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書いて見つめる

自分の心を見つめるさいに、書いて見つめるという方法は、非常に効果があります。
特にメールカウンセリングで、心を見つめて湧きあがる思いや記憶を書いていると、溜まっていた感情がこみあげてきたり、ハッとする気づきが起きたりすることがあります。これは書くことで自分の心が整理されてくるとともに、次第に深いところまで意識が降りていき、潜在意識が気づいてほしかった感情や思いが心の表面に浮かび上がってきやすくなるからだと思われます。潜在意識からのメッセージは、心を澄まして書いている時に浮かび上がりやすくなります。
筆が勝手に進むときがあります。こんなことを書くつもりでなかったのに、書いているうちに思わぬ方向に行くときがあります。そういう時は、心の深いところから突き動かされていることが多いと言えます。これは深い部分で自分自身と向き合う大切な機会となります。
書く効果の一つに吐き出しということがあります。心にため込んで、これ以上ためるのが苦しくなったものを、書くことで吐き出します。「吐き出し」は「掃き出し」につうじており、心の中の重荷をきれいにする行為です。吐き出しでは、できるだけ詳細に記憶をたどるとともに、その時の感情の動きをしっかりと見つめて詳しく書くとよいと思います。それによって心に溜まっていたマイナスの思いが消えていきます。吐き出しが進むと、心が軽くなって、マイナスの思いに引きづられなくなります。
「自分はどんな感情を持っていたのだろう」「その感情の奥にはどんな感情があるのだろう」そう心に問いかけて見つめていると、さらに深い部分が出てきて、自分を深く理解できるようになります。なぜ自分がそういうことをし、そういう状態になっていたのかが理解できると、自分を受け入れることができるようになります。これが自己受容です。
メールカウンセリングでは、カウンセラーからの問いかけに答えながら、さらに深く自分を掘り下げて向き合い作業が続きます。ポイントは、自分を自分自身が否定していた気持ちを変えることです。自己受容とは自己否定の克服です。そのままの自分を抱きしめることです。自己否定で人は自分の成長を止めてしまいます。だから自己否定が取れたときに人は成長するのです。
種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー種村修)(ご案内)種村トランスパーソナル研究所では、メールや電話でのカウンセリングにより、自分を見…
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想念を吸い込む

私たちは人と一緒に仕事や生活をしていると、知らず知らずのうちに、接した人の想念を吸い込んでいることがあります。そのことに気づかないままでいると、自分らしくない行動や言動をします。気がつけば修正できるのです。だから気づくことがまず大切です。
ある人は、同じ職場で働いているチーフの女性が、時間を気にしながら仕事している雰囲気が、なんとなくせかせかして焦っている、追い立てられている気がして違和感を感じていました。二人きりになった時に、仕事していて頭がいたくなったので、これはチーフの影響受けたかな、と思いました。ようやくチーフが帰ってから、1時間ほどその人は仕事をして定刻に帰りましたが、結構疲れていました。帰ってからも、なぜかせかせかと仕事をしてしまって、いつもより疲れたことが気になっていました。
翌朝、その方は静かに振り返ってみて、ふと気が付きました。自分がせかせか仕事をしてしまい、帰ってからもせかせかした気持ちが続いていたのは、チーフの想念を吸い込んでいたからだと。朝、静座していても、いつもと違ってせかせかした気持ちがあったので、おかしいと思って見つめたときに気づけました。
人の想念を吸い込むときは、自分のなかにその人と同類の気持ちがあります。同じものを持っているので、吸い込んでしまうのです。
チーフの女性は、若い人でした。責任感が人一倍強く、若くして現場を任されているので気負いもあり、定刻が終わっても残って次の日の職場の準備や清掃をしていたのです。自分への要求水準が高く完璧主義的なところがあるし、人にもしっかりした仕事を要求するタイプです。
チーフの想念を吸い込んだ人も、自分への要求水準が高く、人がしないことでも気がつくとやってしまわないと気が済まないタイプでした。その時々の自分の限界を超えてやりすぎる傾向があり、心の中でせかせかした思いがあったので、引きつけたに違いないと気づきました。本来ならチーフの想念の影響で頭痛がした段階で、深呼吸して意識を切り替えるべきだったと反省したそうです。
私たちは、自分の心や行動を見て、いつもの自分と違う、何か自分らしくないという感覚を大事にするべきだと思います。他人の想念を吸い込んでそうなっていることがよくあるからです。気がついて、原因を振りかえり、引き付けていた自分の思いを切り替えると、それは消えます。
自分らしく生きるということは、そうした…

富の考え方を変える

私たちは富というと、すぐにお金のことを考える習慣がついています。私もその考え方に染まっていました。
しかし、「冨」をお金に限らないで「豊かさ」ととらえると、私たちはさまざまな豊かさに囲まれていることに気づくことができます。
毎日1時間半も通勤していた仕事が変わり、自宅で数分のところで働いたことがあります。この場合、往復3時間の時間が自由になりました。移動時間での疲労もなくなりました。時間と体力という形の豊かさ、つまり富が増えました。
新興宗教や政治団体にはいる人は、信仰や思想信条を共有するグループのなかでは強い関係を作りますが、それ以外の人とは疎遠になっていきがちです。閉じた人間関係の中にいるのです。しかし、その団体をやめて自由になると、いままでの人間関係は失いますが、新しい出会いが生まれ、人間関係は開かれたものとなって広がり始めます。人間関係の豊かさが増えたのです。これも富の増大です。
うつ状態で自宅にひき籠っている時は、自分の悩み以外のものが目に入りません。しかし、戸外を散歩して、樹木や草花に目を注ぐと、さまざまなつぼみが膨らんでいたり、季節の花が咲いています。落ち葉も秋だけかと思っていたら、春にも冬にも落ち葉があることに気がつきます。自然の恵みに気がつけるということは、豊かさが増したと同じことです。
家族や職場の人が示してくれるささやかな思いやりの行動に気がつくと、感謝の思いが行動や言葉となって出てきます。すると家庭や職場には暖かい空気が流れ出します。さりげない善意をごく普通に続けていると、時に人が気づいて感謝の言葉をくださいます。気持ちがつながった喜びを味わいます。これも豊かさの増大だと思います。
週に一度は、家中のガラスを拭きます。毎日、自分が決めた最低限の掃除を行います。その都度、リセットした気持ちになり、清明な空間で生活が始まります。清潔な空間は、豊かさの一つだと思います。
お金にだけ富の基準を求めていた時は、少ない収入と減っていく蓄えにばかり気持ちが向かい、常に貧しい気持ちでいました。これは収入の大小に関係なくそうだったと思います。しかし、富の考え方を変えると、さまざまな豊かさに目がいくようになり、豊かさに恵まれていることに感謝できるようになりました。さまざまな豊かさが増えいく喜びも味わいました。自分が豊かだなとしみじみと感謝する心は、豊かさを引き寄せる心です。

依存心は自己変革を妨げる

自分が何度も同じ間違いをし、何度も同じ苦い体験を繰り返す。そういう時、本当に自分を変えることは難しいと、絶望し、溜息がでます。
そうした状態が何年間も続いて、ある種極限を迎えたときでした。静かに座り、心を見つめていると、胸の奥に深い悲しみの感情の池があることに気が付き、ハッとしました。非常に深い悲しみです。
いつまでたっても自分が変わらないことを、魂が悲しんでいる。それは深い悲しみでした。
その悲しみの池の奥に目をやりました。悲しみの池の底には何があるのかと意識を凝らしていると、突然「依存心」という言葉が湧いて出てきました。大文字で「依存心」と意識に浮かび上がってきたのです。
依存心って、なんだろう。わかりやすく言うとどういう言葉だろう。
「私を変えてください。これが依存心」
言葉が浮かんできました。
ハッとしました。私は自分が変わりたいと何年も苦闘してきたけれど、変わりたいという気持ちの奥には、実は「変えてください」「私を変えて頂戴」という依存心が潜んでいたのです。私を変えてください、私を何とかしてください!・・・と。
これは自分が自分の主人公でなく、誰かに、あるいは何かに、お願いしている言葉でした。神様にお願いしたとしても、神様は一人一人の主体性を重んじられるはずです。カウンセラーでもそうです。カウンセラーはクライエントの心に手を突っ込んで、思いの持ち方を強制して変えることはありませんし、そんなことはできません。なにも、私は「私を変えてください」と誰かに、なにかに依存し続けていたのです。
これはダメだ、と思いました。この依存がある限り、絶対変われない。そうわかりました。
自分が変わると決めないかぎり、自分は絶対に変われない。本当に自分は変わりたいのか、それが問われています。自分が本当に変わると決意するかどうか、心に問いかけました。しばらく時間がかかりました。でも変わりたい気持ちは、本物でした。ならば、変わるしかない。そう思いました。私は変わる、という決意が湧きました。その時から私は変わりだしました。
この体験は、自己変革は依存がある限りできないということを悟らされたものでした。自分は変わりたい。だから誰か変えてください。これではだめなのです。
自分は変わりたい。だから、自分は変わる。そこがスタートだとわかりました。

種村トランスパーソナル研究所(所長・種村修)

夢で心を見つめる⑤・・・そろばん勘定

ある人がこんな夢を見ました。
シルベスタローンが、別の仕事で関わっている会社と販売契約の交渉をしています。シルベスタローンは、身体を鍛える時に使うマットレスを独自に開発したのですが、その販売権に関する契約交渉です。マットレス一枚の販売につき、彼の取り分はいくらで、マットレスの開発にかかったお金を別途支払ってもらうとか、細かな算段をしています。さほど大きくはない金額なのですが、すごく収入にこだわっている印象が残りました。
この人にとってシルベスタローンは、ランボー役では社会正義のために身を犠牲にして戦うヒーローであり、ロッキーはどん底から這い上がった英雄として、共感する大好きな人物です。
ところがその英雄的な人物が、細かな販売契約に腐心し、そろばん勘定をしていることに違和感を感じたと言います。
この夢は、密かにあこがれて心に描いているこういう自分でありたいという自己イメージと、お金に腐心してそろばん勘定をしている自分にギャップを感じ取ることに意味があったのかもしれません。
この人は、その両方ともに自分の心の中にあるものだと受け入れましたが、そこに違和感を感じた自分を新たに発見したと言います。
この人は結局、細かなそろばん勘定を忘れて、本来自分が成し遂げたいことに思いっきり専心してゆこうという気持ちを固めました。
夢は潜在意識からのメッセージです。自分の心のありのままの姿を教えてくれています。それを受け止めることで、自分の気づいていない側面を自覚することもできます。それに向かいあうことで、心の成長につながってゆくのではないでしょうか。
種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー種村修)メールや電話でのご相談も受け付けています。<連絡先>℡:090-8051-8198
メール:tanemura1956@gmail.com

夢で心を見つめる④・・・焦りと劣等感

ある人がこんな夢を見ました。
その人は夢の中では、新しい会社で仕事をしています。日経新聞社が出しているビジネス誌の何ページかが出てきました。それを見て、文字は読めても内容がさっぱり頭に入らなくて、焦っています。どのページを見ても、理解できず頭の上辺をかするだけなのです。自分には新しいこの仕事ができないという劣等感を感じています。
目が覚めて、その時の感情と、その夢の意味を考えました。感情は焦りと劣等感です。分からないという焦り、そして分からない自分への劣等感でした。この人はこれまでの人生で、何度かそういう感情を、ビジネスに関して経験したことがありました。一生懸命新しいビジネスを学ぼうとするのですが、頭に入ってこないというか、分かったという実感がないのです。この人は自分はビジネスに向いていないのかと悩んだことがありました。
しかし、本当の問題は、知識から入ろうとしていたことでした。何でも活字を読んで学ぶことが自分のスタイルだと思っていたのですが、この人の個性はそうではなかったのです。その証拠に、これまでの人生で予想外にうまくいった時は、いずれも徹底的な実践の中で、コツを身につけていった時でした。
とても難しい仕事でも、体当たりして乗り越えた経験も思い出しました。だから、劣等感を持つ必要はないはずでした。体で覚えてしまうと理屈は後からくっついてきて理論でも説明できるようになるのですが、最初に理論を見てわかるタイプではなかったのです。
知識偏重で、どんなことでも知識を仕入れておけばできるという思い込みは、この人が以前に働いていたある会社で身につけた固定観念でした。その証拠に別の会社では、のっぴきならない状況で実践の中に飛び込んでいったときは、色々試行錯誤しながら仕事のコツを身体で覚えるとユニークな成果が出たからです。
それまでは知識がないからわからないという思い込みがあったので、試行錯誤することが怖く、しり込みしていたにすぎなかったのです。
現場を体験せずに知識だけ吸収しようとしても、本当のことが分かるはずがありません。
そうした固定観念に縛られていた時代の感情が残っていて、夢で味わったようです。夢の意味を考えるうちに、自分の固定観念の間違いにも気が付きました。この人は自分の本来の個性を縛っていたものを捨てようと思いました。
種村トランスパーソナル研究所(心理カウンセラー種村修)℡:09…

夢で心を見つめる③・・・焦り

ある中年の男性は、こんな夢を見ました。
彼は久しぶりに、いつも相談に乗ってもらっている知人に会いました。その時に知人から、まったく新しいことを教わり、心がざわつきました。「そんな話は知らなかった。他の人はもう聞いているのだろう。自分は遅れているにちがいない。」そう思ったのです。

すると夢のシーンが変わりました。今度は以前に所属していた団体の長が、まったく新しい話をしているシーンが出てきました。初めて聞く本の名前も多くあり、彼はもっと心がざわつきました。「しまった、自分は後れを取ってしまった。他の人からずいぶん遅れてしまった。遅れを取り戻さねば。何冊も本を読み、新しい情報を学ばなくてはならない・・・。」
そう思っているところで、目が覚めました。
この夢は、現在と過去の二つにまたがったシーンが出てきました。過去にあった思いが、過去だけに終わらず現在も共通していることを暗示しているのでしょう。
その思いとは何か。共通する感情に意識を向けて見ると、「焦り」です。
彼は思い当たることがありました。彼が過去にいた団体では、そこで説かれた情報をいち早く学習し、マスターすることが指導的な立場に立つための条件だったのです。情報はどんどん分野が変わるので、その都度一所懸命に勉強して、少しでも人より優位に立とうと焦っていました。そこで学ぶ情報は、人の心や生き方に関する情報であったにもかかわらず、次から次から新しく出てくるので、実践している暇がなかったといいます。要するにいくら学んでも、単なる知識に過ぎなかったのです。彼はそこでは、次々に出てくる新知識を学び、実践することなく、整理して話す。それだけの作業を繰り返していたのです。いくら学んでも、人格の成長は伴わず、心は常に焦りに支配され、人より優れたい、より認められたいという欲望ばかりが膨らんでいたと言います。
その傾向は、今も続いているということを、夢は警告していました。実践して体験し、自分自身の得たものとするのでなければ、何を学ぼうと心を成長させることはありません。自分が本当につかみ取ったことではないからです。
人から聞いた知識はそれを自分で実践して本当かどうか確かめ、自分の気付きとなったときに、初めて血肉(ちにく)となり、心と人格の成長をもたらします。夢で味わった焦りの奥には、学び方に対する考え違いも潜んでいると思いました。
こういう未熟な自分の姿は…