前に障害物が現れたら、それをいかにくぐり抜けていくか。とりあえず、ゴールだけに集中しよう。

そう考えて、1つ1つ対応をしていきました。その結果、何とか大きな問題にならずに、仕事の目的は達成されました。

目の前の障害物
 その翌日、車で急いで道を走っていたときのこと。思いの外、赤信号とゆっくり走る車に前を阻まれ、かなりイライラしているのを感じました。そのときに、前の日の、仕事での出来事を思い出しました。
「焦るな。ゴールにたどり着くのはどうしたら良いかを考えろ。」
そうして、気持ちを切り替えながら、無事時間通りに目的地にたどり着くことができました。

 ある目的を果たそうとするとき、目の前に障害物が現れると、その障害物に対しての怒りがわいてきます。自分の目的を達成することを阻害する要因であるからです。自己防衛本能として、そのような怒りがわいてくるのでしょう。
 自分はしばしばそのような怒りに心を悩まされてきました。頭ではわかっているのですが、どうしても「怒り」という感情がわいてきます。
 怒りを発してしまった後は、自分の心が未熟であることを責め、自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。

内なる声の導き
 そんな中、今回の経験をきっかけに、怒りについて、どのように対処すべきか、自分の心に問いかけてみたところ、このような答えが返ってきました。

 自分の目的を達しようとする心は決して悪い思いではない。人間は、本能として、自己実現の欲求を持っている。自ら考え、その目的を達成しようとすることは別に悪いことではないのだ。それは日常の生活のような小さなことから、自分の人生をかけた一大事業に至るまで、その本能というものは影響している。神から分かれ、神の思いを実現するためには、必要なものであるのだ。
 問題は、目の前に現れた障害物に対する「とらえ方」にあるのではないのか。自分を「自然と分離した存在」としてとらえるならば、自分の周りに現れた障害物は全て敵と見えるであろう。その敵と見えしものが、本当に「敵」であるのかを考えてみることだ。そして、自分が大いなる存在の一部であるということを悟った時、もしくは悟りに近づいていくにつれ、「敵」と見えし存在が、実は「敵」ではないことに気づくでしょう。

具体的な対処法
  そして、具体的には、次のような方法で対処することにしました。
1.まずはゴールを目指すことに注力する。
2.途中に障害物(と見えしモノ)が現れたとしても、ゴールに到達するために、いかにきりぬけるかに注力する。
3.それでも、ゴールに到達することができなかった、もしくは満足のいく結果を得られなかったとしても、それはそれで受け入れる。そこに大いなる力が働いたということを認める。
4.自分は常に大いなる導きの下にあるということを信じる。そうすれば、エゴに振り回されることなく人生を渡っていけるようになる。

 ゴールを設定し、その目標に向かって進んでいくことは決して悪いことではありません。問題は、その目標に向かう過程での、心の持ち方です。進化をすることが良い結果になるか悪い結果になるかは、この部分が大きく影響してくると思います。

 目標を達成するにあたって、達成を阻害するモノが、自分にとっていったいどんな意味があるのか。そうした問いかけが必要であると思います。目の前を阻む障害物に対して、怒りをもって相対するのか、それとも自分を磨く砥石としてとらえていくのか。そして、何のためにゴールに向かうのか。その過程で何を得るのか。そのことを自分に問いかけながら、前に進んできたいと思います。 ()

2014年4月9日水曜日

キレる心を治す・・・・栄養カウンセリングのアプローチ



  現在新しい流れとして分子整合精神医学と呼ばれるアプローチがあります。脳が必要とする栄養素を調整することで、精神疾患を治したり症状を和らげようというアプローチです。これには切れやすく攻撃的な精神状態の改善、うつの改善、統合失調症の改善などに、大きな効果をあげています。

特に、「切れる」子供や大人が近年急増する理由には、食生活の問題が潜んでいる場合が少なくありません。この場合には、心理のカウンセリングだけでは不十分であり、栄養面からのカウンセリングが必要になります。

 
低血糖の恐怖

 現代はカロリーのとり過ぎにより血糖値(血液中の糖分の濃度)が高くなる糖尿病が問題になっています。ところが、精神面では甘いもののとりすぎからくる低血糖が大きな問題となるのですが、これは意外に知られていません。

 砂糖が多く含まれているコーラなどの清涼飲料や、ケーキやチョコレートなどの過剰摂取によって砂糖(特に白砂糖)をとりすぎると、低血糖が発生することがあります。低血糖というのは血液中の糖分の濃度が異常に下がり、脳を始め体に必要な養分が不足して深刻な機能低下を起こす怖いものです。それが砂糖のとりすぎで起こることがあるのです。

砂糖をとりすぎると低血糖になるというのは意外ですが、真実です。そうなる体の仕組みをご紹介します。

まず、砂糖が大量にふくまれた清涼飲料や菓子類を大量に食べると、血中の糖の濃度が急速に上昇します。するとそれを抑えるために、膵臓からインシュリンが大量に分泌されます。その結果、血中の糖の濃度が大幅に下がって、低糖症になるのです。

低血糖になると、身体はもちろん特に脳の働きが低下するので、生命に危険が起きます。低血糖の症状としては、空腹感、あくび、脱力感、冷や汗やふるえ、動悸、けいれん、性格の狂暴化、意識障害などが次々に現れます。

それを回避するために体に自動調節機能が働き、今度は血液中の糖の濃度をあげようとします。

 
何故キレるのか

血中の糖の濃度をあげるために、ホルモンであるアドレナリンと神経伝達物質でもあるノルアドレナリンというホルモンが副腎から放出されます。両者は肝臓を刺激して糖分(グリコーゲン)出させる働きをします。

特にアドレナリンですが、このホルモンは「攻撃ホルモン」と呼ばれるもので、危機的な場面に遭遇した時に、戦うために心臓を活発にさせ、攻撃性を高める働きをします。このために低血糖になると、人は攻撃的になるのです。

反対にノルアドレナリンは、恐怖感、自殺念慮、強迫観念、不安感などの感情を引き起こします。ノルアドレナリンは理性を司る大脳皮質前頭野の神経伝達物質となっているので、「低血糖などによりノルアドレナリンが急上昇すると、理性的な判断ができなくなり、発作的な感情に支配されてしまう。いわゆるキレる症状」(マリア・クリニック『栄養療法の手引き』)が起きてしまいます。

結局、アドレナリン、ノルアドレナリンによる諸症状として、精神症状は、「にらんでいるような顔つきになり、暴力をふるったり、奇声をあげたりする」(ウィキペディア)ので、これが、いわゆるキレる状態です。

 
砂糖のとりすぎは危険

 コーラや甘い菓子を大量に食して、コメや野菜をあまりとらない子供は、しばしばイライラして精神が不安的になりキレやすくなります。この時に低糖症に陥っているのですが、そうすると体は甘いものを欲しくてしょうがない状態になります。

しかし、白砂糖を大量に使ったものは、すばやく体内に吸収されるために血糖値が急激に上がり、インシュリンが大量に出て、結局、血糖値が下がりすぎるという悪循環に陥ります。そうすると精神はきわめて不安的になるので、危険です。 

そこで応急処置として、やや吸収しにくい糖分を補給することが、低血糖を抑えつつ悪循環に陥らないために必要です。それがバナナです。バナナは白砂糖ほど早くはないが、多糖類であるサツマイモほど時間がかからずに吸収されるので、効果的だということです。

 栄養カウンセラーの大沢博(岩手大学名誉)教授は、ある母親からの相談を受けた体験を紹介しています。23歳になる息子が、発作的に暴れだし、「俺をどうにかしてくれ! コーラを買ってこい!」と怒鳴るので、すぐに母親がコーラを買い与えたのですが、不安がつのって大沢教授に電話してきたのです。この時、バナナを与えるようにと指示を出しました。1時間後、母親からようやく息子が落ち着いたという電話が入ったといいます。

この息子は、大学に入ってから、毎日、砂糖入り缶コーヒーを十本以上も飲んでいたようで、その食生活を聴いて母親も驚いたといいます。コーラも大好きで、どちらもカフェイン飲料であり、しかも砂糖入りです。大量に飲めば、低血糖になってもおかしくはありません。(『食事で治す心の病』第三文明社)

 子供の家庭内暴力も大人の虐待も、心が切れやすくて統御が効きません。その場合、食生活が低血糖になるような要素がないかどうか、まずチェックして、改善することが急務となります。

 心身一如という言葉がありますが、心の問題と身体の問題は密接にかかわっています。そのため、栄養に関する知識にも目を配ることが、心理カウンセリングには不可欠だと考えています。(種村)

<種村トランスパーソナル研究所>
電話090-8051-8198
メール:tanemura1956@gmail.com
 

2014年4月7日月曜日

(投稿)勉強への感謝


父と息子の勉強

最近になって、少しあきらめかけていた国家試験の勉強を始めました。
初めのうちは調子よく勉強できていましたが、徐々に収穫逓減の法則が働き、勉強がうまく進まなくなってしまいました。
ここで踏ん張らないと、また去年の二の舞になってしまうと思い、奮起するのですが、頭が疲れてきているのか、最初の意気込みはどこにいってしまったのか、勉強するのがイヤになってしまいました。

そういえば、長男も同じようなことを言っていました。
「なんで勉強をしなくちゃいけないのか。」
「僕は勉強があるために、なんでこんなに苦しまなければいけないのか。」
「勉強がない国に行きたい・・・。」

長男の気持ちがよくわかりました。
勉強するのは大切かもしれない。でも、継続していくのは、それなりの犠牲と苦しみを伴うものである・・・。
「勉強をしろ。」というのは簡単なことです。しかし、親である自分が勉強している姿を見て、「自分もがんばらなくては」と思って、自主的に勉強をしてほしい。自分は何もせずに、子どもにだけ勉強を強いることは、確かに理に合わない。試験勉強をもう一度やり始めようと思い立ったのも、そうしたことがきっかけとしてありました。親の背中を見て育って欲しい、そうした思いがありました。

でも、やはり苦しいものは苦しい。できれば、やめたい。

しかし、私の心の奥底から伝わってくる思いはそうではありません。

心の奥底からの思い

<この試験勉強は何のためにおこなうのか。勉強はあなたを苦しめるためのものであるのか。そうであるならば、勉強というのはあなたの「敵」ということになるでしょう。では、この資格を取得してどうするのか。多くの人達の助けになるために、この資格を取ろうとしているのではないのか。そうであるならば、今勉強している知識は、あなたの役に立つはずのものではないのか。そうした知識を身につけることは、あなたにとって、武器を身につけることと同じではないのか。あなたの役に立つために働いてくれるものではないのか。そうであるならば、なぜ感謝の思いが湧いてこないのか。
今日より、いま使っている参考書や身につけようとする知識に対して、深く頭を下げなさい。「ありがとう」という気持ちを大切にしなさい。受け入れる気持ちを持つことが大切なのです。これから身につけ、自分のために役立ってくれる資格や知識に対して「敬虔」の気持ちを持つことです。そうすれば、今味わっている苦しみも、喜びとなるでしょう。そして、勉強がより一層はかどることになるでしょう。「感謝」が大切なのです。
長男にもそれを教えてあげる必要がありますね。もう少し、知識に対する敬意ということが大切なのです。それはあなたにもいえることです。>

確かに、今までは、試験勉強に対して一種の義務感があり、苦しみがありました。
お金に対してもそうですが、その対象に対して敬虔なる気持ちを持たないといけないと感じました。

それから、参考書に対して、感謝を持って勉強を始めることにしました。 (大)

2014年4月4日金曜日

(投稿)感謝ということ



マズローの欲求段階説と感謝
 

心のモチベーションを高めるために、まず大切になるのが「感謝」ということです。

人間の心というものは、感謝に始まり、感謝に終わるといって良いでしょう。

 「感謝」をするということは、とても大切なことであるということは、皆知っています。感謝することの大切さを述べた書籍などは、山のように存在しています。

では、「感謝」の本質とはいったい何であるのか。

「感謝」というものはとても素晴らしいものであるということは、わかっている。では、いったい「感謝」はなぜ、良いことであるのか。もともと「感謝」ということは何であろうか。

人は感謝をすると、心が安らぎます。心から憎しみが消え、ストレスが吹き飛び、心の底から喜びが湧いてきます。そして、報恩をしようとする感情が生まれてきます。善念の集合体、それが「感謝」であるように感じます。

 

マズローの欲求段階説を見ると、生理的欲求から始まって、自己実現欲求までの段階に至るまで、何が変わっているかといえば、「感謝」の度合いが変わっているといえると思います。

 人間が生まれて、自分を1つの「個」と認識し、自然と隔離した存在であると感じる段階を得た時、その自然(自分以外の環境)は自分という「個」に対してどう接しているかということが、欲求段階に多分に影響を与えることは明らかです。

つまり、自分という「個」に対して、「自然」は害する存在であるのか、それとも守ってくれる存在であるのか。言いかえれば、否定的存在か肯定的存在であるかということになります。

欲求段階で見ると、最下層では、否定的である要素が強く、上層に移るにつれ、肯定的要素が強くなってくると思われます。上層は社会的貢献の欲求ですから、世の中を肯定的に見ることができないと、基本的には難しいのではないかと思われます。自然に「感謝」の念というものも強く持つようになってくると思われます。

そうした理由で、マズローの欲求段階は「感謝」の度合いに比例するということを定義してみたいと思います。

付け加えて言えば、欲求段階のさらに上の段階である「自己超越」の段階では、心が「感謝」に満たされるということを述べておきたいと思います。

ゆえに、欲求段階を心の成熟度の段階ととらえるならば、「感謝」を高めていくとこが、心の成熟につながっていくといえると思います。

 

感謝の本質
 


さて、この「感謝」の本質について、述べてみたいと思います。

私の受けたインスピレーションを素直に語ってみたいと思います。

 
 人間の魂は、もともと超越潜在意識が分かれて生まれたものです。

 生まれたばかりのころは、自他を分けへだてた感情というものは、ほとんどありませんでした。

そして、生まれたばかりのころに、最初に持っていた感情が「感謝」であったのです。

超越潜在意識から生まれておりながら、超越潜在意識や他の個性と一体であることへの想いが「感謝」となって表れていたのです。

そして、生まれ変わりを繰り返すうち、この世においては、徐々に「個」というものを形成し、自他をわけへだてることになっていきました。そうすると、感謝の念というものは、なくなりはしませんが、薄れてきます。

人が「感謝」の念いを持ったとき、自他がつながっているという感覚がよみがえってきます

 人は、自分が生まれた時の感覚を多かれ少なかれ覚えているのです。

ゆえに、「感謝」を深めていくと、「自他一体」の感覚に限りなく近づいていきます。

私たちが本来持っている感覚がよみがえってくるからです。

 

 「感謝」というものは、人間が本来持っている根本的な感覚です。人間の根源的な感情といってもよいでしょう。ですから、「感謝」というものが、すべての感情の上に来るのです。

ですから、「感謝」を深めていくことは、人間の心の成熟度を高めていくと同時に、悟りへの道とも直接的につながっていくのです。

 

 「感謝」からは「進歩」と「調和」を両方含んでいます。

独りよがりの「発展」からではなく、自然の一部としての自己拡大として展開する「発展」には「進歩」の中に「調和」が含まれています。これこそ真の「発展」というものです。

 「感謝」に満ちた世界は、「調和」にあふれています。そして、皆が全体の一部として、他を思いやりながら自己発揮していく姿、これこそが本当のユートピアといえるのではないでしょうか。

つまり、「感謝」を軸にした発展は、必ずユートピアの道につながっていくのです。

我々が本来目指すべき「発展」の姿であり、超越潜在意識の望んでいる姿でもあるのです。

 

 「感謝」は頭で考えて生まれるものではありません。

 心の中から自然にわいてくるものです。

 「感謝」は作り出すものではなく、本来あるものを発現していくものであるからです。

 「感謝」を生み出そうとしてはいけません。

 我々の本質には、「感謝」が存在しているのです。その眠っている感覚を呼び覚ます、そういうことが必要になってきます。

ですから、「感謝」の次は「信じる」ことにつながっていきます。

本来、超越潜在意識ら分かれてきた自分というものを「信じる」こと。 それが大切なことになってきます。(大)

<連絡先:種村トランスパーソナル研究所>
所長兼心理カウンセラー 種村修


 電話番号:090-8051-8198


 メールアドレス:tanemura1956@gmail.com

過去の回想と心の浄化(2)



回想の方法

(前回からの続き)

相手の気持ちに触れる

 書くときに、過去の回想として書くという方法がまず思い浮かびますが、ロールレタリングという往復書簡法を使うと、非常に効果的に回想が進みます。往復書簡法を使うのは、たとえば父親との関係を振り返りたいときは、自分と父親との手紙のやり取りを、自分が双方の立場に交互になって行うのです。その時に、父親の視点に立って書くと、今まで自分が思ってもみなかった父親の気持ちに触れたり、忘れていた記憶がよみがえってきたりします。

 過去の回想で最も重要なのは、自分が周囲の人にどういう影響を与え、どういう思いをさせていたかを理解することです。これが分かると、真の意味での反省ができます。自分の発した言葉で相手がどれほど傷つき苦しんだのかを知ると、おのずと反省せざるを得なくなります。申し訳なかったという気持ちが生まれ、償いたいという思いを持つのです。そして二度と同じことをしまいという決意がうまれます。

 この時に、自分を裁かないことが大切です。自分を裁いて自己卑下したり、罪悪感に捉えられると、あらたな傷が生まれます。これでは癒されません。そういう自分であっても生かされて生きているという事実に気がついて、感謝の気持ちを持つことが必要です。そして、そういうプロセスを経てきた自分を、これも自分であると受け入れることが必要です。
 

臨死体験者の経験をヒントに

 私はこの時にどういう気持ちで自分を見つめるかという点では、臨死体験者の方の経験が非常に参考になると思います。臨死体験者は、過去の自分をまるでスクリーンの映像のように見るといいますが、その時に「光の存在」が立ち会ってくれます。その「光の存在」は決して非難したり裁いたりすることなく、「おじいさんが孫に与えるような、無条件の思いやり」(ダニオン・ブリンクスリー著『未来からの生還』)をもって寄り添ってくれます。そして、「その経験からあなたは学ぶことができる。何か大切なことをあなたは学ぶ」という無言の信頼に満ちたメッセージを送ってくれるのです。

 この「光の存在」の温かい視線で、過去の人生の経験やその時の心の動きを見つめるのです。そして決して裁かず、その経験を通して得ることが期待されている洞察を得ようとします。「この経験通して、私は何を学ぶことが期待されているのだろうか」「何を学ぶためにこういう経験をしたのだろうか」と自分自身に問いかけて、その答えを待つのです。それによって真の癒しが得られます。

 もちろん、カウンセラーがいる場合には、カウンセラーが「光の存在」の役目を引き受けます。それによって、相談者は自分を傷つけることなく、過去の回想ができるのです。

 
深層潜在意識の浄化

 私たちは深層潜在意識にある過去世の記憶は、通常は覚えていません。例外は2歳から6歳ごろまでの子供です。彼らのなかには、過去世の記憶や母親の胎内での記憶を持っている人がいます。アメリカの心理学者には、膨大な数のそうした子供の事例を調査した大学教授おられ、権威ある仕事として評価されています。

 大人でも、訳の分からない不安や恐怖心に悩むことがあります。今までそれらしい経験をしたはずがないのに、どうしようもなく不安が込み上げたりする人がいます。

カウンセリングの最中でも、時々そういうケースに出会います。この場合は、まず込み上げてくる感情に意識の焦点を当てます。どういう感情が込み上げるのかをつぶさに味わいます。そしてその時にどういうイメージが湧いてくるかに意識を向けます。そのイメージを簡単なクレヨン画にすることをお勧めします。イメージが湧けば、そのイメージを使って、さらにその時の状況や心の動きを調べることができます。それぞれのイメージが発しているメッセージや主張を心で感じ取るのです。そうすると、おぼろげながらも過去世で経験したことがどういうことだったのかが、理解できるようになります。

これは深層潜在意識に蓄えられている記憶であり、過去世にできたトラウマです。必要があれば、それは私たちの意識にのぼってくることがあるのです。特にカウンセリングの最中には、それが思い出されやすくなります。そのときに、潜在意識が心の傷の癒しを求めて、封印されていた記憶や感情が表面意識に浮上してくるのです。それを味わって、深く理解し、その経験を通じて得られる魂の教訓を理解できると、そのトラウマは次第に消えていきます。この場合に、特に退行催眠は必要ありません。覚醒したまま行いますので、非常に安全です。

 
心理療法のために

 以上みたように、私たちの心の浄化には、過去の回想が不可欠です。そして、自分が抑圧してきたものを見出し、それと向き合うことが決定的に重要です。

ですが、抑圧は、それに気付くことを拒否した感情です。だから、発見が困難です。

 そこで、夢や投影法を使う必要が出てきます。表面意識を鎮めて潜在意識が浮上しやすいようにする方法も必要になります。これは心理療法(カウンセリング)の領域ですが、個人でもできないわけではありません。しかし、やはりカウンセラーによる手ほどきを受けることが早道だと思います。

個人でする場合でも、カウンセリングでする場合でも、丹田呼吸法が十分いできていると、非常にやりやすいのは事実です。この「希望のブログ」でも、しばしば呼吸法に言及しているのは、それが大変有効で必要不可欠だからです。

 
 なお、多忙、もしくは遠方の方でカウンセリングができない人のために、メール・カウンセリングを行っています。書くことによって回想が進みますし、ロールレタリングの指導も行っており、心の浄化には効果的です。ご希望がある方は、メールか電話でお問い合わせください。(種村)

 
<連絡先:種村トランスパーソナル研究所>

所長兼心理カウンセラー 種村修

 電話番号:090-8051-8198

 メールアドレス:tanemura1956@gmail.com