スキップしてメイン コンテンツに移動

過去の回想と心の浄化(1)


抑圧と向き合う

 
自分が生まれ変わりたいと、人生の再生を願う時、まず必要になるのは心の浄化です。心にも、表面意識のほかに今までの記憶が詰まった個人的潜在意識がありますし、過去世の記憶を保持している深層潜在意識もありますので、それぞれの心の浄化が必要になります。

 
表面意識の浄化

 表面意識の浄化は、今出てくる思いの浄化ですから、これは丹田呼吸法が適しています。丹田に意識を向けながら、腹筋を使いながら下腹をへこませていくと、自然と息が出ていきます。口から息をできるだけ長く吐きます。吸うときは、力を抜くと自然に息を吸い込めるので、鼻から息を吸います。この繰り返しで、次第に心から雑念が離れて、鎮まってきます。さらに丹田呼吸を繰り返すと心が安定してきて、喜びが湧くようになります。これが表面意識の最も基本となる浄化法です。

 
個人的潜在意識の浄化

 次に個人的潜在意識の浄化に移ります。これは過去の回想をする作業でもあります。

過去を振り返ってみて、あまり思い出したくない記憶というものが、誰にもあると思います。私も学生時代に味わったさまざまな苦しみは、なかなか思い出したくなくて、40台後半まで封印をしていました。その封印を解いて、当時の自分と正面から向き合ったのは、中年の危機を乗り越えて自分に自信ができてからでした。自分もまんざらではない」という確かな手ごたえのような確信ができて、はじめて向き合える過去もあるということを知りました。

 ということは、なにがしかの自信を持たないことには、自分が処理できていない過去に向き合った時に、自分が対処しきれない状態になる恐れを、心が感じているのです。一人で過去を見つめる作業をする場合、どうしても年月がかかるのは、過去に向き合うエネルギーの供給と観測地点の安全性を、自分自身が準備し、確保しないといけないからです。これに対して、カウンセラーが寄り添っている場合には、そのエネルギーをカウンセラーに補給してもらえます。また過去と向き合って不安定になっても、カウンセラーが心の安定を補強してくれます。これが、カウンセラーの支援の下で過去を回想することのメリットです。

逃げない勇気

過去を回想するときに必要なのは、勇気です。自分から逃げないで、目をそらさずに自分と向き合う勇気です。そして、不道徳であったり、情けなかったり、自分の価値観から大きく外れる自分がいても、それを「それも自分だ」として受け入れる気持ちです。肯定できなくてもかまいません。しかし、確かにそうした自分がいたことは認めて、受け入れることが必要です。ありのままの自分受容します。

勇気とともに覚悟も要ります。なぜなら、思い出した時に、その時期に自分の心のなかに封印していた感情が噴き出てくるからです。抑圧していた感情が爆発するのです。感情の爆発を伴う記憶の回想であってこそ、抑圧していた負のエネルギーが解放されて、心が軽くなり、浄化されていくのです。その爆発を受け止め、その時の感情を味わう覚悟が要ります。それは、恐怖であったり、恥辱であったり、不安や絶望、孤独や嫉妬、悲しみや怒りであったりします。

 カウンセリングでは、カウンセラーはその爆発を受け止めながら、相手を受容し、深く共感的に理解しようとして聴きます。カウンセラーの存在によって安全性を確保しながら、抑圧し封印していた感情を吐き出せます。あるがままの自分を決して裁かれることなく受容されたことを感じることで、さらに自己開示をする勇気が与えられます。

 
吐出しの効果

これを一人で行う場合は、文字で書くことと絵で描くことの両方を併用するのが効果的だと思います。どうにもならない感情や、書きたくないことは、色や形で表現すると、個人的潜在意識にたまっていたエネルギーを上手に吐き出すことができます。すると心が軽くなるので、吐き出したことが分かります。文字に書くことができれば、詳細な心の動きが自分で理解できます。

心の傷の大きなものはトラウマと呼ばれます。いわゆる心的外傷です。こうした心の傷は、まるで氷のようにエネルギーが固まっています。自分の心的エネルギーなのに、氷となって固定化したエネルギーは、自分の活動エネルギーとして使えない状態になっています。それどころか、周りのエネルギーまで冷やして氷に変えていこうとします。

これを文字に書くこと、絵に描くこと、言葉として話すことを通じて、心の外に出すと、氷が解けて心的なエネルギーがよみがえってきます。これが吐き出しの効果です。それは癒しのプロセスでもあります。(次回に続く)

コメント

このブログの人気の投稿

自己特別視と依存の心理

自分を特別視 して 肥大した自我 を持つ人には、しばしば 依存心 が見られます。 プライドが高く自分は特別にすごい人間だと、内心思っているのに、世間で通用するような実績や成果が出ないで屈折する人がいます。 素質を持ちながらも、この人の心理の奥に依存心が潜んでいて、それがその人の努力と成長を妨げているのです。 よくあるケースとして、生育過程でその人が親や祖父母から特別扱いをされ、それゆえに自己特別視と依存の心理が育ってしまう場合です。 ある男性の家系では、 3 ~4代前のご先祖の当主が自殺したそうです。それまで栄えていた家は、そこから暗転し、 それ以降は、家系には男子が恵まれず、産まれても育たずに早死にし、女性によって細々と血筋が守られてきました。 その男性は、この家系にようやく生まれ育った待望の男児でありました。 ですから、祖父母やご両親の愛情と期待を一身に受けながら、特別な存在として大切に育てらたのです。 この男性にとっては、自分は特別な存在であるということは周囲から植えつけられた、空気のように当たり前の固定観念でした。そして非常に大事にされて育ったので、自分は特別な存在だから愛される、愛されて当然の存在だという気持ちも無意識に育っていたのです。それは依存心につながるものでした。 こうした特殊事情がなくても、普通に長男としてその家に生まれ、祖父母が特別長男をかわいがる場合、よく似た現象が見られることがあります。 長男として生まれた男児を、祖父母が特別愛情を注ぎ、何でも先回りして世話を焼き、母親も同じように手をかけて息子を育てた場合に、それが生じます。 本人は、自分は特別であるという自己特別視を持っており、自分の価値基準に反する学友を蔑視しがちです。無条件に大切にされてきたので、愛されるのが当たり前だという気持ちがあり、人の感情に対して無神経になります。その結果、積極的に自分から人に関わるコミュニケーション能力が育たず、孤独で孤立しています。 彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりや

無気力と魂が腐る感覚

学生の頃、学内での深刻なトラブルで無為の底に沈んでいた時期がありました。 勉強も運動もできず、授業に出席することもできませんでした。 その頃の下宿の部屋はチリと洗濯していない衣類で埋まり、悪臭が漂っていたと思います。 無気力の淵に沈み込んだまま、身体も重く、毎日が憂鬱で生きている実感がない状態が続いていました。 その頃、本棚にあった古代インドの聖典を開くと、無気力で何もなさない人は魂が腐っていくと書かれていました。 ギクッとして、「今の自分だ」と思った、その衝撃を鮮明に覚えています。 「この状態を続けると自分は腐っていく」という恐怖に襲われ、反省が生じ、自分を変えようとし始めました。 そこでまずしたことは、部屋の掃除からでした。 思い返すと、無気力やうつ状態から脱する時は、たいていの場合掃除から始めていたように思います。 経営危機に直面していた会社に勤めたときも、朝一番に出社して、まず掃除から始めました。 この会社の再建は、中年の危機からうつ状態に陥った私の心の再建にリンクしました。 掃除には不思議な力があります。 掃除は、部屋や住まいの掃除を、少しずつ毎日行うのが基本です。 勉強でも仕事でも、何かを始める前にどこか一カ所をきれいにします。 するとそこを通るたびに、心がすっきりして、やる気が出るから不思議です。 毎日どこかを掃除していくと、だんだん住まいがきれいになり、同時に心もしゃきっとしてきます。 無気力で苦しんでいる時には、まず掃除からの出発が効果的かもしれません。 関連記事 無気力と向き合う  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html 無気力と逃避  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html <ご案内> 種村トランスパーソナル研究所では、直接お会いする対面カウンセリングとともに、電話カウンセリングやメールによるカウンセリングも行っています。 相談してみたいと思われるかたは、遠慮なくご連絡ください。 ℡ 090-8051-8198  (メール) tanemura1956@gmail.com カウンセリン

洗脳の後遺症を治癒するための夢分析

宗教による洗脳は、深い影響をその人に与えるために、脱会してからも後遺症の除去には時間がかかります。 往々にして夢は、後遺症の存在とその内容を示すサインとなります。従来所属していた宗教にまつわる夢の分析は、非常に重要です。 十数年前まである宗教の職員、いわゆる出家をしていた経験を持つOさんは、ある明け方、夢をみました。 「私は夢の中でその教団の職員をしていました。そこでは職員に対して次から次へと勉強を要請されており、職員たちは数学の勉強をしていました。公文のテキストにとり組んでいる人も何人かはいました。私は同じようにその勉強をしなければと思いながら、少し引いた立場にいたようです。職員時代に味わった、追い立てられるような気持ちがのこっている状態で目が覚めました。」 Oさんによると、この宗教は職員を競わせ、次々と勉強や新しい仕事にまつわる知識の習得を要求していました。それによって、職員を息をつかせない状態におき、常に周りと競わせ、その結果によって優劣をつけます。一つの分野で優れたものをもっても、別の分野、例えば数学(注:これは象徴的な表現です)という宗教とは一見関係が薄いものを学ばせて、競わせるので、職員は常にせかされて追い立てられているのです。 こういう競争状態に常に置かせることで、教祖は弟子が団結することを防止し、教祖の意のままに分断してコントロールしやすい状態においていた気がすると、Oさんは回想しています。 さて、知識の集積は、自分の心の内側を探究するのではなく、外へ外へと意識を向けさせます。本来の自己は何かという、最も本質的な内側への目を閉じさせて、外へ外へと意識を向けてゆきます。 常に あたらしく有用な知識が蓄積されていかないと、不安に陥るようになっていきます。 長くこの状態に染まっていると、次第に超越的な存在の一部である価値ある自己を忘れていき、外から何かをつけ足さないと価値が減少してゆく、という自己感覚を、身につけるようになっていきます。 自分の存在自体に価値を見いだせないものは、自分を見失い、自己を喪失します。そして、上や外から与えられる評価つまり有能さや有用性の尺度で自分の価値を図るようになるため、非常にコントロールされやすくなります。 Oさんは、勉強が好きで知識を習得すること