スキップしてメイン コンテンツに移動

命の炎を燃やせ③―愛の心を育む(2)



3.ありのままの自分を愛する

 
 この段階に来た時に、私はありのままの自分を愛することができるようになりました。そして自己受容をできるようになると、人を受容できるようになったのです。ありのままの人を受容するというのは、その人を愛するのに条件をつけないということです。ありのままのその人を受容し、その人の苦しみも、葛藤も、問題点もありのままに受け入れながら、同時にその人の奥にあるダイヤモンドのような輝きのある「自己」を感じ取り信頼できるようになったのです。

 人の苦しみは、その方の表面意識とその方の「自己」とのかい離があるために生じています。その方が自分の「自己」に目覚め、いわば「聖なる意志」につながりを取り戻した時には、悩みは消えていきます。そしてそれを手助けすることが、心理カウンセラーの私の使命です。

 自分自身が「自己」と対話でるようになると、人の中にある「自己」、すなわち個性である「聖なる意志」と対話ができるようになります。私はある方の「自己」と対話していた時に、その方の自己はいかなる苦しみの人生を潜り抜けようと自分自身は超越潜在意識から分かれ出た「金剛身」(ダイヤモンドのように決して穢れることがない不滅の輝き)であるという自覚を、常に確固として持っていることを感じました。私は非常に感銘を受けました。そして改めて自己信頼を深めることができました。

 
4.共感の器を作る

 
 私がさまざまな人の人生経験を伺うにつけて思うのは、それがどれほど厳しくつらく、時には悪と思える経験であっても、その経験を潜り抜けて本来の自己に立ち戻った時には、それらはすべて他者に共感する力を養った経験へと変わるということです。人はいろんな心の状態を経験します。人を害したり自分自身を傷つけることもあります。しかしそれがあるからこそ、他者の類似した経験に共感できる力が備わっていくのです。

この世の地獄の最深部を経験したほどの魂は、同じく地獄の最深部で苦しむ魂の心の叫びを深く理解でき共感を持って受け止めることができるはずです。それにより、苦しむ魂に共感的理解の架け橋を渡してあげることができるのです。絶望、恐怖、孤独などに苦しむ魂に寄り添って、愛のエネルギーを与えることができるのです。

 しかし、そこまでの苦悩を経験した魂は、そうなった原因を心の中に見つけ出し、心を浄化しておかないといけません。自己浄化の方法は「命の炎を燃やせ②」で説きました。それができると、安定的にさまざまな人の苦しみに共感的に理解でき、心の架け橋をかけることができると思います。

 つまり、さまざまな不幸や苦しみの経験が、愛を与え、人を慈しむ心へと転換されていくのです。ですから、私は様々な人生経験は「共感の器」を作るための経験であると捉えて、自分を決して裁かないでほしいと思うのです。自分を裁く人は人を裁きます。自分を受容できた人は人を受容します。

 人は皆、その本質は超越潜在意識の分化した光り輝く意識です。「聖なる意志」を持ち、使命を帯びた個性のエネルギー体です。その個性が、表面意識を分離して地上にてさまざまな経験をする過程で、「共感の器」を作ろうとしています。「共感の器」という名の「愛の器」を作ることが地上での人生の目的の一つであるのです。そういう温かいまなざしで自分の人生を振り返り、人の人生を受け入れるときに、私たちは自らの愛の心を育むことになると思います。(種村)

<連絡先>
種村トランスパーソナル研究所
所長兼心理カウンセラー 種村修
電話090-8051-8198
メールアドレス:tanemura1956@gmail.com

コメント

このブログの人気の投稿

自己特別視と依存の心理

自分を特別視 して 肥大した自我 を持つ人には、しばしば 依存心 が見られます。 プライドが高く自分は特別にすごい人間だと、内心思っているのに、世間で通用するような実績や成果が出ないで屈折する人がいます。 素質を持ちながらも、この人の心理の奥に依存心が潜んでいて、それがその人の努力と成長を妨げているのです。 よくあるケースとして、生育過程でその人が親や祖父母から特別扱いをされ、それゆえに自己特別視と依存の心理が育ってしまう場合です。 ある男性の家系では、 3 ~4代前のご先祖の当主が自殺したそうです。それまで栄えていた家は、そこから暗転し、 それ以降は、家系には男子が恵まれず、産まれても育たずに早死にし、女性によって細々と血筋が守られてきました。 その男性は、この家系にようやく生まれ育った待望の男児でありました。 ですから、祖父母やご両親の愛情と期待を一身に受けながら、特別な存在として大切に育てらたのです。 この男性にとっては、自分は特別な存在であるということは周囲から植えつけられた、空気のように当たり前の固定観念でした。そして非常に大事にされて育ったので、自分は特別な存在だから愛される、愛されて当然の存在だという気持ちも無意識に育っていたのです。それは依存心につながるものでした。 こうした特殊事情がなくても、普通に長男としてその家に生まれ、祖父母が特別長男をかわいがる場合、よく似た現象が見られることがあります。 長男として生まれた男児を、祖父母が特別愛情を注ぎ、何でも先回りして世話を焼き、母親も同じように手をかけて息子を育てた場合に、それが生じます。 本人は、自分は特別であるという自己特別視を持っており、自分の価値基準に反する学友を蔑視しがちです。無条件に大切にされてきたので、愛されるのが当たり前だという気持ちがあり、人の感情に対して無神経になります。その結果、積極的に自分から人に関わるコミュニケーション能力が育たず、孤独で孤立しています。 彼には親や祖父母への依存心が根っ子にあるので、無意識に誰かが何とかしてくれるという気持ちがあり、自立してゆくための気力や努力が乏しくなります。「自分は特別だから愛され大切にされて当然だ」という思い込みがあるので、感謝の薄い、傲慢な人間になりや

無気力と魂が腐る感覚

学生の頃、学内での深刻なトラブルで無為の底に沈んでいた時期がありました。 勉強も運動もできず、授業に出席することもできませんでした。 その頃の下宿の部屋はチリと洗濯していない衣類で埋まり、悪臭が漂っていたと思います。 無気力の淵に沈み込んだまま、身体も重く、毎日が憂鬱で生きている実感がない状態が続いていました。 その頃、本棚にあった古代インドの聖典を開くと、無気力で何もなさない人は魂が腐っていくと書かれていました。 ギクッとして、「今の自分だ」と思った、その衝撃を鮮明に覚えています。 「この状態を続けると自分は腐っていく」という恐怖に襲われ、反省が生じ、自分を変えようとし始めました。 そこでまずしたことは、部屋の掃除からでした。 思い返すと、無気力やうつ状態から脱する時は、たいていの場合掃除から始めていたように思います。 経営危機に直面していた会社に勤めたときも、朝一番に出社して、まず掃除から始めました。 この会社の再建は、中年の危機からうつ状態に陥った私の心の再建にリンクしました。 掃除には不思議な力があります。 掃除は、部屋や住まいの掃除を、少しずつ毎日行うのが基本です。 勉強でも仕事でも、何かを始める前にどこか一カ所をきれいにします。 するとそこを通るたびに、心がすっきりして、やる気が出るから不思議です。 毎日どこかを掃除していくと、だんだん住まいがきれいになり、同時に心もしゃきっとしてきます。 無気力で苦しんでいる時には、まず掃除からの出発が効果的かもしれません。 関連記事 無気力と向き合う  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post.html 無気力と逃避  http://tanemura2013.blogspot.jp/2016/07/blog-post_2.html <ご案内> 種村トランスパーソナル研究所では、直接お会いする対面カウンセリングとともに、電話カウンセリングやメールによるカウンセリングも行っています。 相談してみたいと思われるかたは、遠慮なくご連絡ください。 ℡ 090-8051-8198  (メール) tanemura1956@gmail.com カウンセリン

洗脳の後遺症を治癒するための夢分析

宗教による洗脳は、深い影響をその人に与えるために、脱会してからも後遺症の除去には時間がかかります。 往々にして夢は、後遺症の存在とその内容を示すサインとなります。従来所属していた宗教にまつわる夢の分析は、非常に重要です。 十数年前まである宗教の職員、いわゆる出家をしていた経験を持つOさんは、ある明け方、夢をみました。 「私は夢の中でその教団の職員をしていました。そこでは職員に対して次から次へと勉強を要請されており、職員たちは数学の勉強をしていました。公文のテキストにとり組んでいる人も何人かはいました。私は同じようにその勉強をしなければと思いながら、少し引いた立場にいたようです。職員時代に味わった、追い立てられるような気持ちがのこっている状態で目が覚めました。」 Oさんによると、この宗教は職員を競わせ、次々と勉強や新しい仕事にまつわる知識の習得を要求していました。それによって、職員を息をつかせない状態におき、常に周りと競わせ、その結果によって優劣をつけます。一つの分野で優れたものをもっても、別の分野、例えば数学(注:これは象徴的な表現です)という宗教とは一見関係が薄いものを学ばせて、競わせるので、職員は常にせかされて追い立てられているのです。 こういう競争状態に常に置かせることで、教祖は弟子が団結することを防止し、教祖の意のままに分断してコントロールしやすい状態においていた気がすると、Oさんは回想しています。 さて、知識の集積は、自分の心の内側を探究するのではなく、外へ外へと意識を向けさせます。本来の自己は何かという、最も本質的な内側への目を閉じさせて、外へ外へと意識を向けてゆきます。 常に あたらしく有用な知識が蓄積されていかないと、不安に陥るようになっていきます。 長くこの状態に染まっていると、次第に超越的な存在の一部である価値ある自己を忘れていき、外から何かをつけ足さないと価値が減少してゆく、という自己感覚を、身につけるようになっていきます。 自分の存在自体に価値を見いだせないものは、自分を見失い、自己を喪失します。そして、上や外から与えられる評価つまり有能さや有用性の尺度で自分の価値を図るようになるため、非常にコントロールされやすくなります。 Oさんは、勉強が好きで知識を習得すること