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投稿

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(投稿)逆境で気づく

順調の時には見えなかった心の傾向性が、
逆境の時になると、たちまち見えてくる。

あれほど自信に満ちていた心が、たちまち恐怖におびえ、
感謝に満ちていた心が、たちまち不満や愚痴に満たされる。

逆境は、心の奥に隠されていた本当の自分というものを
はっきりと映し出してくれる鏡のようだ。

だれでも逆境というものは嫌なものだ。
しかしながら、逆境を通さずしては、本当の自分と向き合うことはできない。

逆境と通して、真の自分の姿を見、
逆境を通して、真の自分の力を試される。

人生、何が幸いするかわからない。
「順境」が人を堕落させ、
「逆境」が人を育てることもある。

「真」なるものが「偽」であり、
「偽」なるものが「真」である。

世の中には、そうした逆説(パラドックス)に満ちている。

しかしながら、そうした二分的な見方は、はたして「真」であるのか。

「真」と「偽」を超えたところに、本当の道が現れる。

小さな自我を捨て、大いなる叡智に心を向ける。
すべてを「真」、即ち大いなる叡智の計らいと受け入れながら、 ただ淡々と進むのみ。(大)

(投稿)許しということ

大量殺人犯の裁判

20年ほど前、テレビ番組で、アメリカのあるドキュメンタリーを放映していました。

ある大量殺人犯の裁判に関する内容でした。

あるアメリカの町で、若い女性が次々と行方不明になり殺されるという事件が発生しました。
その数は、100人近くにも及びました。
警察はある一人の男を特定しましたが、その男性を逮捕するには、あまりにも証拠が不十分でした。
そこで警察は司法取引をしました。もし自白すれば、死刑だけは免除するという約束をしたのです。
そこで、この中年男は自分が多数の若い女性を殺したことを自白しました。
男の話をもとに現場検証をしたところ、多数の女性の死体が発見されました。
その数は、90名近くもあったと記憶しています。

法廷で判決が出た際、多くの遺族の人達が傍聴席でそのいきさつを見守っていました。
通常であれば当然死刑なのですが、判決では当然のことながら極刑にはなりませんでした。
もちろん、殺された遺族の方達は当然納得のいくはずがありませんでした。

そこで、裁判官は、殺された遺族の1人1人に、この殺人犯に対して、意見を述べることを許されました。やりきれない遺族に対する、せめてもの配慮であったのでしょう。


遺族の言葉
遺族の方々は、次々にこの殺人犯に向けて、涙を流しながら罵声を浴びせました。
「おまえのせいで、大切な娘を奪われた。おまえのことは、絶対に許さない。」
それをこの殺人犯は、顔色一つ変えずに、じっと遺族を見つめながら、静かに聞いていました。

たくさんの遺族の最後に発言をしたのは、小太りで、あごひげの生えた神父さんでした。
見た目は、ハリーポッターに登場する、ハグリッドみたいな感じの風貌でした。

その神父は、殺人犯に向かって、こう言いました。
「わたしは、小さい頃から大切に育ててきた、一人娘をあなたに殺されました。彼女は、私にとってとてもかけがえのない存在でした。」
そして、こう言いました。
「それでも、私はあなたを許します。」

その殺人犯の顔色があきらかに変わりました。今までの人間の感情を持っているとも思えない無表情な顔つきから、明らかに驚きの表情に変わりました。
周りをきょろきょろしながら、うろたえ始め、そして涙を流しながら、その場に崩れるようにしゃがみこんでしまいました。

そして、抱えられながら法廷を退出するとき、この殺人犯はこう言いました。
「遺族の方々には大変申し訳ないことをした。本当に申…

恐怖心と依存心

勇気の影
 勇気を必要とする仕事につき、幾度も勇気を奮い起こして人生のさまざまな局面を闘ってきた人は、通常は恐怖心を潜在意識に抑圧しています。勇気ある行動こそがその方の特徴であるならば、恐怖心は「影」になり、普段は抑圧・封印されています。
 しかし、恐怖心を抑圧して意識できなくなると、そこに別の問題が出てきます。恐怖心は自分を護るという感情を伴います。自分を護ろうとするからこそ、慎重で、危険に対しては智慧を振り絞って対策を立てます。恐怖心が意識できないと、そうした心の機能が低下します。
伊藤博文はじめ、維新の元勲たちが外交を取り仕切っていた時期に、日本が勝利してこれたのは、彼らの列強に対する恐怖心が正しく機能し、それが慎重さや智慧として発揮され、断行の勇気を下支えしていたからだと思います。ところが、自分たちが一等国で強いと己惚れた時、必要な恐怖心が正常な形で機能しなくなり、蛮勇が生まれ危険な方向へと国を導いたのではないでしょうか。
ネズミの個性
ネズミは臆病な動物だと思います。人の中にもネズミ的な性格がある方は、恐怖心が非常に強いようです。でもその恐怖心があることで、金銭感覚が発達し、未来への備えをきちんと残すことにつながります。未来への備えができない人には、恐怖心が欠落しているケースがあるように思います。
恐怖心が欠けていると、勇気は無謀な蛮勇になりやすく、未来への堅実な備えができません。すると経済や人生の不調の波が来た時に、自分を支えることができず、誰かに依存せざるを得なくなります。
宗教的な人の中には、神様が何とかしてくれると信じて、未来への備えを考えずに高額の布施してしまう人がいます。信仰が恐怖心を抑えているのですが、実際に不景気の波が来ると、どうにもならなくなることがあります。そういう時は、家族や知人などに頼らざるを得なくなります。つまり依存です。
要するに、恐怖心の機能が正しく働かないことで依存が発生するのです。眼に見えないものの助けに依存して勇気あるようにふるまったのが、実は慎重さと智慧を欠いた行動だったことに、その時に気がつくのです。
自立に必要なもの
 こう考えると、自立というのは恐怖心を自覚しながら、それを自分がコントロールできるということではないでしょうか。危険を未然に感じ取って、そのリスクを回避するために、備えができる人が自立できる人なのです。
それができないと…

自分がかわいそうという心(2)

4.経験には意味がある

 第三番目に、経験の再統合の段階に入ります。自分の苦しみを語っていくと、「なぜそういう経験をしたのか」、その意味を問いかけるようになります。これが非常に大切です。大きな、あるいは深刻な経験には、必ず意味があります。「何か大切なことを学ぶ為にそういう経験をしたのだ」と、そう考えるのです。そうすると、人や神や人生を恨むことがなくなり、経験をギフトと考えるようになります。人生の贈り物として、その経験を受け入れるのです。
こうしてその「経験の意味」を学び終えたときは、自分の人生を受け入れることができます。自己受容ができるのです。自分を愛せるようになるのです。これが再統合と言われる段階です。苦しい経験を自分の人生の中にきちんと位置付け、心の成長にとっては必要なものだったと認められる段階です。
 これには智慧の働きが必要です。その智慧は洞察力とも呼ばれます。それはその人の深層潜在意識やさらにその奥の超越潜在意識からもたらされます。インスピレーションとか気づきと言われるものです。よきカウンセラーはそうした導きを受けやすい心の状態へと誘導してくれるものです。
5.より愛深くなるために
 ある方が言われました。「私は世間的に見れば愛されないで育ちました。でも親が反面教師となってさまざまなことを教えてくださっていたことに、ある時気付けたのです。私は、拒絶され言葉の暴力を受け続けて、時には肉体の暴力も受けてそだちました。でもそれでも私は愛されて人生を生きてこれたことに気が付けました。自分は愛を与えられていることに気付くこと、それが私の経験の意味だと思います。」
 この方は、常に悩み続けて成長されました。どうして自分はこういう目に遭うのかを考え抜かないと、生きていくことができなかったといいます。その結果、一種の宗教的な洞察を持たれたようです。この方は言われました。
「すべては心が成長していくためにある経験だと思います。そしてその中でどれだけ愛を発揮できるか、愛深くなれるかを学ばされているのだと思います。どんな経験をしても、そこからより愛深くなることが、人生の目的だと思うのです。」
 私はこの方のお話に感銘を受けました。一人でそこまでたどり着かれたことに、感動と敬意を覚えました。そして「あなたがたどり着いたのと同じ人生観を世界的に有名なキュブラー・ロスという精神科医が書いています。…

自分がかわいそうという心(1)

1.DV被害の心の傷


 私の元へ、さまざまな方からのご相談をいただきますが、最近増えてきたのがDV(ドメステック・バイオレンス)を受けてきた方からのご相談です。DVは近親者からの言葉や肉体を使っての暴力、虐待ですが、その中には性的虐待も含まれます。
 なんらかのDVを受けてきた人は、やはり女性に多いのですが、この人々は心の奥にいつも愛されない自分を抱えて傷ついています。近親者から愛されないので、自分に自信が持てないし、自分を罪悪視している人も少なくありません。さらに、愛を求めるときに、過剰に求めすぎて人間関係を損ないがちですし、本当に信頼できるかどうかという不安を抱えているので、不安な兆候を感じるとさっとひいてしまいがちです。自分を害されないかどうかに非常に敏感なのです。そうしたことが積み重なって、孤独に陥りやすいのです。
 ある女性は、「猫が自分の毛をなめているみたいに、私も自分の傷をなめてあげているのが好き。誰もそうしてくれないから。私寂しいんだ。孤独をすごく感じる。一人ぼっち。だから私は自分で自分をなめているの。猫みたいでしょ。」と言われました。とても切ない告白でした。
 「誰にも愛されない自分」という心の傷を抱えた方はどうすればいいのでしょうか。この問題を考えてみたいと思います。
2.愛されない苦しみ
愛されないという経験は非常にその人を傷つける経験です。子どもであれば母親に愛されたくて、また父親に愛されようとして、本当に努力するのです。生き延びるすべが他にないということも事実ですが、それ以前に子供は親の愛を求め、親の愛を得て心も体も育つのです。スキンシップがなくて育児放棄された幼児は、肉体や知能も成長が遅れます。免疫力も低下して病気にかかりやすくなります。生きる力が弱るのです。
DV、虐待というのは、親などの近親者から「自分を拒否された経験」です。しかも、「拒否されるのは自分が悪い子供だからだ」という罪悪感を子供の心に育ててしまいます。
 親によっては、女の子ができたことを喜ばない人もいます。その場合は、女性であることを否定して生きるので、男性的な性格になったり男性的に振る舞ったりするようになります。この場合、女性である自分を愛せないのは、女性としての自分を親に喜んでもらえなかったことに原因があるのです。これも自己否定の一種です。
 つまり、DVを受け、必要な愛を与えられ…

(投稿)執着からの脱却

内なる価値を発見する

人は、無い物を得ようと苦しみ、得たら得たで、それを失うまいと苦しむ。
人から多くの愛情を得ようと苦しみ、得るものの少なさに、また苦しむ。
価値なるものを、自分以外のものに見出した結果である。
宗教では、それらの執着から離れることを教える。
または、自分の中に価値を見出すことを教える。
老子は、そのような無価値なものに心を捉われず、大いなる道(タオ)に身をゆだねることを教える。
しかし、それをわかっていても、人は相変わらず、自分以外のものに価値を見出し、苦しみ続ける。
頭ではわかっていても、心で捕らえていない。
執着の愚かさを理解しているようで、本当はわかっていない。
執着の苦しみから離れようとしたら、「大いなる叡智」を自らの心で感じ取らねばならない。
自らの心を見つめていったときに、そこに大いなる叡智とつながっているものがある。

トラウマを癒す(2)

解放(吐き出し)
 解凍された体験は、恐怖、不安、怒り、恥辱、無力感など、さまざまなネガティブな感情をよみがえらせます。感情を伴った強烈なイメージが湧いてくることもあります。フラッシュバックと言われるものです。それがあまりにも圧倒的なものだったので、自我を守るために凍りつかせて潜在意識に抑圧・封印しておいたのです。それを解凍して再体験するのですから、心で味わうだけでは自我が守れなくなる恐れがあり、再び凍りつかせてしまうかもしれません。そこで外に向かって解き放つ必要が出てきます。それは封じ込められていたさまざまな感情、感覚、イメージを外に表現して、解き放つことです。これが「解放」の段階です。これは潜在意識の中にあるマイナスのエネルギーを、外に吐き出すことを意味します。解放のための表現は、言葉や絵や体の動きなど、どんな表現でも構いません。こうすることで、次第に心はその事実を受け入れることが可能になってきます。
再統合

 解凍という名の再体験と、解放という名の吐き出しの次に必要なのが、3つ目の「再統合」です。再統合とは、トラウマとなった体験を意識の中に取戻し、それを自己の中に再度組み込んで構造化しなおすことをいいます。トラウマとなった体験は、非常に苦痛であると同時に、ある意味では自分にとって重要な意味を持つ体験です。それがトラウマであり続ける限り、その重要な体験を排除した形で自分というものが存在することになります。従って、トラウマが解凍され、意識に戻ってきた段階で、その体験を自分の中に再統合しなければならないのです。再統合とは、「トラウマとなった出来事を自分の歴史の適切な部分に位置づけようとすること」、言い替えると「トラウマとなった体験を自分の過去の物語とすること」です。この段階で、トラウマとなった体験が自己受容でき、どんな意味がその体験にあったのかを振り返ることができると、そこから何を学ぶのかが見えてきます。


 最後に、本当の意味で自分を愛することができるには、どうしてもトラウマを癒すことが必要であると申し上げておきたいと思います。(種) (トラウマに関する参考文献は久留一郎著『PTSD』駿河台出版社をお勧めします。)
<連絡先>
種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー種村修)
携帯:090-8051-8198
メール:tanemura1956@gmail.com

トラウマを癒す(1)

今世と過去世の心の傷
トラウマは心的外傷とか心の傷とも呼ばれます。その人にとっての深刻な衝撃となる経験をした場合、それが心の傷となって残ります。これが原因でストレス障害が生じることも少なくありません。心的外傷後ストレス障害はPTSDと呼ばれています。
 大震災や虐待などがない普通の生活を送ってきた人でも、カウンセリングをしていくと、心の傷に起因すると思われる深刻なストレスを抱えている方は少なくないことに気づきました。ある方は、無性に闇が怖くなることがあり、その場合孤独で死んでいくイメージが出てきて怖くて怖くて、それが収まるまで夜中でも知り合いに電話して長話せざるを得ない人もいます。またあるコンサルタントの方は、お客様に会うたびに、もしこの人が自分と縁を持つことで不幸になったらどうしようという思いが湧いてきて、それが何故かわからないといいます。
 こうした場合は、生まれてからの生活史にその原因が見当たりません。その場合は、過去世でのトラウマ体験があったと仮定せざるを得なくなります。過去世のトラウマは、深層潜在意識に蓄積されています。これに対して今世で起きたトラウマは個人的潜在意識に蓄積されています。そうしたつらい体験は、通常は思い出すのがつらいので、潜在意識に抑圧され、封印されていることも少なくありません。
今世のトラウマでも過去世のものでも、それを癒す方法は、ほとんど同じで、3つの段階を経ることになります。

解凍(再体験)

トラウマとは瞬間冷凍された体験です。そして瞬間冷凍されているがゆえに、心はその体験を過去のものとすることができず、いつまでも「新鮮」なままで抱えることになります。いわば「現在に生き続ける過去」として、その人のさまざまな心理的な機能に影響を与え続けているのです。トラウマを癒すということは、その凍りついた体験を解凍し、従来の認知的枠組みのなかに消化吸収していくことです。
そこで、トラウマを消化吸収していくプロセスには、解凍・解放・再統合という3つのプロセスを経ます。
「解凍」とは、瞬間冷凍した体験を解凍するという意味です。凍りついたトラウマ(心の傷)を溶かして、それを心の中で再体験する必要があります。
瞬間冷凍した体験であるトラウマは、心が消化吸収できないで心の中に異物としてとどまった状態にあると考えられます。冷凍した異物は肉体でいえば腫瘍のようなもので、そのままで…

(投稿)老子に想う②

老子の思想の中核
老子については、81編の詩句からなる『老子道徳経』があるのみです。
『老子道徳経』の中にある「道(タオ)」「無為自然」については、読む人々によって受け取り方はさまざまです。
人生を生きるための処世訓、もしくは国を治めるための治世訓として、短い詩句ではありますが、確かにこの詩句は多くの人々への救いの書として現在まで語り継がれてきました。

しかしながら、この中に書かれている言葉は、まさに「宇宙の叡智」ともいえるものです。
老子の思想の中核をなすものは、「道(タオ)」という思想です。この「道(タオ)」なるものは、私の理解が正しければ、「万物の元の元」「無から有を生み出すもの」であるとされています。ゆえに、「道(タオ)」を受け入れ、「道(タオ)」の流れるままに生きることが、最も自然に適った生き方である。ということです。

宇宙の叡智
「道(タオ)」なるものは、宇宙を創造された根本なるもの、ゆえに「宇宙の叡智」そのものであるといえるでしょう。
老子といわれる方は、自然の中に囲まれながら、自らの内に、宇宙の根源につながるものを発見されたのでしょう。
 そして、「無から有を生み出している」根源なる存在から流れ出でている「叡智ともいえるエネルギーの大河」を感じることができたのだと思います。

この大いなる「叡智」こそ、まさしく万物を生かしめている根源なるエネルギー。人間の知恵なんて、この大いなる存在と比べてみれば、大いなる海原の中からすくったコップ一杯の水程度にしかすぎないかもしれない。この大いなる「叡智」を受け入れ、この「叡智」の中に生きていく道こそ、人間として最も価値のある生き方である。人間の愚かさは、この「叡智」を知らず、自ら作った小さく小ざかしい「知恵」の中にいきていることにある。そしてこの「知恵」こそ万能であると誤解し、「知恵」の優劣や、所有物の大小で価値を決めようとする。
しかし、この「大いなる叡智の大河」を知ったならば、このようなものは比較にならないほど価値のないものである。悲しいかな、愚かなる人間の「知恵」よ・・。
そして、この「大いなる叡智の大河」を「道(タオ)」と称し、大いなる叡智に気づき、受け入れ、その流れの中に生きていくことの大切を説かれたのでしょう。
その枝葉なるものが、「あるがままに生きることの大切さ」や「治世訓」として『道徳経』の中で展開されていったものであろう…