2014年3月29日土曜日

(投稿)豊かさへの提言 ②


より良きモノを長く使う

 
品質の良いものは高価です。どうせ消耗品なら、安いモノを買った方がいいと言って、百円均一で間に合わせることも少なくないと思います。

たとえば、子供服などでは、すぐに大きくなるし、すぐに汚すから、安物でもいいと考えることもあります。傘なども、すぐになくしたりするから、安いビニール傘で間に合わせることもあります。

 
 我が家は運良く男の子2人でした。妻は、長男にミキハウスの一着数千円もする服を購入していました。私は安物好きでしたので、何度か文句を言ったのですが、妻の言い分は、「値段ではなく、モノの丈夫さで選んでいる。安物を繰り返し買うより、値の張ったモノを、長く使った方が、結局のところ安上がりになる。」とのことでした。確かに、長男の着た服を、次男が着たのですが、全く型崩れせずに、その次男の着終わった服を、友達に送ってあげたりしていました。

 
 値段が高いものほど、そのモノに愛着を持ち、大切に使うようになるものです。たとえば傘なども、安物を買うよりは、少々値の張ったモノを買った方が、何となく使っていて気分も良いですし、愛着も湧きます。結果長く使うことになって、初期投資のもとは十分にとれることになります

ユニクロなども、できれば避けたいものです。最初は金銭的に難しくても、そうした心がけを絶えず続けていくことで、徐々に理想的な状態に近づいていけると思います。

 
心を豊かにする努力

 
そして、これが最も大切なことですが、モノにはそれ特有の波動を持っています。それはそのモノを作ったヒトや環境が乗っています。ですから、そのモノを所持するということは、そのモノが持っている波動に影響されることになります。

 
 高価なモノには、それなりの波動が備わっています。安物には安物なりの荒い波動が備わっています。メイドインジャパンの手の込んだ品物と、中国製の安物では、大きな違いがあるといえるでしょう。

 安い中国製のモノをたくさん持つのと、日本製の高価なモノを少量持つのとでは、自分自身に与える影響に格段の差が出てくると言っても良いでしょう。

 
 持つモノは少なければ少ないほど良いです。同じ金額を払うなら、安物を大量に買い込むことよりも、知恵を使って、良いモノを少量身につけた方がどれほどか良いことでしょう。

 
 食べ物でも、安物をたらふく食べるよりも、本当に良い品を控えめに食べることです。世間には、中国産の危険な食材が出回っています。安さに負けて、そのような食品を口にし続けることは、まさしく自殺行為といっても良いでしょう。中国の資産家などは、自国の食材は一切口にせずに、日本製の安全な食べ物を食していると聞きます。食べ物はダイレクトに自分の体に影響します。安物で身を固めること以上に、食べ物に関しては気を遣っていきたいものです。

 
 安物に心を惹かれていくということは、心がだんだん貧しくなっていくことを意味します。安物を売りにしている店には、だいたい同類の客が集まります。そうでなく、値段よりモノの価値を重視している店には、それなりの客が集まります。

まずは、そうした豊かな心を持った客層に自分を合わせていくという努力が、徐々に自らを貧乏波動から遠ざけていくことになります

 
 安物に目をくらまされず、そうしたモノに身をあずけない努力が非常に大切なのではないでしょうか。(大)

 

2014年3月26日水曜日

(投稿)豊かさへの提言①



豊かになるための条件について、心の内に問いかけた回答を記述していきたいと思います。
現状では決して豊かであるとはいえないのですが、この回答を教訓として日々実践に移し、今後どのように変化していくかを観察してきたいと思います。
家計簿をつけ始めて数ヶ月たちますが、3ヶ月連続で赤字でした(汗)。
少しお尻に火がついた状態になっていますが、あまり焦らずに取り組んできたいと思います。


お金の有無を基準としない

モノを買う、もしくは行おうとするとき、そのものの価値の有無よりも、支払うお金の大小で判断することは控えること。


それが自分にとって本当に必要なモノか、価値のあるモノかを、金銭抜きにして判断すること。

 

そして、もし金銭的に用意することが出来なければ、どのようにして金銭的に間に合わせることができるかを考えること。

時間をかけて貯蓄するのも一法。

もう少し安価なもので間に合わせることができれば、とりあえずそれで済ませるのも一法。


要は、お金に使われるのではなく、「お金を使う」こと。


「もったいない」精神はとても大切であるが、不必要なモノを節約する、切り詰めるという場合でのこと。


何でもかんでも、お金を基準に考え、本当に大切なものまでケチるというのは、貧乏精神に取り憑かれていると言わざるを得ない。


繰り返すが、お金に使われるのではなく、「お金を使う」こと。(大)

 
(コメント)

これは「大」さんが昨年の9月に書いたものです。その後、彼自身の経済がどう変わったかというと、顧客が増え、仕事が大幅に増え超多忙になりました。社内でも抜擢され、現在は新しい資格にも挑戦中です。今のところ、豊かさに向かって着実に前進しているようです。「豊かさの提言」の実践の結果は、豊かさの実現として着実に現れてきているようです。(種村)
 
<連絡先>
種村トランスパーソナル研究所
所長兼心理カウンセラー 種村修
電話090-8051-8198
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com

2014年3月24日月曜日

命の炎を燃やせ4 運命のいたずら


トリックスターの働き

  人生には、「運命のいたずら」で人生が一変することがあります。運命を司る神様のおぼしめしとも見えないこともありませんが、その多くは深層潜在意識からの働きかけのように思います。

この思いがけない運命の内なる導き手のことを心理学では「トリックスター」と呼びます。私たちがトリックスターの抗しがたい力によって導かれることで、運命の激変とそれに伴う人格の変容を遂げます。

私たちの自我(エゴ)は、安定を求め、多く所有することも求め、社会的に評価されることを求めます。安定、評価、所有はエゴの特徴です。

ところが、トリックスターが働き出すと、変化を求め、自分の納得を優先し、自己放棄・献身の道へといざなわれます。

奴隷としてアメリカに売られながら、アメリカで身を立てて戦前の日本の大蔵大臣になって金融危機を救った方がいましたが、そこに見事なトリックスターの働きを感じます。

誰しも運命の急激な変動や思いがけない展開を経験することがあります。その背景にはトリックスターの働きがあるようです。

 もっともトリックスターという特別の存在があるというより、そういう潜在意識の働きがあると捉えると、わかりやすいと思います。

 

 トリックスターは人生の停滞を嫌うようです。会社勤めで毎日平凡な仕事にあけくれていたり、会社で出世できないことが見え出しお荷物になって停滞してきたり、ベテランの教師が同じことの繰り返しの中で成長が止まってきたり・・・。しばしばそういう時にトリックスターが現れます
 

私も人生では思いがけない出来事の連続でしたが、特に中年以降にそうしたことが増えました。今振り返ると、これはやはりトリックスターの働きが深層潜在意識で作用し人生行路を変えてきたように感じます。この導き手は、変化をよしとして停滞を嫌うようです。離陸を求め、単なるくり返しの人生を嫌う、そうした「成長」を求める意識が働いているのが分かります。どうやらそれはますます加速しているようです。

 変化を加速することで人格が停滞せず、より成長していく方向へと向かう。それがトリックスターの狙いのように思います。

 
視点を変える
 

トリックスターの視点から見ると、どんな人生であっても、「それが自分の人生なのだから、こうだったらいいのにとか、こうしておけばよかったとか、考えても仕方がない」と思えてきます。

人生の変動のなかで、今までの自分にない考え方に触れたり、いろいろな場で働いている人の意識に触れたりします。それは新たに未来に育つ種を心に持ったということです。一つ一つの経験は種子です。そこで身に着けたものを育てたり、浄化したり、そうすることを通して成長へと向かっていくことができます。

 一見、奈落の底へ堕ちる経験が、そこから這い上がってみると、全然違う自分になっていたりします。そうした経験をする前よりも、もっと力強くタフで、もっと成長した自分がいるのです。

人生の価値を「所有」に置き、目に見える財産の蓄積だとすると、この人生は失敗だと思う人もいることでしょう。でも、すべての人が死の際に財産を地上に置いていくので、所有という視点からは、私達全員が人生の失敗者になります。

人生の価値は所有ではなく「心の富」を得ることとすると、つまり様々な経験を通して意識が向上し、成長することが成功だとすると、財産のない人でも人生の成功者はいます。そういう考え方が大事だと思うのです。

 どれほど蓄積したものを守ろうと考えても、地震で一瞬のうちに崩壊したり、海水に流されたり、放射能ですめなくなって住む家を放棄することになることもあります。大変な試練ですが、それを通して成長してゆく道はあります。

 
私が出会ったある営業会社の所長は、大都会で有名な高級料亭を持ち高級マンションに住んでいましたが、大地震で一瞬にして両方とも潰れ、借金だけが残りました。仕方なく営業の仕事に飛び込み、そこで昼飯をとれず空腹に耐えながら、歯を食いしばって頑張りました。間もなく年商1億円の売り上げをあげるトップセールスに躍り出て、所長に抜擢されました。この人は出会う人の心に火をつける名人でした。人生は心に火花を持てば、どこからでも道が開けることを教えてくれました。

どんな人生であっても、不平を言っても始まりません。あるがままに人生を受け入れて、再出発するしかありません。世の中には、大変な人生を送っている人が数多くいます。それでもみんな頑張っています。

 突然不幸が我が身に襲い掛かることもあります。でもそういう場面に出会うからこそ、必死で探してカウンセリングを求める人も出てきます。心の世界へと足を踏み入れるのです。自分を振り返り、人生を反省します。そこに成長が始まります。ある人は心の別な側面を開発しなければならないことに気がつきます。人格が豊かになります。

トリックスターの目で人生を見ると、変化が素晴らしくて停滞がつまらないのです。成長がよくて停滞が悪に見えるのです。自分が蓄え所有するものの多寡によってではなく、自分の変化成長の度合いによって人生の成功を図るのです。人から羨まれ賞賛されることではなく、その体験の質の深さと高さが鍵だと見えるのです。そういう見方をすると、自己評価が変わってくると思います。(種村)


 <連絡先>
種村トランスパーソナル研究所
所長兼心理カウンセラー 種村修
電話090-8051-8198
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com


 

2014年3月17日月曜日

(投稿)覚悟


(コメント)

夢は潜在意識からの手紙です。抑圧されて浄化されないでいる心的なエネルギーが、浄化を求めて顔を出すことがあります。今回の「大」さんの投稿は、夢を見て、自分の過去に蓄積した思いを振り返り、新しい生き方を決意した内容です。

私も夢を見ると、その意味を考えることを常としていますが、夢という潜在意識からのメッセージに取り組むことは、人生のかじ取りをするうえでとても重要だと感じています。志賀直哉の『暗夜行路』を読むと、主人公の人生行路の変更に夢が非常に大きな役割を果たしていますが、志賀直哉も夢のもつ意味を実感していたのだと思います。(種村)

 

(投稿)無力感、挫折感からの脱却

 
昨日の夜、ある夢を見た
以前の職場の上司が出てきて、長々とやりとりをしている夢だった
起きた後、非常に心が重くなっていた

自分自身に対する無能感、そして不要感
学生時代から、ずっと取り除くことができない感情だった
卒業後に最初に入った職場では、

自分自身の無能感や挫折感をイヤというほど味わった
今にして思えば、自分があまりにも未熟であったこと、
そして、自分の性格や能力には全く合わない職種であったこと
そうはいっても、結局自分への無能感と挫折感だけが残った

10年ほどその仕事を続け、夢に出てきた上司からリストラされる形で、その会社を辞めた
それから全く職種も変わり、

ようやく自分に合った仕事に巡り合うことができた
しかし、自分の心に深く刻んでしまった負の感情だけが、時折顔を出し、

自分に語りかける
お前は、無能な人間だ、不必要な人間だ」、と・・・
その声に、ずっとずっと、苦しんできた

そして、その夢を見た後、思った
「もう、こんなことで苦しむのはやめよう」
そして、浮かんできたものは「覚悟」という2文字であった
そうだ、覚悟を決めよう
自分自身を変える覚悟を決めよう
いや、本来の自分に戻る覚悟を決めよう

目の前には暗く深い闇が広がっている
自分は、ずっとそう思ってきた
しかし、本当は明るく輝く世界の中で、

自分はずっと黒い目隠しをしていただけかもしれない
そして、闇に恐怖しながら、手探りで彷徨っていただけだった・・・

その目隠しを外すには、「覚悟」がいる、「勇気」がいる
そして、その小さな「覚悟」と「勇気」を、

同じことで苦しんでいる人々を助けることに向けよう

そう決意して、布団から体を起こした
いつもと同じ朝、繰り返し続く朝だったが、日々新生の朝でもある
この「繰り返し」の中で、何かを変えていこう

小さな「覚悟」と「勇気」
まだ小さくかすかな光であるが、

やがて自らをそして世界を大きく輝かせる灯となるだろう(大)


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種村トランスパーソナル研究所
所長兼心理カウンセラー 種村修
電話090-8051-8198
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com
 
 
 

2014年3月13日木曜日

(投稿)怒りの対処法⑤



(コメント)
<准カウンセラーの「大」さんは、自分の怒りを統御するために模索を続けてきました。そして自分の中の「自己」との対話により、一定の処方箋を編み出しました。自分を成長させるための格闘の中で生まれた処方箋は、示唆にとんでおり、他人が実践できて、しかも効果が上がるものとなっていると思います。>(種村)
 

キレそうになったとき

 
 仕事での取引で、取引先と電話で連絡を取ったときのこと。
 取引先の指示に従って、こちら側が用意した内容を準備をし終えて、確認の電話をしたとき、その内容ではこちらでは対応できない、という話をしてきました。
 自分では、取引先の話を信用して、この準備をするために、ある程度のお金をかけて準備したのですが、それが全く無駄になるかもしれないということが判明しました。
 私もさすがにキレそうになり、声を荒げて「話が違いますよ・・」と言い返したら、さすがに先方もこちらの様子を察したのか、相当に焦った様子だったので、「いかん、いかん・・」と少し冷静になりました。


 ここで、少し頭の中を整理して、「今、自分にとって何が大切か?」ということを考えました。この不条理な状況に対して、相手の責を責めても仕方がないことだけはわかりました。
「目的は、自分の仕事のゴールにたどり着くこと。ゴールまでの道のりは、いくらでもパターンはある。目の前に障害物が現れたら、それをいかにくぐり抜けていくか。とりあえず、ゴールだけに集中しよう。

そう考えて、1つ1つ対応をしていきました。その結果、何とか大きな問題にならずに、仕事の目的は達成されました。

 その翌日、車で急いで道を走っていたときのこと。思いの外、赤信号とゆっくり走る車に前を阻まれ、かなりイライラしているのを感じました。そのときに、前の日の、仕事での出来事を思い出しました。
「焦るな。ゴールにたどり着くのはどうしたら良いかを考えろ。」
 そうして、気持ちを切り替えながら、無事時間通りに目的地にたどり着くことができました。

怒りをどうしたらいいのか


 ある目的を果たそうとするとき、目の前に障害物が現れると、その障害物に対しての怒りがわいてきます。自分の目的を達成することを阻害する要因であるからです。自己防衛本能として、そのような怒りがわいてくるのでしょう。
 自分はしばしばそのような怒りに心を悩まされてきました。
 頭ではわかっているのですが、どうしても「怒り」という感情がわいてきます。
 怒りを発してしまった後は、自分の心が未熟であることを責め、自己嫌悪に陥ることもしばしばでした。

 そんな中、今回の経験をきっかけに、怒りについて、どのように対処すべきか、自分の心に問いかけてみたところ、このような答えが返ってきました。

「自分の目的を達しようとする心は決して悪い思いではない。人間は、本能として、自己実現の欲求を持っている。自ら考え、その目的を達成しようとすることは別に悪いことではないのだ。それは日常の生活のような小さなことから、自分の人生をかけた一大事業に至るまで、その本能というものは影響している。超越潜在意識から分かれ、超越潜在意識の思いを実現するためには、必要なものであるのだ。
 問題は、目の前に現れた障害物に対する『とらえ方』にあるのではないのか。自分を『大自然(大いなる存在)と分離した存在』としてとらえるならば、自分の周りに現れた障害物は全て敵と見えるであろう。その敵と見えしものが、本当に『敵』であるのかを考えてみることだ。そして、自分が大いなる存在の一部であるということを悟った時、もしくは悟りに近づいていくにつれ、『敵』と見えし存在が、実は『敵』ではないことに気づくでしょう。」
 こういう自己との対話をしました。
 

4つの処方箋


そして、具体的には、次のような方法で対処することにしました。
1.まずはゴールを目指すことに注力する。
2.途中に障害物(と見えしモノ)が現れたとしても、ゴールに到達するために、いかにきりぬけるか、に注力する。
3.それでも、ゴールに到達することができなかった、もしくは満足のいく結果を得られ   なかったとしても、それはそれで受け入れる。そこに大いなる力が働いたということを認める。
4.自分は常に大いなる導きの下にあるということを信じる。そうすれば、エゴに振り回されることなく人生を渡っていけるようになる。
 ゴールを設定し、その目標に向かって進んでいくことは決して悪いことではありません。問題は、その目標に向かう過程での、心の持ち方です。進化をすることが良い結果になるか悪い結果になるかは、この部分が大きく影響してくると思います。

 目標を達成するにあたって、達成を阻害するモノが、自分にとっていったいどんな意味があるのか。そうした問いかけが必要であると思います。

目の前を阻む障害物に対して、怒りをもって相対するのか、
それとも自分を磨く砥石としてとらえていくのか。
そして、何のためにゴールに向かうのか。
その過程で何を得るのか

そのことを自分に問いかけながら、前に進んできたいと思います。(大)

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2014年3月8日土曜日

(投稿)怒りの対処法 ④




竹林を見て
 

私の住んでいる近くの公園に、竹林があります。
公園の中なので、竹が適度に間引きされ、とても良く管理されています。
時折、仕事の合間をぬって、その竹林を散歩するのですが、その竹の美しさに、時折立ち止まって、見入ってしまいます。
私は、昔から竹が大好きでした。小さい頃は、近所から竹を切り取って、竹馬をつくって良く遊んだものでした。自分より背の高い竹馬を作って乗り回し、大人よりはるかに高い視点を得て、そこから見える世界の違いに、大変な驚きと満足感にひたっていたことを思い出します。

竹を見ていると、自分ももっと、竹のようにしなやかに生きたいと感じます。そして、自分の頭の固さを自己反省させられます。

怒りは人の心を固くします
現実を受け入れることができず、「~ねばならない」、「~であるべきだ」という考えに凝り固まって、ひたすら自由度を奪ってしまいます。
そして、自らの心を固くし、相手をはじき返そうと必死になります。そして、相手の方が固ければ、自分が砕け散ります。
それは、決して自らが折れないようにと、固くしまっている木にも似ているようです。そうした木自体は決して悪くはないのですが、自分の耐久性を超えた負荷がかかると、モノの見事に折れてしまいます。そうした木に対して、竹のようなしなやかさというものに、私達は学ぶべきことが多々あるのではないでしょうか。

 

竹のようにしなやかに

以前に、ある団体が、劇の創作をやることになり、その手伝いをしていたときのことでした。
私はその劇には参加していませんでしたが、メンバーのみんなはより楽しい劇を披露しようと、何日もかけて、台本や練習を繰り返していました。
そして、本番の1週間前に、関係者達の前で、プレお披露目をすることになり、ほぼ完成した劇の内容を発表しました。
結果として、内容が場に合わないなどの理由で、ボツとなりました。
今までの練習がすべて無駄になるので、メンバー達は到底納得できませんでした。ただ1人、団長が「では、さらにもっと素晴らしい内容のものが創れるかもしれない。」と言って、1から台本を考え直し、最初に創った内容とは全く違った、感動的な劇を作り上げました。残り1週間ということもあり、劇の動きを少なくし、語り部を増やして何とか間に合わせることができました。そして、当初の劇の内容とは違ったとても感動的な結果となりました。

目の前に障害や危機が迫ったとき、そして自分にとって不本意な現象が起きたとき、その対象物に対して、身を固くし攻撃する、そうした中に「怒り」というものが発現されます。現実を受け入れず、自分を害する対象として「自己防衛」で相手に「怒り」や「報復」を行う。もしくは「不満」や「恨み」の念を持つ。確かにそうした感情は、人情としてありましょう。
しかしながら、この劇の例でもいえるように、その障害を受けて、さらにより良きものに昇華していく「きっかけ」となることもあるということです。
「障害」は自らを害するきっかけになることもあれば、自らを高めるきっかけになり得るということがいえるのではないでしょうか。

それが、竹のように「しなかやかに」生きるということにもつながっていくと思います。
まず現実を受け止め、それをどのようにとらえていくか。
「障害」に負けない、固くて強い自己を作っていくか。
「障害」をより良きもへと昇華してくといったような、しなやかな自己を作っていくか。

漫画「北斗の拳」にもありましたが、剛のラオウ、柔のトキ、このような感じでもありましょう。

どちらがすぐれているとは一概には言えませんが、竹のようなしなやかな生き方というのは、ついつい見落とされがちであると思います。
最近のドラマで、「倍返し」がかなりの人気を集めていますが、そうしたことも人の心を固くするのに拍車をかけそうな気がしてなりません。このドラマ自体の影響は非常に怖いものがある、と危惧しているは私だけでしょうか・・・。

これからも、時折、竹林を歩きながら、「心のしなやかさ」について考えを深めていきたいと思っています。(大)

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2014年3月6日木曜日

(投稿)怒りの対処法 ③



暴力抗争に見る怒り

映画やドラマで、よくある光景です。

とある暴力団事務所での出来事。抗争の最中に、他の組の攻撃を受け、下っ端の組員が事務所に命からがら逃げ込んできます。
「仲間の○○が撃たれた。俺たちの場所も○○組にとられちまいそうだ。」
それを聞いた、他の組員がいきり立つ。
「ちくしょう、許せねえ!仕返しに、今から乗り込んで、奴らを血祭りにあげてやらあ!」
怒りに湧く組員を見ながら、ボスは静かに語りはじめる。
「まあ、そんなにいきり立つな。しかし、○○組もやりやがるな。なめたマネをしやがって。まあいい、おつりはたっぷり返してやる。」
ボスはそう言いながら、薄笑いを浮かべる。そして、しばらく考えた後、組員達に静かに指示を出す・・・。

そんな抗争を繰り返すうち、いよいよ警察が動きだし、ボスを含めた組事務所が追い詰められる。
そんな中、追い詰められた恐怖と不安で、いたたまれなくなる組員達。警察と差し違えようとする輩も出る始末。しかし、ボスは慌てずに語る。
「じたばたするな!」
不安にあえぐ組員を尻目に、ボスは終始堂々としていた。

ある時、ボスに命の危機が迫る。同じ組員の中に、別の組のスパイが紛れ込んでいた。ボスとその組員と二人になったタイミングを見計らって、彼はボスに拳銃を突きつけた。ボスは自分に突きつけられた拳銃を見て、静かに語った。
「おまえは、○○組の奴か。気付かなかった俺も、人を見る目がなかったということか。俺の目も落ちたものだ・・・。」
丸腰であったボスは、そう言って静かに目を閉じた。ボスは拳銃に撃たれ、そのまま息を引き取った。

怒りと不動心


このような仁義(?)を題材にした番組を時折見かけます。ここの登場するボスは決して善人ではないのですが、どのような場面にも心を乱さず、懐の深さを感じさせます。今までいろいろな修羅場を駆け抜けた故に、少々のことでは動じない、ある意味での不動心を体得したと思われます。

目の前に起きている現象にとらわれて、ジタバタするのは決まって下っ端です。彼らはいつ襲いかかるかわからない身の危険にさらされながら生きています。不安と恐怖にさいなまれながら生きているので、心が不安定で、少々のことで怒り出します。いわゆる「自己防衛」の塊となっています。

ボスの心境といえば、怒りの感情がないはずはないのですが、ある意味で、目の前の現実を受け入れている感があります。それは決して「あきらめ」ではく、感情に左右されずに、全体の状況を冷静に見ながら、次なる一手を考える。そうした心の余裕さえ感じられます。
 

自己防衛本能を超えるもの
 

怒りは冷静さを失わせ、理性を麻痺させます。そのため怒りに支配されると、冷静な判断ができなくなります。危機の中において冷静さを保つためには、現状を「受け入れる」ということ。それは決して妥協という意味ではなく、大局を見ながら次なる手を打つために必要、ということがいえるのではないでしょうか。

付け加えて言うならば、万事休すの事態にさらされたときも、冷静さを保つということは、常人にはできないことです。そのためには、ある意味での「覚悟」を決めておくことです。よく言われるところの「一日一生」「いつ死んでも良いように悔いなく生きる」ということであろうかと思います。

 
これらの境地は、武将の心境に近いものであると思います。常に死と背中合わせの生き方をしていれば、多少のことでは動じない心の強さが得られるとは思います。ここに出てくるボスや武将には共通する点が多くあります。さすがに彼らのような生き方をしろと言われても、現在の私達には相当難しいものがありますが、こうした生き方の中に、参考にできることが多々あると感じます。

まずは、目の前に何か自分に危害を及ぼすもの(物理的なものであれ精神的な者であれ)を認識したときに、それに対して「自己防衛本能」的に怒るではなく、「受け入れる」こと。それは「妥協」を意味するものではなく、より広い視点から見て、さらに一手を打つこと。そうしたことが大切ではないかと思います。

怒りが爆発しそうな場面に出会したときに、自分が懐の深い組長もしくは武将になったつもりになって、事実を受け止めて、次なる一手を考えて見る。彼らの論理では「倍返し」のための一手になってしまいますが、事実を受け止め、自分にとって最も有効な対策を講じる手を打つという意味で、こうした手法も大変有効であると思います。

まずは、「受け止める」訓練、それも怒りを抑圧しないで行うこと、こうしたことを重ねることで、物事に動じない心の鍛錬ができるのではないでしょうか。怒りの対処法として大変有効であると思います。 (大)

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