2014年2月27日木曜日

(投稿)怒りの対処法 ①



(1)怒りは自己防衛の本能

一般的に自我の感情としての「怒り」は、自らが害されることに対する自己防衛の本能といえます。
「不安」もまた、同様の自己防衛ということができます。
よって、怒り、不安、恐怖は、同じ「自己防衛」に類するといえると思います。

自分という存在が、他と切り離されている存在と感じるとき、つまり、自分と自分以外の存在(他)が別個の存在であると感じるとき、こうした感情が生まれてきます。
自分の心の状態がどうであろうと、本来の深層の意識の部分では、自分という存在が、大いなる存在の中の一部であるということ、自と他は一体であるということを知っています。
自と他が別であるという意識は、本来の自己が持っている意識と異なります。それゆえ、不安というものが生まれてくるのであろうと感じます。

ゆえに、この「自己防衛」というものは、自分と自分以外は別の存在であるという認識を持った時点で発生すると言い切ってもよろしいかと思います。「自己防衛」という意識は決して悪いものではないのですが、本来、私たちが乗り越えていかなければならない感情であると思います。怒りや不安のようなマイナス感情は、心が成熟しきってないために起きるといってもよいのではないでしょうか。


(2)深層意識と顕在意識の分離

深層意識では知っている「自他一体」の感覚があります。それがこの世に肉体を持って生まれたことにより、「自他別体」の感覚を持ち、自己防衛を本能的に身につけました。その心の深層部分と顕在部分での意識の乖離があることが、「不安」や「恐怖心」が発生する根本原因であるという見方もできるであろうと思います。

それゆえに、意識を高めていくにつれ、不安や恐怖心から解放されるという過程を経ることができるのであろうと思います。最終的には、「深層意識と顕在意識の合致」。この『悟り』ともいえるべき心境こそが、我々の目指すべきものであり、『悟り』が、不安や恐怖感からの解放といえる理由であると考えます。

キリスト教でも、神を信じることによって、不安や恐怖感からの解放されるということもあります。我は神と共にあるという感覚は、この「自他一体」の感覚に近いものであろうと思われます。そうしたことがいえると思います。

(3)怒りを正当化しない

問題は、怒りというのは、人間や動物がもっている本能的な感情の一部であり、持って当然のものであるのだ、という前提があると、すでに怒りというものを「正当化」してしまうことになります。
少なくとも言えることは、怒りによって人間の心が高まるということはありません。怒りはまわりの環境を壊し、まわりに毒をまき散らします。そして自分の体にも強い毒を流すことになります。ゆえに怒りは「破壊」の感情です。

まずは、怒りを正当化しないこと。そして、不安や恐怖感についても同様です。そして、怒りや恐怖心を克服するということは、すなわち『悟り』への道にも通じているということ。それを前提として認識していることが出発点であると考えます。(大)


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2014年2月25日火曜日

(投稿)長男との葛藤


 
(解説)

「大」さんが書いてくれた子育ての悩みです。数か月前のものなので、今は大幅に変わってきています。私もご長男のカウンセリングを月1回行わせていただいています。

本当は相当以前から学校でのいじめで苦しい状態が続いており、そのストレスがさまざまな形で出ていました。子供の心の中で起きていることは、粘土療法を行ってみて、はっきりと見えてきました。子供の心で起きていることをまず知ることが、とても大切です。また父親である「大」さんが自分自身の問題と取り組むことと、子供の問題は並行して変化していきました。

それにしても、試行錯誤しながら子育てに悩む「大」さんの姿は、共感を呼ぶものであると思います。(種村)
 

(投稿)父親としての悩み

 「原因結果の法則」「縁起の理法」という言葉の教える通り、この世界は原因結果の連鎖の中に存在しています。何の原因もなく発生する出来事は何一つなく、ある出来事は発生するには必ず何らかの原因が存在します。

 長男が家庭で起こす問題に関しても、だいたいの発生原因とパターンは決まっています。同じような問題を繰り返すうち、決まって同じような原因で、同じようなパターンになる、ということに気づきました。

 まず応急処置としては、長男の反応に対して、あまり過敏にならないこと。いちいち過敏に反応していたのでは、こちらがマイってしまいます。少し冷静になって、さらっと受け流すこと。
だいたい長男がおかしくなるのは、ゲームをやっていて無理にやめようとしたとき、勉強をやっている途中、弟をいじめている最中に強く注意したとき、などなど。
 そして、決まって、同じ学校にいる気に入らない生徒に対する批判に終始する。最後に、自分への自虐的な発言で終わる、といったパターンがほとんどなので、要所要所で対抗策を講じるという対処法を検討することにしてはどうか・・・、と考えました。

 恒久対策としては、彼の心のケアということになるのですが、まずはこのマイナスのパターンを防止するということに注力したほうが良いと考えています。少なくとも、親のストレスを減らすことが大切なので、あくまでも客観的な視点で対応していったほうが良いと考えます。

 ちなみに、本人はただ発言しているのみで、それほど深く思い悩んではいない様子です。ただ勉強や現実から逃げたいがために、いろいろな理由をつけているんだろうということがわかります。彼を見ていると本当に情けなくなってしまい、彼になんらの希望も見いだせなくなってしまいます。素直に受け止めるということが、これほど難しいものなのか・・・。頭では理解できても、気持ちがついていかないというジレンマに、想い悩まされる日々です。
(大)

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種村トランスパーソナル研究所
所長兼心理カウンセラー 種村修
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2014年2月21日金曜日

(投稿)両親との葛藤 ③・・・子育ての葛藤



(準カウンセラーの「大」さんは、子育てしながら、自分の父親との関係を振り返ります。子育ての悩みと葛藤を赤裸々に見つめて表現しています。問題解決の方法もさることながら、問題に向き合ってそこから逃げないことが、大切だと思います。)

 

息子と父親の関係

最近、長男は携帯電話をほしがります。買ってやるという約束なのですが、なかなか買うまでには至りません。最近はウォークマンで音楽と映画を楽しんでいます。

 自分の子供のころを振り返ってみると、中学校2年の時にヤマハのステレオを両親に買ってもらいました。たぶん20万ほどしたと思います。親にとってはとても大きな負担だったでしょう。銀行からお金を借りて購入したと記憶しています。

 今の自分が、子供にそこまでやるかと考えたら、到底やるはずがありません。でも、私の父親はそこまでしてくれました。もっと深く感謝すべきであるのですが、なかなかそういう気持ちがわいてきません。

父親は父親で、自分に感謝をもとめているかといえば、そうでもありません。「買ってやったんだから・・・」という恩着せがましい言葉も聞いたことはありません。

 今、自分の子供に対して、いろいろな恩着せがましい言葉をいうことがあります。しかし、子供たちは全く感謝するどころか、「親は何も考えてくれない・・。」とほざく始末。
 昔を思い返せば、自分もそうだったんだな、と感じます。ただ、物を買ってもらったり、さまざまな面倒を見てくれたということでは、親に心から感謝するようになるかといえば、そうではない。
 子供のころの自分がそうであったように、見落としている「何か」がある。そう感じます。


「何か」がわからない
 いくら子供のために心を尽くしても、「何も自分のことを分かっていない」というのも、その見落としている「何か」なのかもしれません。
 物ではない、金でもない、世話でもないもの、その「何か」とは。

子供は親の所有物ではない。1人の独立した存在である。1人の独立した存在として成長を促すために、親は必死に努力している。放っておいて一人でがんばるかといえば、ただ怠けるだけ。そんな長男を信じろといっても到底信じられるものではない。放っておけば、堕落するのは目に見えている。だから親としては必死になる。それが長男にとって負担になるなら、では親はどうすればよいのか。そのまま放っておいて堕落するのをただ傍観すればよいのか。それとも、子供にゴマをすって、何とかがんばるようにすればよいのか。


 世の中には、自分からコツコツと努力していくタイプの子供がいる。そんな子供を持つ親がうらやましい。なんで自分の子供はこんなにダメなのか。何か育て方が間違ったのか。神様はなんでこんな苦しみを私たちに与えたのだろうか。
 そんなことを毎日、妻と語り合っています。そして、お互いに気持ちが下向きに沈んでいきます。


 でも、こんなことから早く脱出しなければなりません。いろいろな理想論がありますが、頭で理解しているだけで、いくら聞いたとしてもこんなものは無駄なものです。自分たちの経験から、「何か」をつかんでいかなければいけないことだけは間違いないようです。(大)

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2014年2月18日火曜日

(投稿)あるがままの大切さ



 
最近、どうしようもなく緑の中にいることを欲するようになりました。
出来るだけ喧騒を避け、自然と触れ合うように心がけました。
緑は、私たちに、あるがままの大切さを教えてくれます。

以前、テレビで大変興味深い番組がありました。
ある有名女優が、あまりの多忙さにノイローゼになってしまったそうです。
「死ね~!」などの幻聴も聞こえるようになり、自殺を考えるまでに追い込まれました、
あるとき、何気に森の中をさまよっていると、
あなたは、あなたのままでいいんだよ。そのままのあなたでいいんだよ。
という声が心の中に響いてきたそうです。
そして、もう無理しなくてもいいんだ、素直の自分のままでいいんだ。
と気付いたときに、幻聴も聞こえなくなり、ノイローゼからも解放され、立ち直ることができたそうです


自然が教えてくれること
文明が悪いとはいいません。
私たちは努力して文明を発展させていく義務があります。
でも、文明が発達していくなかで、私たちが忘れ去って久しいものもあるはずです。

自然は、あるがままの大切さを教えてくれます
そのままのあなたでいいんだよ。」 
と優しく語りかけてくれます。

自然がなくなれば、文明は存在することができません。
しかし、文明がなくなっても、自然は存在することができます。
そう、自然は文明を包み込む「母」なのです。

あるがままの自分を大切にすること。

存在するものは、それぞれ個別に分かれているのではなく、全て大いなるものの一部であるということ。

「母」ともいえる大自然からのメッセージに素直に耳を傾けることも大切なことではないでしょうか。
(大)
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(投稿)両親との葛藤 ②

(準カウンセラーの「大」さんの投稿です。とても穏やかな方ですが、一瞬の激情をとらえて深く見つめておられます。ここに書かれている内容は普通なら抑圧していしきしないようにしたいはずのものですが、それを正直に取り出して向き合われています。その結果、その感情の奥にある心の問題に気が付かれました。正直に赤裸々に自分と向き合うということが、一番難しいことです。)


今日の夜も憂鬱な気持ちで1日が終わりました。
長男の言動が原因で起こった言い争い。

「じゃあ、どうしたらいいの。」という妻の質問に、長男は「殺してくれ」というありさまに、自分もさすがに切れそうになり、本気で殺してやろうかと思ったほどでした。
長男のあまりの情けなさに、妻も涙を流しながら、「これからどうしたらよいのかしら」と思い悩む始末。私も、こんな子どもなどいなければいいのに、と本気で思ってしまいます。本当に邪魔な存在だと。こいつがいなければどれほど楽かと・・・。
静かに心を落ち着かせても、自分の目には長男は邪魔な存在にしか映りません。とうてい受け入れることなどできない心境でした。
そこで、ふと思い浮かぶことがありました。

「自分の親は、自分のことをどう思っていたのだろうか。」と。
小さい頃の思い出がよみがえりました。どういう理由かはわかりませんが、父親が妙に怒っている場面でした。

「こいつらみたいな子どもがいるから、俺はやりたいこともできずにいるんだ。」といいながら、近くにあった物を思いっきり蹴飛ばしている光景でした。

それを聞いた母親が、「なんでそんなことを言うの。」と大声で言い返している場面を今でもはっきりと記憶しています。

その時は、なんとなく聞いていたのですが、自分達(弟も含めて)は、父親にとっては邪魔な存在なんだ。と、なんとなく感じました。そうしたことがあったので、普段の父親の態度から、「自分は邪魔な存在」という感覚を植え付けられたのかもしれません。そうしたことが、自分の父親にたいする疎遠な感情を持つ理由であると思います。
振り返ってみると、自分が長男に向けている感情も、同質のものであるということになると思います。父親が自分に対して抱いた感情が、自分が長男に抱いたものと同じということ、また、自分が父親に対して持った感情を、長男も同じように持っているであろうということ
私自身が長男を受け入れることが出来ない原因は、父親が自分を受け入れていなかったことに起因している可能性があるということがわかりました。どうして、父親が自分を受け入れなかったのかは不明です。ただ、この問題を解決することが、私自身の長男に対する感情を解決する大きな手立てとなることは確実なようです。(大)


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2014年2月16日日曜日

(投稿)両親との葛藤 ①

(息子との心の壁に悩む父親。実は自分の父親との間の壁が、そのまま息子との壁になっている場合が少なくありません。(大)さんの赤裸々な告白は、同じ問題に苦しむ人の参考になります)


父間の心の壁を見詰める

長男もはや思春期を迎え、子育てもいよいよ難局を迎えつつあります。
以前からですが、どうしても長男を「裁いてしまう」傾向が治らず、心から「受け入れる」ことができない自分に強い葛藤を持つようになりました。
子育ては、まず子供を「受け入れる」こと。それは頭では理解しています。

しかしどうしても、感情が伴わない。心からそれができない自分とは、いったい何なのか・・・。

自分と子供の間で葛藤がある場合は、自分の親との間でも葛藤があることが多い。そういう視点から、自分と親との関係を振り返ってみました。

私は長男ですが、一言で言って、自分の父親と心が触れ合ったという想い出はありません

父親に対しては、とても稀薄な感情しか持っていないということに気づきました。できれば会いたくない、あまり関わりたくない、という感情もありました。今まで意識していませんでしたが、父親を尊敬していないということに気づきました。

私の母親は、暇さえあれば、父親の文句や不満を口にしていました。それを絶えず耳にしていたので、尊敬の念すらわくことはなかったのでしょう。
父親は仕事の「虫」でした。それでもいろいろな所へ連れて行ってくれた記憶はあるのですが、父親と出かけて楽しかった思い出というのは、あまりありませんでした。


こんなことを考えていると、なぜか心の中から強い悲しみがわいてきます。

さみしさといっていいのか、とても悲しい感情です。

まだ父親は健在です。

別に嫌いではないのですが、あまり会いたくないし、できることなら話もしたくないという拒否反応を、父親に対して持っています。

それでは、勇気を持って、膝を割って話し合いを・・・、という気には到底なれません。

父親とどう付き合っていけばいいのか、全くわからないのです。

そう考えてみると、私は、自分の長男と、どうつきあっていけばいいのかわからない状況にあるといえると思います。

私と長男との間には心理的な壁があるような感覚があるのですが、それは、父親と私の間にあるそれと同じように感じます。

ただ、私と父親との間にある「壁」に想いを向けた時に、どうしようもない「悲しみ」を感じます。

それが何なのかわかりません。

心の奥に抑圧している「それ」に目を向けていくこと、それが私と長男との間にある「壁」を取り除くきっかけになるものと思います。(大)

 

2014年2月14日金曜日

(投稿)心の葛藤と怒り・・・老賢人との対話

(心理学では人間の心の導き手、守護神的存在を老賢人という元型としてとらえます。心の中の老賢人と対話して、自分の心の問題を見詰めていくことは、しばしば非常に有益な結果をもたらします。ここに紹介するのは、「大」さんが試みた老賢人との対話です。老賢人をイエスのイメージでとらえて宗教的なテーマが論じられていますが、そのまま紹介させていただきます。)


「老賢人」

この宇宙は、大いなる智慧で満ちている
この智慧を感じ、地上に現していく
それが使命の一つ
神は我らから離れたところに存在するのではない
すぐそばに神がいらっしゃる
我らは神によって創られ、神の世界の中で、神とともに存在している
神と我らは切り離された存在ではない

「私」
私にはどうしても、心の中で納得できないというか消化できないことがあります。「怒りに対しては怒りで返すな。汝らの敵を愛せよ。」とおっしゃいました。しかしそれでは、やられ損になってしまうではありませんか。やられ放題にされたら、こちらも納得ができません。

「老賢人」
人は怒りを発した時点、害する思いを出した時点で、すでに裁かれている。必ずや滅びの道に到るものだ。そして苦しみの道に到るようになっているのだ。それに対して、あなたがどうこう言うことではない。

「私」
でも多くの人を不幸にするということは許せません。そのためには、悪の行為を力ずくでも止めなくてはいけないのではありませんか

「老賢人」
相手の怒りに対して、怒りによって対抗するということではない。また無抵抗で対抗するということでもない。私は、無抵抗で、相手の悪事のなすがままにやられたということではない。私もやるべきことはやったのだ。そこを勘違いしてはいけない。結果的にそう見えたのであって、相手の悪事を許した訳ではないのです。思想的に戦っていたのです。

 
「私」
それでは師よ。私はどうしたらよいのでしょうか

「老賢人」
あなたには、心に傷がある。恐怖心と自責の念。まずその克服が大切です。あなたなら乗り越えられるでしょう。
まず、神の力を信じること。信じれば信じるだけ、あなたの力が増してくる。「信じる力」を強めていくことです。
祈りも大切です。祈りは、あなたの「信じる力」を増してくれるでしょう。
そして、「思いの力」で戦うこと。相手の悪を許すということではなく、「思いの力」で戦うことです。「善念」で戦うということです。正しい「思いの力」には必ず「神の力」が助力してくれます。「思いの力」と「信じる力」、この2つが大切です。(大)

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2014年2月10日月曜日

命の炎を燃やせ③―愛の心を育む(2)



3.ありのままの自分を愛する

 
 この段階に来た時に、私はありのままの自分を愛することができるようになりました。そして自己受容をできるようになると、人を受容できるようになったのです。ありのままの人を受容するというのは、その人を愛するのに条件をつけないということです。ありのままのその人を受容し、その人の苦しみも、葛藤も、問題点もありのままに受け入れながら、同時にその人の奥にあるダイヤモンドのような輝きのある「自己」を感じ取り信頼できるようになったのです。

 人の苦しみは、その方の表面意識とその方の「自己」とのかい離があるために生じています。その方が自分の「自己」に目覚め、いわば「聖なる意志」につながりを取り戻した時には、悩みは消えていきます。そしてそれを手助けすることが、心理カウンセラーの私の使命です。

 自分自身が「自己」と対話でるようになると、人の中にある「自己」、すなわち個性である「聖なる意志」と対話ができるようになります。私はある方の「自己」と対話していた時に、その方の自己はいかなる苦しみの人生を潜り抜けようと自分自身は超越潜在意識から分かれ出た「金剛身」(ダイヤモンドのように決して穢れることがない不滅の輝き)であるという自覚を、常に確固として持っていることを感じました。私は非常に感銘を受けました。そして改めて自己信頼を深めることができました。

 
4.共感の器を作る

 
 私がさまざまな人の人生経験を伺うにつけて思うのは、それがどれほど厳しくつらく、時には悪と思える経験であっても、その経験を潜り抜けて本来の自己に立ち戻った時には、それらはすべて他者に共感する力を養った経験へと変わるということです。人はいろんな心の状態を経験します。人を害したり自分自身を傷つけることもあります。しかしそれがあるからこそ、他者の類似した経験に共感できる力が備わっていくのです。

この世の地獄の最深部を経験したほどの魂は、同じく地獄の最深部で苦しむ魂の心の叫びを深く理解でき共感を持って受け止めることができるはずです。それにより、苦しむ魂に共感的理解の架け橋を渡してあげることができるのです。絶望、恐怖、孤独などに苦しむ魂に寄り添って、愛のエネルギーを与えることができるのです。

 しかし、そこまでの苦悩を経験した魂は、そうなった原因を心の中に見つけ出し、心を浄化しておかないといけません。自己浄化の方法は「命の炎を燃やせ②」で説きました。それができると、安定的にさまざまな人の苦しみに共感的に理解でき、心の架け橋をかけることができると思います。

 つまり、さまざまな不幸や苦しみの経験が、愛を与え、人を慈しむ心へと転換されていくのです。ですから、私は様々な人生経験は「共感の器」を作るための経験であると捉えて、自分を決して裁かないでほしいと思うのです。自分を裁く人は人を裁きます。自分を受容できた人は人を受容します。

 人は皆、その本質は超越潜在意識の分化した光り輝く意識です。「聖なる意志」を持ち、使命を帯びた個性のエネルギー体です。その個性が、表面意識を分離して地上にてさまざまな経験をする過程で、「共感の器」を作ろうとしています。「共感の器」という名の「愛の器」を作ることが地上での人生の目的の一つであるのです。そういう温かいまなざしで自分の人生を振り返り、人の人生を受け入れるときに、私たちは自らの愛の心を育むことになると思います。(種村)

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2014年2月9日日曜日

命の炎を燃やせ③―愛の心を育む(1)

                           
 
1.愛の心が出る条件

 
 私たちは愛の心を出せるときと、まったくと言っていいほど出せない時があります。愛の心が出せるときは、自分自身を愛せるときです。愛の心が出せない時は、自分を愛せない時です。

 私は自分を振り返ってみて、自分に対する向き合い方が、人への向き合い方と呼応していることに気が付きました。

 人の評価が気になって、人のまなざしや言葉の微妙なニュアンスに心が揺れるときは、私自身が人からの評価や愛を非常に渇望している時でした。その奥には、自分が自分を評価できず、愛せないために、周囲の評価や愛によって自分自身の心の空虚さ、心の傷口に栄養を欲していたと思います。

 それが変わったのにはいくつかの段階があるのですが、自己に対する認識が変わっていくのと呼応していました。私は40代前に職を失い、自分のアイデンティティの危機を迎えました。この時点では、それまでの人生への後悔や知らず知らずのうちに人を不幸にしたことへの罪悪感、自分の将来への見通しがつかない不安、世間での評価が得られない苦しみ、自分自身への自信喪失。そうしたマイナス感情におしつぶされそうでした。そのために人からの愛を欲しており、それなしには生き続けることができないような気持ちを味わいました。プライドと劣等感のギャップから心が傷ついていました。こうした時に、自分から愛の波動が流れ出ることは難しかったと思います。

 ただ唯一の例外があるとしたら、小さな幼稚園に通っている子供の世話をしている時に、私が昔父からしてもらったように子供を愛せたことでした。子の時間だけは、愛の気持ちを持てたと思います。やはり子供を世話すると、自分が同年代に持った感情や記憶がよみがえるため、私はその時代が幸福だったので、自然に愛を出すことができたと思います。

 
2.自己信頼の二つのステップ

 
 私が自分自身を好きになり、ありのままの自分を評価できるようになったのは、二つのステップがありました。一つ目は、自分が偉大な太陽から放たれた一本の光線であるという認識が、イメージとして潜在意識から上がったときでした。これは私の自己信頼の核になる元型体験でした。それまでもいくつかの宗教思想を学んで、「人間神の子」「人間には等しく仏性がある」という思想は、知的には理解していました。しかし現実の自分とのギャップに、とてもそうした確信は持てませんでした。しかし、この時の元型体験で、私は太陽から放たれた無数の光線の一筋として、自分自身をとらえることができたのです。この体験から得た自己信頼は、非常に強いもので、その時携わっていた会社再建の原動力にもなりました。

 第二のステップは、最近のことです。それは自分が超越心理学を探求する過程で自分自身の根源にある「自己(self)」の意識と対話できるようになったことです。それによって、自己信頼の次なる段階に進めたように思います。素直に自分を超越潜在意識の分化した存在としてみることができるようになりました。普遍的な超越潜在意識から分化した存在が「自己」であり、そこと常に交流ができる安心感が湧いてきたのです。

 「自己」を自覚するということは、それは限りなく使命の自覚に近いものです。アメリカの心理学者のウェイン・W・ダイアー氏が説く「聖なる意志」(『思い通りに生きる人の引き寄せの法則』)がまさにそれに当たると感じています。自分が超越潜在意識から個性として分化し、その個性を磨く過程で使命を果たしてゆくことができる。その時には自己確信と世界に貢献したいという気持ちが非常に強く湧いてきます。強い持続的な意志を感じます。自分自身を超越潜在意識から分化した個性として受け入れ愛している状態には強い自己信頼が伴います。(次回に続く・種村)

2014年2月1日土曜日

(投稿)「怒り」について(3)…その鎮め方


 怒りの原因
 「怒り」というものは「〇〇だから怒ろう」と、意識して出すものではなく、心の中から突如として沸き上がってくるものです。ですから、怒りをコントロールするということは、人によってはかなりの困難を伴います。

「怒り」の大部分は、自分の思い通りにならないことに対する「不満」が発生源となります。それが正義感に基づくものであるにせよ、動機はこの「不満」です

それが頭でわかっていても、それが感情的なものであるかぎり、意識せずとも自然に湧き上がってきます。そして、それを無理矢理抑えようとすると、それが「抑圧」となって、違ったところで爆発してしまいます。

一番効果的な方法としては、現に発生した「怒り」というものを徹底的に見つめてみるという方法です。そして、今後湧き上がってくる「怒り」に対して、第三者的に離れた立場に見ようと、誓いを立てることです。

「怒り」の発生原因となっている「不満」を徹底的に見つめてみるという方法があります。

たとえば、今この文書を作っている前では、長男が椅子の上でゴロンと寝転んでいます。明日から2学期が始まるというのに、宿題すら終わっていません。それでも平気でグータラを決め込んでいる長男に対して、自然と怒りが湧き上がってきます。
 

そこで、この「怒り」に対して、深く洞察してみることをします。その「怒り」がどこから湧いてくるのか。この「怒り」は何色をしているのか。また、熱いか冷たいか。など、客観的にとらえてみても有効です。


そうすると、この「怒り」というものが、長男の行為に対する「不満」であることが見えてきます。そして、自分の思い通りに動かない事への「不満」、明日まで終わるのかどうかという「不安」、自分がこれから手伝わなければならないかもという「苛立ち」の思いなどが見えてきます。そうしてこの不満というものを、どんどん深く細かく分解しながら見つめていきます。

怒りを鎮める方法

こうして、客観的に細かく分析していくうちに、いつしか、「怒り」がおさまっていることに気付きます。そして、こうした自己を見つめる作業に1つの「楽しさ」を感じることができれば、しめたものです。少なくとも、感情にまかせて怒りを爆発させたり、無理に抑圧してしまうという事態を回避することができます。

「怒り」が爆発してしまう場合、ほとんどは「原因は相手にある」と思っています。たとえ原因が相手にあるにせよ、「怒り」を爆発させることは良くありません。まわりの磁場を乱し、自分の体の中に強烈な毒素を作り出します。自らが「ガン細胞」となって、まわりに毒素をまき散らした後、自らもその毒素に犯されてしまします。


「怒り」や「不満」を抑圧することも、まわりには毒をまき散らしませんが、ストレスなどで自ら作った毒素により、体内が犯され続けることになります。

たとえ原因が相手にあるとしても、「怒り」を発生するのは自分の心です。相手を責めるという思いを一旦捨て去り、また自分に原因があるという自責の思いを持つのでもなく、自らの心の流れを冷静に客観的にとらえてみようと心掛けるだけでも、心の安定や成長に意外な好影響をもたらしてくれるでしょう。(大)


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